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第36話 共感は不可能です

「デザートのお菓子はいかがでしょうか」


 千鈴さんと舞里さんへ夕食後のデザートをお出しする。


 今日はクッキーだ。大きな缶に入っており、個別に包装された色とりどりのフレーバーが目にも鮮やかに映った。高級品ではないが、私のようなケチな人間からすると贅沢品と感じるくらいの値段はする。

 司さんはキッチンへ食後のお茶を淹れにいっており席を外していた。


「わっ、美味しそうだね」

「どれを召し上がりますか?」

「えっとね、どれにしようかな……」


 千鈴さんは真剣な面持ちでクッキーと睨めっこをしている。


「私はねー、全部食べ比べてみたいなー?」

「舞里さん、程々にお願いします」

「えー、でもこんなにたくさんあったら選べないよ?」

「司さんが戻ってきたらよい顔をしませんよ」


 彼女は「ヴー」と小さな唸り声をあげて、姉妹仲良く睨めっこをし始めた。


 クッキーにしては長めの時間をかけて、それぞれ3枚程度を選び抜く。千鈴さんは果物系中心、舞里さんはチョコレート系ばかりを取っていた。


 ちょうどいいタイミングで司さんも戻ってくる。


「お茶を淹れてきましたよ。……おや舞里さん、今日はクッキーの枚数が控えめですね。てっきり沢山取られると思っていたのですが、自制できてえらいですよ」

「ふふーん、私だっていつまでも子供っぽい真似なんてしないよー」

「ええ、そうでしたね。侮っておりました。申し訳ございません」


 私は彼女の名誉のために口を噤んでおく。自制はできていないが、我慢はしているので褒められてもいいだろう。


 千鈴さんはそんなやり取りよりも、クッキーにご執心のようだ。選んだ内の一つを手に取り包装を開ける。


 「じゃあ、いただくね」そう言って二人とも食べ始めた。案外堅いのかパキッとクッキーの割れる小気味よい音が離れていても聞こえてくる。


 そんな微笑ましい光景よりも、そろそろ私は夕食の洗い物をしなければならない。美味しそうにお菓子を食べる二人を後に、キッチンへ戻ろうかとしたところで千鈴さんから変な声が漏れた。


「んう゛……」


 振り向くと彼女は口を押え、顔をしかめていた。


「お嬢様、どうしました? 何か変な物でも入ってましたか?」

「大丈夫ですか?」


 司さんと私は傍に寄り、顔を覗き込む。眉が下がり少し泣きそうな表情をしているが、口の中のものを吐き出そうとする素振りはない。異物を感じたわけではなさそうである。舌を噛んでしまったとかだろうか。


 千鈴さんは必死に咀嚼して飲み込んでいた。そしてお茶を一口飲む。その間、口内を確かめるようにモゴモゴと口を動かしている。


 いつの間にか舞里さんまでがクッキーを食べる手を止め、千鈴さんの傍へ心配そうに寄ってきていた。


 ようやく自分の状況が把握できたのか、ついに口を開いた。


「歯が折れた? かも……。まだ取れてないけどグラグラする」


 目の端に涙をため、口調も非常に弱々しい。雰囲気全体が悲壮感に包まれている。


「虫歯ですか? それにしてもクッキー程度で折れますかね?」


 堅そうだなとは思っていたが、余程酷い虫歯でもなければ折れたりしないだろう。現に舞里さんでさえ問題なく食べている。


「お嬢様失礼します。……どの歯でしょう?」


 司さんが口を開かせ覗き込むようにして確認する。


ほれ(これ)ほのひゃ(この歯)


 千鈴さんが指で実際に触って示しているようだ。口内であるし、司さんが覗き込んでいることもあって私の位置からはよく見えない。


「……これですか。確かに動いていますね。……しかしぱっと見では虫歯ではなさそうに見えます」


 少し考え込む司さん。千鈴さんはしょげきっていた。そんな彼女を慰めるように舞里さんは「大丈夫?」と言いながら背中を擦ってあげている。


 重い空気が俄かに流れる中、それに反するような明るい声が聞こえた。


「お嬢様、おめでとうございます」

「ふへ?」


 唐突に司さんが小さく拍手をし始める。千鈴さんはおろか、私も舞里さんもついていけていない。


「恐らく生え変わりですね。乳歯が抜けかけているだけです」

「ええ……?」


 そんなことがあるだろか。幼くは見えるが彼女はもう高校二年生、生え変わりの時期はとっくに過ぎているはずだ。私も乳歯が抜けたのは小学生の頃が最後ではないだろうか。詳しくは覚えていないが、中学生の頃に歯が抜けた記憶はない。


「流石に千鈴さんの年齢ではありえないのでは?」

「いえ、乳歯が抜ける時期が遅くなること自体は無くはないです。それにお嬢様の成長を見守ってきましたが、そこの歯が抜けたと聞いた記憶は私は無いですね」

「……家族同然とはいえ、他人のどの歯が生え変わったまで覚えているんですか?」


 ちょっと引いてしまった。他人の歯の生え変わり等、余程執着でもしていない限り記憶に残らないだろう。ましてやどの歯が抜けたなど分かるはずがない。


 司さんは真面でしっかりとした人だと思っていたのに、そのイメージが崩れかける。これからは見る目が変わりそうだ。


 そんな私の態度が伝わったのか、慌てて取り繕う司さん。


「ち、違います」

「……何がですか?」

「そんな目で見ないで下さい。本当に誤解です」


 珍しく動揺していた彼女は大きく咳ばらいをし、変わってしまった雰囲気を仕切り直す。


「当然ですが、全部を把握しているわけではありません。特徴的な歯ですので、それに限ってだけ覚えていただけです」

「それって……」

「一応お嬢様にもお聞きしますが、そこの犬歯が今までに抜けた覚えはございますか?」


 吸血人の犬歯は、人間のそれと比較して大きく鋭い。実際に口を開けてもらって千鈴さんと舞里さんのを見たことがあるが、人間の自分からすれば明らかに異質に映った。


 確かにそんな歯が抜けたとあれば、記憶に残ってもおかしくはないか。


「……そう言えばなかったかも」


 当の千鈴さんも然程記憶を遡らなくても分かるらしい。


「では、生え変わりでほぼ決まりですね。しかし対象の歯が犬歯ですので、念のため明日は歯科医院に行きましょう。予約をしておきますので、そのつもりでいて下さい」

「……はい」


 十中八九虫歯ではないと分かっても千鈴さんの表情は晴れない。落ちこんだままだ。心なしか先ほどまで背中を擦っていた舞里さんまで悲愴な表情になっている気がする。

 ここは私が少しでも明るくなるよう努めるべきか。


「生え変わりなら安心ですね。これは自然な事なので悲観することはないと思いますよ」

「……ウン」

「遅れていた分が抜けたなら、むしろ良い事ではないでしょうか」

「……ソウダネ」


 全くダメだ。まるで効果がない。これは思っているよりも重症かもしれない。どうみても生気が抜けかけている。


「晴おねーちゃん! ダメだよ、そんな軽々しく良かったなんていっちゃ」

「ダメなんですか?」

「そうだよ。デリカシーってものがないよっ!」


 舞里さんに何故か怒られてしまった。気を遣って話しかけたつもりなのだが。


「犬歯が抜けちゃうんだよっ!」

「でもまた生えてきますよね?」

「そうだけど、それまでは牙がないんだよ。吸血人なのに……」


 舞里さんまで泣き出しそうな顔になるし、それを聞いていた千鈴さんにも暗い影が落ちていく。


 どうやらこれは吸血人的な感覚の話らしい。朧げにだが理解はできた。だが共感は全くできない。


「可哀そうなおねーちゃん……」

「皆一度は通る道でしょうに。そういう舞里さんは、もう生え変わっているのですか?」


 そんな問いかけに、彼女はハッとした表情を浮かべ硬直する。どうやらまだらしい。みるみる顔色が悪くなっていく。遂には姉に縋り付き、一緒にメソメソと蹲ってしまった。まるでこれから売られていく姉妹の様である。


 どうしようか。共感ができない以上、私に彼女たちを慰めることは難しい。しかし先ほど知らないうちに傷つけていたようでもあるし、もう少しだけ試みるべきか。


「……ええと、元気出してください。吸血人では重い話なのかもしれませんが、人間からしたら大したことではないんですよ。だから気にしないようにはできませんか?」


 自分で言っておいてなんだが、とても薄っぺらい慰めしか出てこない。常套句を繋ぎ合わせたような、説得力のかけらもない言葉だ。やはり共感できないからか。傷口も分からないのに、絆創膏を貼れるわけがないのだ。


 当然ではあるが、今の言葉を聞いても姉妹は何の反応もない。もう言葉で慰めることは諦めた。


「……何か私にできることはありますか?」


 苦し紛れの代替案。気が紛れるような、私がしてあげられることがあればいいのだが。


 気づくと姉妹そろってこちらを見ていた。表情こそ変わらないが、ようやく違った反応を返してくれた。


「……何でもしてくれるの?」

「何でもはしません。出来るだけはします」


 正直何でもしてあげられるほどに同情はしていない。本音を言えば慰めさえも必要ないと思っている。


「……じゃあ、今日一緒に寝て」

「あっ、それなら私もー」

「ええ、構いませんよ」


 もう今の彼女の思考への理解は放棄している。したいならさせてあげようの精神だ。思い返せば三人で一緒寝るのはこれが初めてである。こんな状況でもなければ噂に聞くパジャマパティ―みたいで楽しそうなのだが。


「心細いから、眠るまでお話ししてね」


 今はただただ面倒な事に巻き込まれたなと思ってしまう。



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