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白昼の幽霊

作者: 蒼乃モネ

 ミルシアは物心ついたときには、小さな孤児院にいた。

 孤児院の主である、未亡人二コラのもとで自分と同じ境遇の「兄弟たち」とともに育てられたのだった。

 ミルシアの容姿は、年とともに際立っていく豊かな金髪と青い瞳が高貴な身分のようであるため、貴族の血を引くのではないかと近所で噂されていたが、当人は気にしていなかった。

 いつも、街の小さな劇場にいる顔見知りの女優に憧れ、いつか自分もと夢見ながら日々を過ごしていた。


 彼女の住まいである風見鶏のついた孤児院は、街のはずれにあり、裏手からは森が広がっていた。

 広い庭には井戸や納屋が備えられ、遊び場には困らなかった。

 午後には木漏れ日が草原に地図を作り、池には鳥が水浴びに訪れ、それらを観察するだけでいつ何時も退屈しなかった。

 また、日々の手伝いで忙しかった。

 孤児院は貧しく、自給自足の生活であったため、畑仕事には女子供関係なく従事し、みんな泥だらけになった。

 学校には行かなかったので、教会で読み書きを習った。

 孤児院では、兄姉たちに勉強を見てもらった。

 しかし、ミルシアはもっぱら歌や踊りに夢中だった。

 それらを生業とする劇場の女優や旅芸人になりたいとさえ思っていた。

 もっとも、二コラはそれらを話半分に聞き流していたのだが。



 それでも、ミルシアには理解者がいた。

 もっとも信頼のできる兄弟のうちの一人で、名をハークといった。

 黒髪の素朴な少年ハークも、彼女と同じく外の世界を夢見る性分だった。

 ミルシアは、ハークについて街へ使いに出るのが好きだった。

 ハークが必ず寄り道をするからだ。



 ある日の午後。

 ハークはよくあるようにミルシアを連れて、市場からの帰り道、昼間でも薄暗い裏通りを歩いた。

 どこからか嫌な風が吹き抜け、背中の汗を冷やした。

 ミルシアはたまらなくなって足を止めた。

「ハーク、ここは来てはだめだと言われているところでしょ。ばれたら二コラに怒られるから引き返そうよ」

「わかってるって。でも、たしかこのあたりだったんだよな」

 不審に思うミルシアが恐る恐る「何を探しているの?」とたずねると、ハークはわざとらしく声を落とした。

「幽霊だよ。真っ白いベールをかぶったの」

 遠く聞こえていた雑踏の音が、ふっと消えた気がした。

「きゃー!」

 ミルシアは耳をふさいでしゃがみこんだ。ハークは呆れ顔で腰に手を当てる。

「大丈夫だよ。行くぞ」

「やだやだ、おいてかないで!」

 ミルシアは涙目になりながら、気にせずずんずん進んでいくハークの後を追いかけた。



 いくらか進んだところで、ミルシアはハークが嘘をついていることに気づいた。

 ハークはもっと確実な何かを探しているのだ。

 路地をひとつひとつ覗き込み、確認する。いない。肩を落とす。

 ミルシアは、むしろに座り込んだ浮浪者が、ときおり薄暗い目を向けてくるのがたまらなくなり、ハークの腕を引いた。

「もう帰ろうよ、ハーク!」

「あ、見つけた!」

 ハークはミルシアをつれたまま、一目散に走り出した。

 その先にいたのは、宙に浮いた幽霊―ではなく、白く長い衣装を身にまとった、異国風の男性だった。路地裏にいる人間とは思えないほど、品性ある立ち振る舞いであった。

 男はハークを目にした途端、待っていたように手を広げた。

 ハークは、上着のなかから紙きれを取り出した。

 それは、褪せた新聞記事の切り抜きであった。

「やっぱり、あんたが探してるのは昔の人だよ。暦を見ればわかる。もうとっくにこの世にはいない」

 ハークは背の高い異国風の人物にそれを突きつけた。

 異国人は受け取らずに、首を振った。

 彼の言葉は簡単な断片ずつであったが、意味は通じているようだった。

 男はそんなはずはない、と言った。

「私は確かに、以前、この街で会った。そしてまた会える」

「でも、その女のひとが生きていたのは、もうずっと昔のことだぜ?人違いじゃないか?」

「そんなはずはない。彼女は、私と話をした」

「じゃあ、なんだ。あんたもこの紙切れの時代から来たってのか?」

 ハークはミルシアを振り返り、「それじゃやっぱり、幽霊だ」とつぶやいた。

 白昼に落ちる薄い影が異国人の悲しげな表情を包んだ。



 異国の男は、彫の深い顔を地に向け、ぽつりとつぶやいた。

「<ディアナ>は―」

 ミルシアは、そこではっとし「夜の女神(ディアナ)!」と叫んだ。

 塵っぽく淀んだ空気がその声の反響で、いくらか澄んだようだった。

夜の女神(ディアナ)は古くからあるお芝居の役の名まえよ。道化師(プルチネッラ)が、彼女に恋をするの」

 ハークが日に焼けた新聞記事の切り抜きをミルシアに見せると、間違いないと頷いた。

 その挿絵は、夜の女神の神秘的な衣装を身にまとった女性の横顔だった。

 ミルシアは、名場面であるらしい歌唱のひと節を歌い上げた。

 異国の男は、すぐに意味を理解し、神妙な面持ちをした。

 ミルシアは即座にハークの腕を引いた。

「ハーク、劇場よ。連れて行ってあげよう」

 ハークは立ち尽くす異国の男を見た。

「どうする?」

 男は、首を振った。夢から覚めたように、ゆっくり瞬きをした。

 うつろだった様子が一変し、しっかりとした動作でベルトに下げていた革袋をさぐった。

「すべてわかった。礼だ」

 男から手渡されたそれは、少し歪んだ色の良い真珠だった。



 孤児院の夜は、騒がしい。

 二コラがいくら静かにと言い聞かせても、子供たちはなかなか眠りにつこうとしなかった。

 ハークの部屋では、遊び盛りの小さな「弟」たちが、じゃれあっていた。

 その部屋の小さな天窓からは星が見えるので、みんなが面白がって秘密基地のように集まるのが常だった。

 その日は珍しく、寝間着姿のミルシアも訪ねてきた。

「ハーク、今日のこと、気になって眠れないんだよね」

 ミルシアは、真珠を手の中で転がしながら言った。

 ハークも腕を組んで、うなだれていた。

「悪いことしたかな。ずっと探してた風だったから、俺が教えてあげなきゃと思ってさ」

 ハークは幼い子供たちを目で追いながら、ため息をついた。ミルシアはそうよね、とうなずいた。

「でも劇場の彼女も酷いわね。お芝居の役名で騙して会っていたんですもの。もうあの異国人は帰っちゃったかもね。名前も出身もわからないまま」

 ハークは、ミルシアの手の中のものを指さした。

「海の方から来たみたいだ。ただものじゃない感じがしたし、案外お金持ちかも」

「そうなの?」

「その白い玉だよ。この図鑑に載ってた。海の宝石なんだって」

「そうなの。ハークは物知りね」

「落として、なくすなよな」

「兄」らしいハークの言葉に、ミルシアは頷いたとたんさっそく床に落としてしまった。


 慌てたミルシアは這ったまま歪に転がっていく真珠玉をつかまえると、いつのまにか扉の前に来ていた孤児院の「母」である二コラのつま先に行き当たった。

 ミルシアは今日の寄り道がばれたことを本能的に察知し、長い説教がはじまるのを覚悟した。

 しかし、二コラは存外静かな声でひとことだけ言った。

「あんたたち、あまり遠くへは行かないでおくれよ」

 ミルシアは拍子抜けし、共犯者であるハークのほうを振り返った。

 ハークは、開いていた博物誌をぱたんと閉じ、微笑んだ。

「安心して。いつもここに帰ってくるよ」

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