第20話 羞恥はありません
「おはようございます。晴乃です。起きていらっしゃいますか?」
扉をノックする。今朝もいつもの様に千鈴さんを起こしに来ていた。
昨晩は吸血がなかったので、よく眠れたからか目覚めはすっきりとしている。
今の季節、朝は冷やりとした空気が残っており、少し肌寒いかなと思うくらいの温度感が気持ちいい。外も静まりきっており、時々聞こえるのは鳥の声くらい。早起きは得意ではないが、この雰囲気は好きだ。
さて、少し待ってみたが中からの返事はない。物音も聞こえないので、起きていないみたいだ。
「入らせてもらいますね」
一言断りを入れて入室する。
部屋の中は当然のように暗い。だが締め切ったカーテンの隙間から陽光が漏れており、廊下からの光と相まって動けるくらいの明るさは確保できていた。
まずはカーテンを開けに行く。千鈴さんの部屋は綺麗に片付いているので、床に物が落ちていることも無く安全に通行できる。ただ部屋の中央に置かれた、ガラス製のミニテーブルにだけ注意しなければならない。
しかし勝手知ったるなんとやら、もう既に慣れ親しんだ部屋なので、事も無げに窓までたどり着き、陽光を遮る厚いカーテンを開けた。
一気に明るくなる部屋。ベッドの上の千鈴さんにまでは直射日光は当たらないが、急に明るくなったせいか小さな反応を示す。
「んぅ……」
半覚醒といったところだろうか。光源へ背を向けるように寝返りをうち、布団を引き上げて頭から被る。起床を抵抗するのもいつもの事だ。
彼女の寝起きは良くない。すんなりと起きることは極まれである。例外として吸血した日の翌朝は多少ましにはなるが、二度寝も好んでいるので、やはりすんなりとは起きてくれない。
ベッドの淵まで近づく。まずは優しく揺すってみる。
「千鈴さん、朝ですよ。起きましょう」
個人的にはさっさと布団を剥ぐべきだと思っている。優しくしても寝起きの人間が素直に布団から出てくることはないのだ。出てくる人もいるだろうが、そんな人はそもそも他人に起こしてもらう必要はない。
我が家の起床方針では、無理やり布団からほっぽり出されることが当たり前だった。母が元気だった時には、私もよく腕を掴まれて引きずり出されたものである。
私も昔は寝起きはよくなかったのだ。
もっとも母が入院を繰り返すようになってからは、必然的に自身で起床しなければならなくなったのだが。
そんな昔のことへ思いを馳せていたのだが、気づくと千鈴さんが起きていた。
いや正確に言うと目を覚ましたというべきか、布団から目の下までを出してこちらを見ていた。寝ぼけて焦点のあっているか、あっていないか分からない目。部屋の明るさに煩わしさを感じてるように細められている。
「おはようございます。お目覚めになられましたね」
私の言葉を聞くや否や、また布団へ潜り込もうとする。流石にそれを許すほど優しくはない。布団の端を掴み、逆に肩のあたりまでめくりあげる。
「ほら、いい天気ですよ。体を起こしてください」
起床とは読んで字のごとく、床から体を起こすことだ。いくら目が開いても、体を横たえたままでは、どうせまた眠られてしまう。それに一度体を起こせば、大抵は諦めて起きてくれる。
じっと責めるような目つきでこちらを見てくる千鈴さんへ、笑顔で起床を促す。彼女がこうまで嫌そうな顔を私へ向けるのも、この時ぐらいなものだろう。
ただ起こしに来ると大体この顔をされるので、もう新鮮味はなくなっている。
数秒間のにらめっこが終わり、千鈴さんも諦めたのか布団を引き上げようとしていたのを止めた。
代わりに掌を開き、両腕をめいっぱい伸ばして私に向けてきた。
「んっ」
雰囲気から何かを要求していることは分かる。しかし何を求めているのだろうか。
先日私も同様のポーズをとったことはある。確かあれは千鈴さんを胸の中へ迎え入れる格好だったはず。そういうことなのか?
よくわからないが、とりあえず上半身だけ抱きしめてみた。
ベッドの上へは上がらず、立ったまま腰を折り曲げる姿勢で行うためかなり無理をしている。
「……なにしてるの?」
要望にできるかぎり最大限応えたつもりなのだが、彼女からは困惑の声が返ってきた。正直言うとこれは違うよなとは思っていたので、さもありなん。ちょっと恥ずかしい。
「手を引いて起こして欲しかっただけなんだけど」
ああそういうことか、言われてみれば納得する。
逆になぜそれが思い浮かばなかったのか。やはり先日の自身の行動が思考を引っ張ったからか。吸血の時といい抱き合うことが多くなったせいで、腕を広げられるとそうとしか見れなくなっている。
気まずくて彼女の顔を見れない。
「でもいいや、これって『私を抱き枕にして二度寝して下さい』ってことだよね? それなら遠慮なくそうしちゃおっかな」
それは違う。変な曲解をしてないでほしい。
背中に彼女の両手が回されて、強く抱きしめられた。そして寝返りを打つように体を捻ることで、布団をどけつつ私をベッドに引きずりこもうとする。
流石に力は彼女の方が強いので抵抗できない。せめてもの思いで、内履きをベッドの上にあげないように急いで脱いだ。
背後で内履きの落ちる音が聞こえる。勢いよく足で弾くように脱いだので、遠くに飛んで行ったみたいだ。
「晴ちゃん捕まえちゃった」
「こら」
この状況はよくない。今日はふざけているだけだと思うが、前回もこんなことがあった。そうなると今日も同じ展開になる可能性がある。
前回は結局、学校を休むことになってしまった。たまになら許されるかもしれないが、こんな短期間で二度も休むのはよろしくない。
それに司さんも流石に今回は怒るだろう。それが私が原因となるならなおさらだ。きっと二人一緒に叱られる。
いや叱られるだけなら、まだましかもしれない。私が千鈴さんへ悪影響を与えていると判断されたら、面倒なことになる可能性さえある。
なんとか彼女を説得せねばなるまい。
だが寝起きの彼女はすこぶる聞き分けが悪い。ただ説得するだけで聞いてくれるものか。
少々強引にするしかないか。
千鈴さんの脇のベッドへそれぞれ両手をつく。自身の体を起こすように手を突っ張ってみるが、私の腕力では、抱きつかれていることで増えた二人分の体重を持ち上げられない。
このまま脱出できたらよかったのだが、彼女の腕力を振りほどけはしない。
かろうじて肩から上は少し持ち上がったので、頭を上げる。そしてそのまま千鈴さんの額へ頭突きをした。
「いたっ!」
千鈴さんは目をつぶり眉間に皺を寄せて大袈裟に反応した。
そんな痛くはないはずだ。
まるで勢いのない、コツンと音が鳴る程度の頭突き。した側の私にも衝撃はあったが、まるで痛くはない。彼女も恐らく痛かったというよりは、反射的に反応しただけだろう。
そのままおでこを突き合わせる。
やはり説得するには目と目を合わせるのが一番効果があると思う。相手の感情を読み取りやすいし、なによりも相手に真剣さが伝わる。そう考えての頭突きだ。決して彼女に暴力を振るいたかったわけではない。
急な衝撃によって生まれた、千鈴さんの緊張が解ける。強張った体から力が抜け、眉間からも皺が無くなった。最後に固く閉じられた目もゆっくりと開き始めた。
「千鈴さん、もう本当に起き――」
「わぅっ!」
目が合った瞬間に体を引き離された。
手で私の肩を掴み、下から勢いよく持ち上げたのだ。急にされるものだから、彼女だけでなく私も驚いてしまった。
「ち、ちか、近くない!?」
確かに至近距離ではあった。おでこはくっつき、鼻の先もぎりぎりぶつからない程度の距離だった。
「それはそうですよ。抱き合っているのですから」
「で、でも、顔っ。顔が近かったよ!」
もう、そうするしかなかったので許して欲しい。急に目の前に顔を出して驚かしてしまったが、もとはといえば千鈴さんがふざけたのが原因だ。
「驚かせてしまったことは謝りますが、起きて下さらないのも悪いんですよ。むしろ驚かせることで目が覚めたなら何よりです」
ベッドの脇に降りながら、抗議しておく。
もし許されるなら、これから彼女を起こすときはこれをしようかと考える。一発で起床してくれるほど効果が高いなら、これからも多用していきたい。
「う……ごめんなさい」
「はい。これでもう起きてくれますよね」
「……うん。目がすっかり覚めちゃった」
そう言って、体を起こしてベッドの淵に足を降ろし、腰をかけた。
「それに……熱くなってきたし」
まるで心臓を抑えるように両手を胸に当て、私の目線を避けて顔を伏せる。
「そうですか? 部屋に熱が籠っているかもしれません。窓を開けましょう」
冷たい空気で換気すればきっと気持ちいいに違いない。そう思ったのだが。
「い、いいから。もう起きた、起きたからっ。着替えるから出て欲しいな」
急に捲し立てられ、退室を促されてしまった。
起きたのであれば目的は達成しているので、素直に従って部屋を後にする。
キッチンへ戻る道中で、先ほどの彼女の態度について考えてみる。
もしかしてだけど、顔がくっつくほどの距離で抱き合ったことが恥ずかしかったのだろうか。そうかもしれない。暑さのせいかもしれないが、顔も僅かに紅潮していた気もする。
しかしそうだとすると、府に落ちない点もある。
あれぐらいの接触はもう何度もしているのだ。吸血の際はその体勢になることがほとんどなのだから。私だって慣れてしまった。
そもそもボディタッチ等のスキンシップが多いのは彼女の方である。初めのころは私も彼女にあちこち触られることに照れを感じたものだ。これももう慣れたが。
スレてしまった私は置いといて、彼女が今更照れることなどないと思う。
何か心境の変化でもあったのだろうか?




