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第1話 味見されました

「先生すいません。指切ってしまったので絆創膏……」


 授業中に紙で右手の人差し指を切ってしまった。思ったよりも深いのか血が垂れてきたので左手で傷口を圧迫止血している。

 保健室の引き戸を手こずりながらも少しだけ開け、体を滑り込ませるように入室しながら声を掛ける。しかし言い終わる前に先生の不在に気付いた。


 そこまで広くはないが衝立やベッド仕切るカーテンがあり全体を見渡すことは出来ない。だがよく仮病を使って寝に来ているおかげで、入っただけで勝手知ったる我が家のように状況は理解できた。


 先生は確かにいない。切った指の手当てをしてもらいながら雑談して、さぼろうかと思っていたので落胆する。代わりに2台あるベッドの奥の方に誰かが寝ていた。カーテンが引かれ全体は見えないが、端の方から可愛らしい靴下を履いた足が覗いている。


 先生が席を外しているならさぼるのは諦め、勝手に絆創膏を貰い退散しよう。授業中の校舎は遠くの喧騒が聞こえる程静まり返っていた。寝ているかもしれない先客起こさないよう、静かに入口近くの棚へ向かう。


 曖昧な記憶で、確か絆創膏があったであろう箱を物色し始めると、僅かに耳へ届く音に気付いた。


「……ぅ……ぅぅぅ……ぅぅ……ぅぅぅぅ」


 こもっていて小さいが唸るような呻き声。寝ていると思っていた先客から発せられているようだ。寝言やうなされている可能性もあるが、保健室だと考えると具合が悪くなって声を漏らしている方がありそうか。様子だけでも見ておいた方がいいかもしれない。


 保健室の先生には家庭事情も考慮してもらい、私の仮病を黙認してもらっている。代わりに保健室にいる間は、先生が席を外す際に留守番を任せることも多い。勿論勝手に手当などを行うわけではないが、様子を見て深刻そうであれば先生を呼びに行く程度のことはする。


 同様に寝ている生徒の具合が急変しているようであれば、知らせに行くべきだろう。


「あの、大丈夫ですか。そちらに行ってもいいですか」

「……平気……です」


 声かけに応えてはくれたものの、どう聞いても声色は弱々しい。平気だと言ってはいるが顔くらい確認しておくべきか。余計なお節介になるならそれはそれで構わなかった。


「すいませんが一度覗かせてもらいますね」


 締め切られたカーテンの反対側へ回り込むと、小柄な女生徒が横向けに寝ていた。顔色を見たかったが、大きな枕を抱きかかえ顔を埋めている。声がこもっていたのもそのためだろう。


 腰まで届く髪は黒に近い紺色でゆるくウェーブしており、癖毛なのかところどころ撥ねている。毛量が多いからか、ふわふわと柔らかそうな長毛種の動物を想像させた。前髪を細く白いヘアバンドで抑え、上着を脱いだ制服のブレザーを着ている。枕と体の隙間からは一年生を示す色のネクタイがはみ出していた。


 声を掛けたにもかかわらず、少女はこちらを見ようともせず、小さなうめき声も止まない。同性であるし、セクハラにはならないだろうと、か細い肩を左手でつつく。


「もしもし、大丈夫ですか。もし我慢出来ないほど気分が優れないようでしたら先生を呼びましょうか」


 とりあえず声をかけ続ける。それと同時に、やはり顔色は見ておいた方がいいかと思い、抱えた枕を顔からずらそうと試みた。


 その時だった。


 急に彼女の右手が動いた。気を害して手を撥ね退けられるかと身構えたが彼女の行動はまた違うものだった。


――がっしりと手首をつかまれたのだ。それも伸ばした方ではない、ケガをした右手をだ。


 小柄な体躯に反してその力は非常に強い。突然のことに反応ができず固まってしまう。ゆっくりとだが確実に、掴まれた手が引かれてゆく。


 強く振り払えば離れるかもしれないが少女相手にそれも憚られる。そもそも私の力で振りほどけるのだろうか。それほどに力を込めて掴まれていた。


「……あの、気に障ったなら謝りますから手を……」


 離して下さいと続けようとしたところで、ようやく少女の変化に気づく。


 呻き声が止んでいる。枕を手放し現れた顔は、のぼせたような、もしくは興奮したように紅潮していた。くりくりとした丸い目は涙で潤んでおり、通常であれば可愛らしいのだろうが、今は大きく印象が異なる。


 金色の瞳に大きく開かれた縦長の瞳孔。肉食獣に類似したそれは、圧さえ感じられた。

 瞳は寸分も揺らがず、じっとりと一点を見つめている。視線の先には掴まれた右手、さらに厳密に言えば切り傷により薄く血で濡れた人差し指。


 手を掴んだまま動かない少女は押し殺した様な息をし、何かを我慢するように体を震わせる。


 この子、吸血人だったのか。ただならぬ様子にも合点がいく。そして彼女の豹変の原因も推測できた。


 この世界には吸血人と呼ばれる人種が存在している。


 おとぎ話に出てくる吸血鬼のモデルであり、実際大昔は同一視され迫害の対象になるなどしたらしい。


 しかし空を飛んだり霧に化けたり等の超常の力は持っていないことが長い時間を経て大衆に認知され、共存するための決め事が制定されたことで、害をなす鬼ではなく人間の良き隣人として迎え入れられた。名称もこの時期に吸血人と改められる。


 彼らは名称に付けられる字の通り、血を吸い自身の糧とする。吸血は彼らにとっての健康に大きく関わり、本能的にも完全に止めることは不可能だ。特に欠乏時の欲求は非常に強く、深刻になると我を忘れる程だと噂される。


「もしかして、お腹すいているんですか?」


 ベッドに腰かけ目線を合わせて問いかけると、びくりと少女の体が大きく震えた。うろたえ分かりやすく泳ぎ始める目、きっとこの子は素直な子なのだろう。

 事情は知らないが、未だ欲求を理性で押し留めようとしている。数秒逡巡した後にギュッと目を閉じ、掴んだ手を放して、意を決したように声を出した。


「いらな――」

「遠慮しなくていいですよ」


 自由になった右手、その人差し指を彼女の柔らそうで瑞々しい唇へもっていく。

 傷ついた指の腹で、紅を引くように彼女の下唇をスッとなぞると、血で僅かに赤く色づいた気がする。


 予想外の行動だったのだろう。放心して呆然とする彼女だが、欲求だけは意識と切り離され動く。桃色の小さな舌がゆっくりと唇に付着した血を舐めとり、白く細い喉が上下に動き嚥下した。


 味を占め、欲求に突き動かされた可愛らしい獣は、目の前の指を浅く咥え舐め始める。指から垂れて乾きかけた分を舐めとっても終わる気配はない。それどころか、もっと寄越せとばかりに傷口を甘く噛み始めた。


「……んっ」


 流石に傷口を痛めつける刺激に食いしばる様な声が漏れた。だが煽ったのは此方である。今更取り上げることは出来ないし、したくない。


「乱暴にしてはいけませんよ」


 優しく背中を撫でながら諫めると落ち着いた表情となり、噛むのは止めてくれた。

微睡む様な、陶酔した顔でただひたすらに指を舐める。チロチロとした舌の感触がこそばゆい。


 血が止まりかけると今度は舌で傷口を虐めてくるが、噛まれるよりは痛みも少ないので満足するまで好きにさせることにした。


 静まった部屋にピチュ、ピチュと断続的に水音が鳴る。


「まるで子猫にミルクを与えている気分です」


 思ったままの感想を口にすると、彼女は恥ずかしそうに目を伏せる。

その反応が可愛くて、嫌がるかなと思いつつも背中を撫でていた手を首筋に差し込み、今度はうなじから耳の後ろや首筋を撫でてみる。細く柔らか毛が手の甲に当たりこそばゆい。


 抵抗は無かったが、彼女もくすぐったいのか数度身動ぎをし、幼さの残る頬と耳が先ほどまでとは別の意味で紅潮した。


 静かな部屋で穏やかな時間が過ぎていく。


 先生も戻ってこない。体育の授業だろうか遠くから歓声のような声も聞こえる。


 そういえば、ずいぶんと時間が経ってしまったように感じるが今何時だろうか。今も熱心に指を舐める少女を刺激しないように背後を振り向こうとした。


 突如大きな電子音がスピーカーからなり響く。


 ずっとそのままでいるかのように感じられた時間はチャイムによって遮られた。


 ハッと覚醒したかのような少女の口から指を引き抜き、糸を引くように垂れた唾液をハンカチでふき取る。血は止まりかけているようだ。


「完全に落ち着いたようですし、次の授業もあります。これくらいにしておきましょう。」

「……あ、あの、その。あ、ありがとうございました……」


 「いえ大したことではないですよ」と返してみたものの、冷静に思い返してみると少しばかり恥ずかしさもある。困っていそうだったとは言え、後輩の、ましてや初対面の少女にする対応ではなかった気もしなくもない。むしろ普通に考えれば先生を呼んでくるのが最善ではあっただろう。


「……あー、うん、えっと。良ければですが二人だけの秘密にしませんか」


 厳しく糾弾されることは無いだろうと打算もあるが、一応保身の提案をしてみる。無かったことにするのが一番良い。


 少女は嫌に真剣な眼差しで、大きく首を振って頷いてくれた。内心安堵する。


「それでは私は先に戻りますね。あなたは……、まだ休んでいてもいいじゃないですかね」

「……いえ、今日は先生へお願いして早退させてもらいます……」


 それもそうか。原因は体調不良ではないのだから、休んでも意味がないのだろう。その場しのぎはしたが学校にいても解決までは至らない。

 それよりも帰宅すれば何らかの方法で対処出来るのだろう。そこら辺の事情には疎い私よりも彼女の判断に任せる方が賢明だ。


「そうですか、ではそろそろ行きます。……またね」

「……ま、また……。は、はいっ」


 小さく手を振ってから、保健室を後にする。多分気のせいだとは思うが完全に扉が閉まるまでの間中ずっと、熱のこもった視線を向けられていた気がした。


 教室を目前にしたところで、そういえば指の傷がと思ったが改めて見ると、血は止まりほとんど塞がっている。代わりにほんの少しの気怠さを感じ、以降の授業には眠気を呼ぶこととなった。





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