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第38話 帰省していいよ

「お暇を頂きます」


 夕食後、デザートどころか薬代わりの保存血液を飲んでいた所に、晴ちゃんからそう告げられた。舞里ちゃんはデザートを食べたら、見たいテレビがあるとかで早々に別室へ行ってしまっていた。司さんも下げた食器を洗うためにキッチンへ引っ込んでいる。この場には彼女と二人きりだ。


「……?」


 まるで意味がわからない。頭が理解を拒んでいる。首をかしげて見せると、彼女も真似するように同じ方向へ首を倒す。ちょっと可愛らしい所作に胸がドキリとする。でももっと考えなくてはいけないことがあるような気がしなくもない。いや、むしろ考えたくないから、思考を停止しているのだろう。


「聞いてますか?」


 彼女は私の反応が薄いことを訝しんでいる。それに対してささやかな抵抗を示すべく「聞いてないよ」と首を横に振った。耳が拾っていても、頭が意味を理解していなければ聞いていないのと同義である。


「ですから、お暇を頂きます」


 再び繰り返される言葉に、流石にもう聞いていないふりは通じそうにない。出来ることならば両耳を塞いで、全力で聞いてないアピールをしたい所である。ただそんなことをしても事態は一向に好転しないどころか、悪化することが目に見えているので、震える声でたった三文字を絞り出した。


「……何で?」


 この三文字が今の心境を表すのに最もふさわしい言葉だ。何故辞めるのか。何故このタイミングなのか。何故そんな平気そうな顔をしているか。何故、何故……。血の気が引くとともに、座っているのにも関わらず足元が覚束なくなる感覚がした。


 彼女の返答は知りたいけど、聞きたくはない。私の問いかけに応えるための口を開く動きに過敏に反応してしまう。自身でも驚くくらいに体が震えた。


「千鈴さんが吸血が出来なくなったので、丁度良いタイミングかなと思いまして」

「ち、血が吸えなくなったから!?」


 確かに吸血を禁止する旨を司さんから伝えられた。夕方に歯科医院へ行った結果、グラグラと揺れ動く歯は生え変わりだと正式に判明したからだ。


 無理をすれば吸血できなくもないと反論してみたけれど、万全ではない状態で酷使することで他の歯にどんな影響があるかわからないと言われてしまうと、それ以上何も言い返せなかった。そもそも無理をしてまでするものでもないと言い含められてもいる。


 つまり完全に生え変わるまでの間、吸血を禁止されたのだ。これは晴ちゃんにも周知されている。


 しかし、だからと言ってお役御免とするのは酷いのではないだろうか。晴ちゃんともっと仲良くなりたいと思った矢先に、そもそもの関係まで断たれるのはあんまりだ。


「で、でも、すぐに生え変わるよ? それまで待ってはくれないの?」


 私の経験からいって乳歯さえ抜けさえすれば、一週間ぐらいで次の歯が生えてくる。お医者さんにも言われたけど、人間とは違って私達の歯の生えてくるスピードは比べ物にならないらしい。であれば、晴ちゃんの考えよりも待たせることは決してないはずだ。


「ええ、司さんからお聞きしてます。あっという間に生え変わるらしいですね。だからこそ今のうちにお暇を頂こうかと思いまして」

「……今のうち?」


 何か彼女との齟齬を感じる。重要な部分を掛違えている、そんな感覚だ。噛み合っているようで、嚙み合っていない。


「……何で今のうちに辞めるの?」

「辞める? ああ、だからそんな血相を変えていたのですか」


 得心が行ったとでも言わんばかりに、こちらに構わず一人で大きく頷いている。彼女も違和感を覚えていたようだ。


「違いますよ。三日ほどお休みを頂くだけです。紛らわしい言い方だったかもしれません」

「お休み……あっ」


 掛違いの原因が判明した。お暇を頂くという言葉から、最悪の想像ばかりしてしまっていたらしい。本来であれば別の意味へ思い至ったのかもしれないけど、急に彼女に切り出されたものだから動揺して失念していた。


「そ、そっか。そうだよね」


 勝手に誤解して狼狽えていた自分が今になって恥ずかしくなる。彼女と目を合わせずらい。顔の赤さを誤魔化すために俯いて自分の膝を見る。


「そうですよ。こんな急に、相談もなく辞めるような薄情者だと思っているのですか?」

「そんなわけじゃないけど……辞めてほしくなかったから慌てちゃった」


 もう十分に恥をかいたからこそ、素直に心情を告げる。まだ表情を見れる状況にはないけど、くすりと笑う雰囲気だけは伝わってきた。


「まあいいです。私も誤解を招く言い方をしてしまいましたし。すいません」

「……うん、私もごめんね」

「はい。……それでですが、明後日から三日間ほど不在になりますので、ご承知おきください」

「お休みして出かけるの?」


 そう言えば、わざわざ三日間もお休みを彼女から取ったのだから、何か目的があって然るべきだろう。パッとすぐ思いつくのは旅行であるけど、晴ちゃんの性格的にはピンとこない。


「帰省しようかと思いまして」


 案の定ただの旅行ではなかった。


「えっ、でもご両親って……」

「ああいえ、母方の祖父母の家へです」


 完全に失念していた。以前に聞いた生い立ちのせいで、てっきり天涯孤独なのかと思っていた。だけど考えてみれば、祖父母に関しては全く触れていなかった気がする。


「母の墓もそちらにありまして、まだ一度も参ってないのでそろそろ行きたくはありました。なので千鈴さんとの吸血が暫くない今であれば、比較的タイミングが良いかなと。それに後一月もしたら夏休みが始まります。そうなるとより忙しくなりそうですしね」

「……そっか。気を遣わせちゃってごめんね」


 ちょっとした帰省にも、此方への配慮を最大限に考えてくれていた。冷静になって振り返ると、吸血できなくなったから捨てられると騒いでいた自分がより恥ずかしくなる。


「いえ、むしろまだ勤めて半年も経たない分際で、三日も空けることに罪悪感があります。司さんも快く許可してくれましたし、祖父母も帰ってこいと煩いのでこの予定となりましたが」


 そんなことで罪悪感を覚える必要はないのに。勤めてから朝から晩まで週に二日と休まず働き続けてくれているのだ。それに吸血の時間まで含めたら休みなど殆どない。私は社会経験は皆無だからその辺の感覚は薄いのかもしれないけど、これくらいの休みは許されてしかるべきだと思う。


 ……よくよく考えると、晴ちゃんをここまで酷使している方がまずいのではないだろうか。法律には詳しくないけど、未成年の労働時間とか深夜労働とかは厳しい決まりがあった気がする。下手をすると此方が訴えられてもおかしくない可能性が浮上し、慌ててそれについて考えるのを止めた。


 寂しくはあるけれど、ここは喜んで送り出してあげるべきだと危機感が告げていた。


「き、気にしなくていいよ。ゆっくりと羽を伸ばしてきて欲しいな」

「……? では、お言葉に甘えます。お土産は楽しみにしていてください」

「そんなのいいよ……って言うべきかもしれないけど、正直楽しみにしてる」


 上目遣いでおねだりをしてみる。ようやく見れた彼女の顔は「仕方ありませんね」と言わんばかりに苦笑していた。私が大好きな彼女の表情の内の一つだ。ずっと見ていたい。


「ちなみにだけど、帰省先は遠いの?」

「隣県なので距離的にはそうでもないのですが、何分田舎なもので交通的に時間がかかりますね。最近帰っていなのでわかりませんが、スマホの電波が届くかさえ怪しいです」

「えー、いない間寂しいから通話したかったんだけどなぁ」


 あわよくば毎日寝る前にお話しできたらなと考えていたけど、そうは甘くはないらしい。本音を言うなら噂に聞く寝落ち通話なども試してみたくはあった。同じ家にいるのなら寝る前に通話などする必要がないから、こんな機会でもなければ試すことも出来ないだろう。


 まあ私的にそうしたいだけで、折角の彼女のお休みに出しゃばるのもよくは無いのでこれ以上無理は言えない。


「それは行ってみないとどうにも。でも出来れば電波が届いているといいですね」


 そう言って晴ちゃんは立ち上がった。チラリと時計を見ている。随分と話し込んでしまったので仕事に戻るみたいだ。私もそろそろ手に持ったままの保存血液を飲み干して部屋に戻るとしよう。


 そう考えてストローへ再び口を付けた時だった。晴ちゃんは扉まで歩いたところで立ち止まる。そしてこちらを振り返らないまま声を発した。


「私も寂しくなるかもしれないので、頑張って通話できるよう努めます。夜はスマホを意識して頂けると嬉しいです」

「えっ、あ……う、うん」

「……では」


 表情は見せてくれなかったけど、ここからでもわかるくらいに耳を赤く染めた彼女は足早に部屋を出て行った。それにかける言葉が思い浮かばず、私はただただその背中を見送る。彼女の言葉を咀嚼して、意味を理解するのはそのすぐ後だった。


「は、晴ちゃんったら……」


 体の内から湧き出てくる衝動のまま、彼女を追いかけて抱きしめたくなる。そんな欲望を鎮めるのはとても大変なことだった。




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