第3話 就労します
「司さん、今更ですがなぜメイド服なのですか」
「ご不満ですか?」
仕事着だと渡され着替えた服はメイド服だった。クラシックな装いでフリル等の華美な装飾は少なく、仕事着と言うだけはあって動きやすく丈夫に作られていそうだ。
ただエプロンはウエストから下しかなく、横開きの上半身はボタンでなく小さな白色のリボンで留められている。
ボタンやジッパーと違いすぐ解けそうなリボンに心もとなさを感じ、必要以上に固く結んでしまう。
「いえ、仕事用の服を支給していただけるなら私も楽ですし、嫌ではないです」
支給があると分かる前は掃除もあるので、ジャージでも着ていくかと考えていたぐらいだ。しかしお洒落したいわけではないが、雰囲気のある洋館をジャージでうろつくのもどうかと思わないでもない。
「家政婦業だと聞いていたのですが、実はメイド業だったんですか?」
「いえ、まぎれもなく家政婦ですよ。我々はメイドではありません」
「まるで説得力がありませんが……」
「デザインに関しては完全に雇用主の趣味です。何でもこの衣装の方がそそるとのことです」
「そうですか」
そそるの意味は不明だったが、これ以上広げる必要もないので思考を放棄した。
今日は家政婦として雇われたお屋敷で業務の詳細な説明や住人との顔合わせを行っている。本格的に働き始めるのは明日からなので、昼頃に来て家政婦長だと名乗る女性に同行していた。
家政婦長である司さんとは今日が初対面ではない。応募時の受付や面接で幾度かやり取りはしていた。見た目は30代の女性で、街中でも中々に見ないほどに背が高い。
生真面目そうな顔立ちと表情、手入れの行き届いた黒い長髪を頭の後ろで団子に纏めている。私と同様にメイド服に身を包み、キビキビとした動きをしているところを見ると性格も見た目通りなのかもしれない。
「そんなことよりも八城さん、すみませんが千鈴お嬢様を玄関まで迎えに行ってくれませんか。そろそろ帰ってこられる時間ですので。私は先ほど帰られました舞里お嬢様をお相手してきます」
「はい」
事前説明でこのお屋敷の住人は母親と三姉妹だけで、現在次女と三女だけが暮らしていると聞いていた。次女の舞里さんとは先ほど会い、挨拶を終えたところである。中学1年生とのことだったが、見た目や言動はもっと幼く感じた。
司さんと一緒に挨拶に行った際には、急に抱き着かれ「よろしくね。お姉ちゃんって呼んでもいいかな!」とすでに甘えるようなそぶりをみせていてた。末っ子だからか甘え上手なのかもしれない。
それにしても、彼女の見た目には見覚えがあった。彼女自身を見たことがあるわけではないが、面影が知人に非常に似ているのだ。この家の苗字は永妻なのも含めると、もしかしてと思うところがある。そうであってくれると少し嬉しい。
「1階の客間へ一緒に来てください。そこで今後のお話しをしましょう」
「わかりました」
朧げな記憶で迷わないよう玄関へ向かう。よくわからない観葉植物や壺等まで置かれた広々とした空間だ。玄関にこんなにもスペースを取るのに驚くのは庶民の感覚だからだろうか。
第一声はどうしようかと考えていると、5分と待たずに呼び鈴が鳴らされた。自己紹介は客間で行うだろうし初めましては場違いかな、素直におかえりなさいがいいだろうかと愚考しつつ扉を開ける。
やはりせっかくメイド服を着ているのだし、それらしく振舞うのが印象が良いだろう。
「おかえりなさいませ」
お嬢様ともつけ加えた方が良かったかな。
外にいたのは期待通り知人だった。私が高校へ通っていた時期に、親しくしていたわけではないが、ちょっとした秘密を共有した後輩。今更ながら、あの日以来見かけることはあれど再度話すことはなかったなと思い出した。
永妻千鈴、彼女がこの家の次女である。私の雇用主の娘になる。
元から丸い目を大きく見開き、見たまんま「私は驚いています」の感情を全身で表している。驚かせるつもりはなかったのだが、ここまで反応してくれると微笑ましい。
「……ぅえっ、え……ぁ。な、なんで……」
「後で改めて挨拶させて頂きますので、まずはお入りください。司さんから客間へお通しするように言われてますが、先に自室へ荷物を置いたり着替えたりしますか?」
「……あ、後で大丈夫です。それよりも……その……」
「承知しました」
言葉だけで混乱していることが伝わってくる。何を言いたいか、聞きたいかも察することは出来る。だが初出勤でもあるので、上司の命令通り業務に忠実であるべきだろう。
手早く扉の施錠と脱がれた靴の収納を行う。千鈴さんの持っていた荷物を「お持ちいたしますよ」と言うと躊躇いながらも渡してくれた。
客間まで連れ立って向かう。お客を通す場所なのだから当たり前ではあるが、玄関に近しい場所にある。到着するとすでに司さんも来ていた。
「おかえりなさいませ」
千鈴さんの姿を見かけると、綺麗な姿勢のままお辞儀をする。本当にこの人はメイドではないのだろうか。
「司さん、あ、あの人って」
「昨日お伝えしました通り、新人の家政婦です。もしかしたら足りぬ部分もあるやもしれませんがご容赦下さい」
「そ、そうじゃぁなくってぇ……」
次女の狼狽えぶりは多少は予想していたのか、冷静に対処していた婦長も違和感があることに気づく。長い付き合いで人見知りがあることは知っているが、それだけではない様子を見せていた。
「とりあえずお二人ともお座りください。飲み物も用意しておりますので落ち着きましょう」
部屋の中央に置かれたテーブル、それを取り囲むように並べられたソファへ座る。私は千鈴さんの隣へ座り、司さんは対面へ向かった。
3客の高そうなティーカップが並べられ、それに揃いのティーポットでお茶が注がれる。メイドさんが行う姿は、まさにそれらしさが醸し出されていた。
大いに感心していたのだが、ポットの蓋の隙間から四角い紙片と繋がった紐が見える。紙片には有名な紅茶メーカーのロゴ。ティーバッグだったらしい。感動していた分落差があり、失望した表情で見てしまったのだろう、目が合った司さんは「メイドではありませんので」と言い訳していた。
慣れたものなのか、千鈴さんは気にするそぶりもなく丁寧な所作で紅茶を頂いている。私も「頂きます」と断ってから口をつけた。食器が高価そうな分、緊張はするが美味しく思えるのは気のせいか。
温かい紅茶のお陰か、落ち着いた雰囲気へ変わると話が戻された。
「さて、いかがしました?」
訝しげな目線が私に向けられる。「いきなり粗相でもしたんですか」と訴えかけられているのだ。
「いえ、実はですね。千鈴さ……お嬢様は高校の頃の知り合いでして、急な再会に驚いているのだと思います。」
「おや、そうだったのですか。履歴書を見た時もしやとは思いましたが、お知り合いだとは……。後、我々はただの家政婦なのでお嬢様と無理に呼ぶ必要はありませんよ」
「司さんは呼んでいるじゃないですか」
「私は付き合いも長いですし、お嬢様の母親とも懇意にしていますので」
理由になっていない気もするが、深く追及する必要もないだろう。それよりも千鈴さんにも、それでも構わないか伺う。視線を向けるとおずおずとではあるが頷いてくれた。
「では千鈴さんと呼ばせていただきます。改めまして八城春乃と申します。明日より本格的にお世話させて頂きますので、未熟ではございますがよろしくお願いいたします」
「よ、よろしくお願いいたします」
「千鈴さんは雇用者側なので、畏まった言い方でなくて大丈夫ですよ。高校では先輩でしたが、年も離れてませんし気軽に話してくれると嬉しいです」
「わかりま……った。よろしく……ね?」
ぎこちない話し方につい笑みが漏れる。それは司さんも同じだったのか、微笑ましく見ていた。だが千鈴さんに不満気な顔を向けられて、取り繕うような話題の切り替えをする。
「……失礼。お二人はお知り合いとのことですが、学校ではあまりお話しされてはいなかったのですか?」
「あんまり、というよりも話したのは一度きりですね。ですが出会いが印象的だったのでよく覚えてます」
「ほお、そんな出会いが。気になりますがお聞きしても?」
気恥ずかしくもあるが、まあ基本的に私だけの恥だ。吸血人であることも家政婦をしてる司さんは当然知っているだろうし、隠す必要は特にないだろう。
「……えっ?いや、その待っ……」
隣から小さな声で横やりが入った気もするが、そのまま話してしまう。
「千鈴さんがお腹がすいているところに出くわしまして、少しですが差し上げました」
「……何をですか?」
「血を」
途中から口を滑らしてしまっている感覚はあった。司さんの目に剣呑なものが宿るのが見える。
急速に場が冷え込んだ。隣を見れば様子のおかしい千鈴さん。付き合い自体は短い私でも、表情や動きから簡単に察せられるほど彼女の感情は分かりやすい。今の心境は……隠していた悪事がばれてしまった、そんな感じだ。
「血を?それは本当ですか」
声色は落ち着いたままだが、怒気が含まれてきている。何がそうさせているのだろうか、私も悪いことをした気分になってきた。だからとはいえ今更誤魔化すことも出来ない。
「はい、そうです。……ですが私から押し付けたのであって、千鈴さんは最後まで我慢されていましたよ」
核心がどこにあるか分かっていないので手探りで言い訳する。しかしずれているのだろう、雰囲気は良くならない。
「まずかったですか?」
「美味しかったです!」
そうではない千鈴さん、違う。今日一番の声量で擁護してくれたみたいだけど、ずれている。
「お嬢さま、詳しく聞かせて頂いても?」
「……あ、味を?」
「違います。冗談もそこまでにして下さい」
小声で「冗談のつもりじゃないのに……」と呟き俯いてしまった。しょんぼりとした姿は小さい見た目と相まって可哀そうに映るが、実はそんなことはない。
「吸血したのですね?そしてそれを秘密にしていたと」
「……はい。すみません」
「私からも謝らせて下さい。秘密にしておこうと言い出したのは私です」
叱られた子供みたいに二人そろって謝る。司さんはそれを見て困った表情で溜息を吐き、思索するかのごとく目を閉じた。