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プロローグ

 薄暗い廊下を長身でメイド服の女性が歩く。壁の所々に埋まった、ボンヤリと光る間接照明だけを頼りに歩いていた。夜中ということもあり屋敷の中は静まり返り、女性の足音と外からの虫の音だけが聞こえる。


 目的の部屋の前に着いた彼女はノックはせず、ゆっくりと音を立てないよう扉のノブを回し、顔が入る程度の隙間を開けた。部屋の中は廊下よりもなお暗いが、補助照明でもあるのか薄っすらと視認できる程度の明るさはある。


 女性は扉の隙間から顔をのぞかせ内部を確認すると目的の人物はすぐに目視できた。部屋の壁際に置かれたキングサイズのベッドその上に二人の少女のシルエットが見える。

 

 一人は上半身を起こした長髪の少女、もう片方はそれにしなだれかかるようにして身を寄せているショートカットの少女。しなだれかかっている方が正面から抱きしめられている態勢だ。


 長髪の少女が扉を開けた存在に気づき、女性に目を向ける。ベッド脇の柔らかい光を発しているテーブルランプ、それが逆光になり顔に影がかかって表情は上手く伺えない。


「……お嬢様、起きていらっしゃったのですね」

「なんできたの?」


 もう一人は寝ているかと思い小さく声を掛けるが、お嬢様と呼ばれた少女は特に気にもせず声量は普通だ。よくよく耳を澄ませると荒い呼吸音が聞こえる。


 徐々に部屋の暗さに慣れ始めた目を凝らすと、ショートカットの少女もメイド服を着ており、はだけられた上半身は大きく息を吸い込む動きで上下している。

 ぐったりと力が抜け、こちらを見る気力さえ無いが、どうやら二人とも起きているようだ。


 部屋の中へ体を滑り込ませた女性は入口の近くで一礼し、要件を手短に伝える。


「彼女を回収に来ました」

「なんで?」


 小首を傾げる少女。顔の位置を動かしたためか、それともメイドの女性の目が慣れたためか、少女の目だけが暗闇から浮かびあがる。今やまるで目だけが光っているかの如くよく見えた。


 黄色い瞳に縦長の瞳孔、肉食獣を彷彿とさせる目は見開かれ、女性に対しての警戒心を表すかの如く据わった目で此方を見据えている。


「お嬢様はここ最近、連日にわたって彼女とされていると伺っています」

「うん! とっても良いの。ほんとに、……本当に! だからあなたにはすごく感謝してるの。連れてきてくれたのも、後押ししてくれたのもそう、ありがとね?」


 目が柔らかく歪み、笑みを形作る。しかし笑みもつかの間、すぐに鋭い目つきへ変わり再び女性をねめつける。


「……なのに、何で連れてこうとするの?」


 離すまいと抱きかかえる力がさらに強くなったのか、腕の中の少女が小さく呻いた。


「私としてもお嬢様方のことは応援しております。ただ流石に多すぎるかと存じます。最近ではこの影響で少し体調を崩している節も見られました」

「……そうなの?」

「ええ、お嬢様が学校へ行っている間の事なのでご存じないのも仕方がないかと」


 そうだったんだと呟きが漏れ、労わる様な優しい手つきで背中が撫でられるがそれでも手放そうとはしていない。


「今日この時間ここへ来たのは、まだ続いていた場合に強制的に終了させて彼女を回収し、別室で休ませるためです」

「……もう終わるつもりだったよ?」


 本当だろうか?と女性は思う。普段の少女であればこんな些細な嘘はつかないだろう。しかし最近の変化を鑑みるに今の言葉が守られる予感がしない。理性ではなく欲望に流される姿をしばしば見かけている。


 昂ぶり、高揚しきった彼女がこの後何事もなく落ち着き眠るだろうか。女性には到底そうは思えなかった。

 自身が引き下がり、この部屋から出て行こうものなら、すぐにでも抱き締めた少女へ襲い掛かり、再開するだろう。やはりここは別々に離した方が良さそうである。


「では連れて行ってもよろしいですか?」

「それは……だめ」


 ばつが悪そうな弱々しい声が部屋に溶けていく。少女の拒絶の意思は堅く、腕の中の物を引き寄せ、取られまいと身構える。そんなある種の恐れの感情を見せられては、女性も無理やり引き離すことは憚られた。


 互いにどうすればよいかを探るための少しばかりの沈黙の時間、そこへ小さく掠れた声が割って入る。


「……お心遣いありがとうございます。……ですが、今日はここで寝ますね」


 それは女性でもお嬢様と呼ばれている少女でもなく、今まで黙っていたショートカットの少女だった。ここまでは静観していたのではなく、単純に余裕が無かったのだろう。しゃべる度に荒い呼吸音が部屋に響く。


「大丈夫ですか?」

「……今日はもう眠るだけだから平気、……ですよね?」


 問いかけられた長髪の少女は大きく頷き、ようやく強く回された手をほどいた。そのままゆっくりと、壊れ物を扱うかの如くベッドへ横たえさせる。

 限界は既に超えてていたのか、柔らかい布団へ沈んだ少女は糸が切れたように眠りにつく。


 その姿を確認した女性も静かに部屋を後にした。本心では強引にでも連れていくべきだとは思う。しかし両者合意の上であれば口を挟む必要はないと判断した。


 それに、眠りについた少女を優しく見つめる姿には、これ以上無理をさせる気配はない。昂っていた先ほどとは打って変わり、瞳にも理性的な光が見える。


 女性の退出を見届けた長髪の少女は、眠りについた少女の横へ自身の体を滑り込ませ、上掛けを二人を包むようにかけた。


「……はるちゃん、ありがと……」


 起こさぬよう自身にしか聞こえない小さな声を呟き、改めて柔らかく腕を回し抱き寄せる。肩の周辺に顔を埋め深く深呼吸すると幸せとともに眠気がやってきた。


 まどろみ白く霧のかかった頭の中は大部分を幸福が占める。ただ同時に僅かな後ろめたさも存在した。自身に幸せを与えてくれる少女、その彼女へ無理をさせていることはしっかりと自覚していた。しかし自分から止めることはきっと出来ない。


 きっと彼女から突き放されるまで私は依存してしまうのだろう。



 ――これは初めての吸血から一週間後の夜の事であった。





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