第29話 指導してくれます
「これから晴乃ちゃんと~、吸血をしたいと思いまーす!」
いつの間にか腰に回されていた手が私を引き寄せる。きっとこの映像を見ている千鈴さんには仲睦まじく映っていることだろう。実際はそんなことまるで無いのだが。
「な、なな、何を言ってるのお姉様っ!」
タブレットの中の千鈴さんは面白いくらいに狼狽えている。動揺しすぎて映像がガタガタと揺れまくっていた。
私も千鈴さんと同じ気持ちだ。結花さんはいきなり何を言い出しているのだろう。無論、吸血するなど事前に聞かされてはいない。
「急に晴ちゃんを誘拐したかと思えば、今度は吸血するって。そんなのダメだよ!」
「誘拐はしてないよ。ちゃーんと司さんに言い残してきたからね。……まあ、『晴ちゃん借りてくね』とだけ告げて返答を聞かずに逃げたけどさ」
あっ、やっぱり許可は出てなかったのか。おかしいと感じた時に確認しておくべきだった。
「あの、無許可だったのは初めて聞きましたよ。もしそうなら吸血どころの話でさえないですし、帰りたいのですが」
千鈴さんも大きく頷いている。
「えー、そんな堅いこと言わないでさぁ。ねっ、あたしと晴ちゃんの仲じゃん協力してよー」
「まだ会って一時間も経ってませんよ。そんなことを言われましても――」
「困ります」と続けようとしたところで、更にグイっと体を引き付けてきた。内緒話をするように私の耳元へ口が寄せられる。
「本当にお願い、必要なことなの。怒られるのはあたしが全部担うからさ」
千鈴さんに聞こえないように囁かれた言葉は、初めて真面目な雰囲気があった。
こういう時ノリの軽い人はズルいなと思う。少し真剣そうな口調になるだけで、あたかもそれが重大な事かのように錯覚させる。事実、今の私も「そこまで言うなら」と従ってしまいそうになっていた。
せめて不満だけでも横目で表明しておく。
しかし笑顔で返されてしまった。それも晴れやかな笑顔ではなく、悪事を黙認してくれてありがとうと言わんばかりの笑みだ。多少の被害妄想は入っているかもしれないが、私にはそう感じた。
「……わかりました。私はいいですよ」
「晴ちゃん!?」
愕然とした顔の千鈴さん。罪悪感が湧いてくる。結花さんに関わってから、どんどん間違った方向に進んでいる気がしてならない。
「ね、晴乃ちゃんからの許可も出たしさ、いいでしょ?」
「い、いいわけないよ。晴ちゃんは私の献属なんだよ!」
「そうっ、そこなんだよ!」
待ってましたと言わんばかりに両手を一度強く叩いた。
その動作と音で注目をいやが応にも集める。強引に流れを持っていきたいようだ。
「千鈴ちゃん!」
「は、はい……」
「献属は大切にしているかい?」
何を言いたいのかは分からないが、千鈴さんを丸め込もうとしているのは明らかだ。そしてそうなるだろうなという予感もする。
「も、勿論だよ!」
「本当にそうかなぁ? 例えばさ、吸血した時に痛がらせてはいないかい?」
それはある。実は急に噛まれるとそこそこ痛い。噛まれるのだから当然だと思っているので、それを責める気はさらさらないが。
千鈴さんも分かりやすく思い当たる節があると顔に出ていた。
「おや、二人とも心当たりはあるようだね」
「で、でも吸血するのだから仕方ないんじゃ……」
「そんなこたぁない。痛みを極力抑えて血を貰うことだって不可能ではないんだよ」
「ほ、本当!?」
思ったよりも千鈴さんの食いつきがいい。密かに気にしていたのかもしれない。
「ああ、嘘じゃないとも。だから千鈴ちゃんにね『実践』付きで教えてあげようと思った次第なんだよ」
「え、あっ……」
「知りたくないかい?」
なるほどな。どうやって説得するのかと思ったら、そこに着地するのか。ちょっとした後ろめたさをくすぐって丸め込むのは、妹のことをよく知っている姉ならではかもしれない。
「……知りたい、かも」
「よし、決まりだね。善は急げとも言うし、早速しよっか」
急かすように吸血するのもきっと我に返る時間をなくすためだろう。
ここまで簡単に自分の持っていきたい方向に誘導する様を見せられると、逆に感心した。
「はい、ここに座って。……はーい、大丈夫。いやー、久しぶりに見たけどこのメイド服。脱がせやすくて助かるね」
指示されるまま、彼女の脚の間に座る。すると躊躇なくメイド服のリボンを解かれ、アッという間に上着を剥かれた。他人の服を脱がすのに手慣れ過ぎてやしないか。
「お姉さんはね、献属は一応いるの。だけどその子から吸血するよりも、いっぱいいるお友達から吸うことが多いんだ。だから痛がらせずに吸血する方法とか、恥ずかしがる子から服を脱がせる方法なんかも手慣れたもんすよ」
エスパーだろうか。思考を読まれたかのように感じる。
「さっ、準備できたし始めよっか。千鈴ちゃんもしっかり見ておくんだよー?」
「は、はい」
「まずその一、急に噛まないのは当然。なおかつ体が緊張していそうなら、噛む場所の付近も最初は触らないこと」
千鈴さんは気まずそうな顔になる。まあ彼女は最初から噛んでくるので心当たりしかないだろう。
「ほら、こんな感じでお腹とか脚や腕なんかを擦ったりして緊張をほぐすの。噛む場所に集中してた意識を分散させる効果もあるから、遠い所を触るのがおすすめ」
太ももとお腹に手が置かれ、ゆっくりと擦ってくる。言うだけあって触り方が手馴れている気がする。
「もう少しゆっくりしてもいいんだけど、教えるのが目的だから次に行くね。その二、次は噛む場所もゆっくり触ったり揉んだりするの。接触に慣れさせておくんだよ。怖がってる子には『合図するまで絶対噛まないからね』って言ったりして安心させること」
肩に置かれた手が優しく揉みこんでくる。同時にまだ太ももに置かれていた手も撫で続けていた。なんかマッサージでも受けているみたいだ。悪くはない。
「その三、唇で食んだり甘噛みしたりする時間をとる。やっぱりここまでほぐしても、口を付けた瞬間はどうしても力が入っちゃうからね。そうなると余計に痛いから、口や歯の感触がしても力が入らなくなるまでゆっくりと慣らしましょう」
肩を甘噛みされる。時々吸ったりして舐められたりする。これは千鈴さんもしてた気はする。もっとも噛んだ後にだが。
くすぐったくはあるが、まだ噛まないと分かっているため安心して受け入れられた。
ふと、存在を忘れていたタブレットが目に入る。その中では千鈴さんが苦虫を噛み潰したような、少し泣きそうな表情をしていた。
何故そんな顔をしているのかは分からないが、彼女を安心させてあげようと笑顔を向けて手を振ってあげる。
逆にもっと顔が強張った。おかしい、そんなつもりではなかったのに。
「千鈴ちゃん、ちゃんと聞いているー? 晴乃ちゃんの艶姿ばかり見てちゃダメだよ。はい、最後。ちゃんと噛むよって合図してから、ゆっくりと優しく噛むこと。ここまで力が抜けてれば、きっと痛みは最小限になると思うから」
何で千鈴さんが私ばかりを見るんだ? それにそんなに力が抜けているだろうか?
疑問だらけである。だが改めて気にしてみれば、体重を全て結花さんに預けていることに気づいた。思ったよりも脱力していたようだ。
そんなことを承知したうえで、黙って体を支えていてくれた彼女は今度こそ吸血するために肩へ口を付ける。
牙が肌へゆっくりと押し込まれる感覚がするが、ほぐれた肉は抵抗も少なくあっさりと受け入れた。
「ん……」
全く痛くないわけではない。しかし負の感情は少しも湧いてこなかった。さっきマッサージを連想したからだろうか、痛気持ちいいという感想が出てくる。
もう血が出ているのだろう。それ以上は牙を押し込まず、唇や舌を使って血が持っていかれる。
普段であればここからが長くなるのではあるが、指導目的なのは嘘ではないらしく早々に吸血は終わった。
口を離した結花さんは私を片手で抱きしめ、タブレットにピースサインを向ける。
「いえーい、無事吸血終了です。千鈴ちゃんどうだった? 参考になったかな」
「参考にはなった……うん。だけど、ちょっとやり過ぎじゃない!?」
「そんなことないよー。懇切丁寧に教えるためには致し方なかったのさ」
「もう、もういいよ! それよりも早く晴ちゃんから離れてっ!」
再びタブレットの画面が大きく揺れる。まるで画面越しに姉へ飛び掛からんとする勢いだ。
「えー? もう少しくらいよくないかい? いやさ玄関で抱きついた時も思ったけど晴乃ちゃんは抱き心地がいいねぇ」
「お姉ちゃんっ!」
呼び方が変わるくらい激昂していた。いや元はその呼び方だったのだろう。意識的に変えていたのが戻っただけみたいだ。
そんなどうでもいいことを考えるくらいには、現在私は蚊帳の外だ。むしろ蚊帳の外でいたい。喧嘩に巻き込まれたくない。
「もー、千鈴ちゃんってば怒りんぼなんだから。これにてお姉様の吸血教室はもうお仕舞。これからは大人の時間だから、千鈴ちゃんには見せられないの。じゃあ切るね」
面倒くさくなったのか、強引に話を打ち切りタブレットの電源ごと通話を切りに行く。
もうお仕舞?
千鈴さんとの通話をもう終えてしまうのか。それが少し意外だった。
なぜならまだ結花さんの目的が見えてこないからだ。
千鈴さんと通話することがヒントになると思っていたから、肩透かしをくらってしまう。まさか本当に吸血の仕方を教えるためにこんな事をしているのか。
いや流石にあり得ない。それならわざわざホテルに連れてくる意味が分からない。
頭を巡らせて考え込むが、それでもそれらしい説さえ浮かんでこなかった。
……なんか考えるのも馬鹿らしく思えてきた。
直接聞いてしまおう。ここまで協力したのだ、いい加減真面目に応えてくれるだろう。
「それで、これからは何をするんですか? それと何をしたらいいのでしょうか」
「んー? さっき言った通りだよ。ここからは大人の、じ・か・ん」
ニマーっと口角を上げた笑い方をしながら、彼女は不真面目にそう答えた。




