第22話 酷暑だったよ
「あついぃ……」
学校からの帰り道、もう少しで家に着くあたりでついに我慢が出来なくなって、独り言をぼやいた。元々人通りの少ない道ではあるのだけど、今日は暑いからか人影はまるでない。私のつぶやきは誰に聞かれることも無く消えていった。
今日は良く晴れた、時期にしては気温の高い一日だった。
学校の教室でもずっと窓を開けっぱなしにしてた。夏服への衣替えがまだだったため、みんな上着を脱いで、中には袖まくりまでする人もいたぐらいだ。教師も熱中症になるよりはましだと、制服を着崩してる人がいても見て見ぬふりをしていた。
私も流石に上着を脱いで、手に持っている。それに帰り際には、友達に日焼け止めも貸してもらった。「あんた肌弱いんだから、この時期から常備しなさいよ」とお小言も頂いたけど、まだ要らないかなと持ってきていなかったので大変助かった。
本当に貸してもらえてよかった。今私に照り付けている日光は、夕方にも関わらず夏場のそれと変わらない。私が吸血鬼ならとっくに灰になっていただろう。いや吸血鬼じゃなくても灰になりそうだ。
喉の渇きも非常に辛い。家から持って行った分や道中で急遽買い足した飲み物は全て飲み切ってしまった。しかもそれら全てが汗として出てしまってる。
夏場であればこれくらいの暑さは当たり前なのだけど、こんなに急に暑くなられると体がついていかない。徐々に慣れていくから耐えられるのだ。
這う這うの体で、なんとか家までたどり着いた。鍵を取り出す気力も無く、チャイムを鳴らして扉を開けてもらうことにする。
我が家には正門と玄関の二か所にチャイムが取り付けられてる。正門のは来客用、玄関は私達姉妹ぐらいしか使用していない。だからこちらを押せば私が帰ってきたと察してくれる。
ゆっくりと長く一回だけ押す。扉越しに中からチャイムの鳴る音が聞こえた。そして一分ほど待つと鍵の開く音が聞こえ、扉が開けられる。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
今日出迎えてくれたのは司さんだった。この暑い中でもまるで崩れず、平常通りの雰囲気を保っている。
「ありがとぉ、司さぁん。ただいまぁ……」
「今日はずいぶんと暑かったようですね。お屋敷の中に居ても相当なものでしたので、外はなおさらでしょう。さ、早くお入りください」
家の中は外に比べれば天国だった。よく換気されているのか、熱はこもっておらず涼しい。なにより直射日光がないだけでも全然違う。
「お嬢様、いかがしましょう。かなり汗をかいていらっしゃいますし、一度シャワーだけでも浴びられますか?」
「うん、そうする。……でも喉がカラカラだから、まず先にキッチンで何か飲んでくる」
「そうですか、わかりました。本日は突然の猛暑でしたので、麦茶をたくさん淹れて冷やしております。キッチンには八城さんがいるはずですので、彼女に用意してもらってください」
「ほんとっ、嬉しい!」
冷たい水分が取れればもう水道水でも構わないくらいだったけど、冷たい麦茶があるならそれが一番いい。気を利かせくれた司さんに感謝だ。
「それと鞄をお預かりします。私は鞄を部屋へ置いてから、お嬢様の着替えを浴室まで持っていきますので、水分を補給したらそのまま浴室までいらして下さい」
「何から何までありがとう司さん」
いつもであれば司さんに多くの負担をかけまいと、それくらいのことは自分でやるんだけど、今日は限界ギリギリなので素直に言葉に甘える。
鞄を渡して足早にキッチンへ向かう。今は麦茶のことで頭が一杯だ。早くこの乾いた喉を潤したい。冷たい液体が口から喉へ、喉から体へ滑り込んでいく感覚を想像する。きっと堪らなく気持ちがいい。
もはや焦燥にも似た気分でキッチンへ駆け込んだ。
「晴ちゃん、麦茶――」
キッチンへ入り、晴ちゃんの姿が目に入る。
本日の彼女の装いは、一目でわかるほどに普段とは違っていた。
髪を後ろで束ねていたのだ。彼女の髪は、後ろ髪が肩に届くか届かないか程度の短さしかない。そんな長さの髪をゴムで束ねているから、ボブポニーテールになっている。
そうなると、どうなるか。
後ろから見ると、うなじが丸見えなのである。白い素肌は汗ばみ、光沢を帯びている。それがより一層瑞々しさを演出していた。
瞬間、あるインスピレーションが頭の中へ浮かぶ。
――麦茶よりも晴ちゃんの血を飲んだ方が、何倍も素晴らしいんじゃないか?
「あ、おかえりなさい千鈴さん。麦茶ですね。すぐ用意します」
「……やっぱり待って」
「なぜです? 暑かったでしょう……わっ」
冷蔵庫へ向かっていた晴ちゃんを止める。そして不思議そうに振り返った所を、後ろから確保した。彼女のお腹へ腕を廻し、顔を背中へ押し付ける。抵抗は無く、むしろ受け止めるような動きを感じた。
息を大きく吸い込むといつものように彼女の匂いがした。いや、暑かったからだろうか、いつも以上に濃い匂いがする。
変態じみた行為だと自覚はしているけど、こうしたいし止められない。
「あの、突然どうしたんですか?」
「……したい言ったら、怒る?」
「ああ、吸血ですか……」
彼女は考えるように押し黙った。彼女も慣れたのか、私が甘えてくるときに欲してるものが分かるようになっている。
数秒、沈黙が流れる。
私の心臓は緊張で破裂しそうなくらい脈打っていた。彼女の次の言葉が怖くもあり、期待もしてる。最悪の想像と希望の妄想、両者が同時に混在していて、おかしくなりそうだ。
「冗談だよ、驚いた?」と嘘をついてでも、誤魔化してしまおうかとも考える。しかしそれよりも早く、彼女からの返答があった。
「怒ります。後でお説教させていただきます」
心が萎む。ああ、やっぱりダメだったかと。
だけど、すぐに違和感に気づく。
何か変な言い回しではなかったか。その言い方だとまるで……
「決してしてもいいとは言えないのですが、我慢、出来ないんですよね? では一旦発散させましょう。怒るのはその後にします」
わざと怒っていることを見せつけるような、芝居がかったしかめっ面をしてそんなことを宣う。
――頭の中の何かの線が切れる音がした。そんな気がした。
実はためらいがあったのだ。帰ってきて早々、夕方からこんな場所で無茶を言ったら、流石の晴ちゃんでも呆れてしまうのではないかと。
以前にここで吸血してしまった際は、誤解からの行為であったとはいえ、怒らせてしまった。
勘違いを咎めるものでもあったが、場所と時間を考えるように諭された。
そう既に一度怒られているのだ、二度も同じ間違いを犯す時、彼女は許してくれるのか不安だった。
最悪、彼女との関係性が変わることさえ考えられた。この一件だけで完全に距離を置かれることはないかもしれない。だけど今の関係性から、少しでも距離が離れたことを感じるのは絶対に嫌だった。
その可能性を考えて怯えていたのに……晴ちゃんは、晴ちゃんはもうっ!
許していないと言ってるけど、そんなの建前にしか聞こえない。後で怒るということは、今は何しても受け入れますよと言ってるのと同じ意味だ。それは許しているのと、どう違うの教えて欲しい。
いや逆だ、私が教えてあげなければなるまい。
ここまでくるとムカムカしてくる。これは怒りではない、苛立ちだ。
最初のうちは、何でも受け入れてくれる晴ちゃんに助けられてた。我儘を言ってもいいと教えて貰えたし、甘えられることが非常に嬉しかった。
今みたいに彼女の迷惑になるかなとか、これは嫌がるかなと思っても、結局は受け入れてくれるのだ。そんなところが好きだし、夢中になってる理由でもある。
だけど、こうも思ってしまうのだ。
何でも受け入れてくれるのは、私を保護する対象と見ているからだと。つまり初対面の頃の「指を吸った可愛い後輩」と未だに思われていそうなのだ。
あの時の事は感謝してるし、いつまでも素敵な思い出として残るだろう。
でも、そのままの印象で居続けるのは、ちょっと面白くない。
私だって晴ちゃんを無理矢理みたいに、その、襲って、ほら、酷いこととか、するかもしれないじゃん。
私だって、やるときはやるんだよ。
それを教えるためにも今はまず、あまり何でも許し過ぎるとどうなるかを、彼女へ思い知らせなければなるまい。
「晴ちゃんっ!」
もうどうなっても知らない。遠慮なんていらない。私はただこの喉の渇きと、昂りきった衝動を満たすためだけに動くことにする。
手始めに彼女の上着を力まかせに剥ぎとった。




