7話:御主人様
彫像の中から、白銀のドレスを身に纏った女性が現れた。
ボクの中では予期していない出来事に、呆気に取られていた。
首元あたりにかかる黄金色輝く金髪、端正に整った顔立ち、贅肉が削ぎ落とされた引き締まった細身の身体。その美貌に、目が離せなかった。
「フロース……!」
お伽噺めいた光景に、呆然としていたボクは、ルナの呼びかけで、ハッとした。
「驚くのはわかるけど、油断はしないで」
ルナの言う通りだった。
ここは地下迷宮。どんな想定外な出来事が起こってもおかしくない。
次の瞬間には、絶命する可能性だってあり得る。
地下迷宮で仲間たちの死を目の当たりにして、それを痛感したじゃないか。
「ごめんね、ルナ。ありがとう」
「お礼はいらないから! 今はアイツを警戒しなさい!」
ルナの目線は、女性から見つめたままだった。
ボクは彫像の女性を見据える。
閉じていた瞼が、ゆっくりと開かれた。
雲一つない蒼穹を連想される大きな瞳だった。まだ目覚めたばかりで、意識がハッキリしていないのだろうか。青い瞳は微睡んでいるように見えた。
果たして、彼女を脅威と見做していいのだろうか。
いざ対峙をしてみると、隙だらけだった。
ボクを油断させる強者からくる余裕なのか、力のない弱者の無力からくるものなのか。
いったいどちらなのか、判別がつかなかった。
もしこちらから攻撃した時に、反射を喰らったら?
それで初見殺しを喰らうかもしれない。
あるいはこうして煮えきらえない間に、力を貯めていたとしたら?
「あぁ……死にたくなるなぁ」
思考することを放棄したい。楽になりたい。
でも考えるのを止めてしまえば、ロクでもない結果が待ち受けている。やはり彼女に対して何かしらの対処をする必要がある。一刻も早い決断をしないと。
ふと、プレートに刻まれていた名前が脳裏によぎった。
「あなたは、ガーディン・セレクティア?」
ボクが出した決断は、対話だった。
彼女に言葉が通じるかどうかはわからない。
「敵の名前を訊ねてる場合じゃないでしょ!?」
ルナが面食らった顔をした。
ガーディン・セレクティア。
その名前に反応したのだろうか、彼女の目から微睡みが消えて、ボクと目線が合った。
その瞬間、緊張が走る。
彼女は、敵なのか、そうじゃないのか。
明らかになる。
彼女はボクを真っ直ぐ見て、
「はい、御主人様」
淡々とした声色でそう言った。
ん? ん? ん?
御主人様?
……御主人様?
「「御主人様!?」」
ボクとルナは同時に驚愕の声を上げていた。
なぜこの人は、ボクを御主人様と呼ぶのか。
今まで会ったこともないし、存在も知り得なかった彼女に。
いったいどうして。
「違うよ! ボクは君の御主人様じゃない!」
ボクは両手を振りながら、慌てて否定の言葉を口にした。
「私の名前を呼んじゃありませんか」
「もしかして、フロース……あんたがさっき読み上げたやつって、契約の契りの効果があったとか?」
「そんなもの見たことも聞いたこともないよ!」
「私はあなたの従者。何なりとお申し付け下さい」
そういって女性――ガーディンは礼節のあるお辞儀をしてみせた。
ボクも反射的に、ソレに倣って、お辞儀を返してしまった。
「申し付けて下さいって言われても……」
「どうするの? アタシたちを騙すために芝居を打っている可能性もあるけど……」
そう言いながらルナは、ボクの肩に足を組みながら座った。
「ガーディンに敵意はなさそうじゃないかな?」
「……そうなのようねぇ」
まさか地下迷宮を探索したら、従者を手に入れるなんて、予想外だった。
この状況をどうすればよいのかわからず、途方に暮れた。
「お困りごとはありませんか、貴方のために何でもいたします」
「そ、そうだねぇ……」
ガーディンにどう対応すればよいか逡巡していた時だった。
「マスター、下がってください」
突然、ガーディンがボクの片腕を掴むと、後方に引っ張り、ボクを守るように抱きしめていた。
その直後、隠し部屋の扉から派手な音がして、土煙が舞う。
巻き上げられる砂埃の中に、巨大な黒い影が二つあった。
それらは土煙の幕から、ゆっくりとした足取りで現れる。
「あいつら追いかけてきたの!?」
その影の正体に、ルナは叫ぶ。
ボクを殺そうとした二体のミノタウロスだった。
「ここ安全な隠し部屋じゃないの!? なんでここに入ってきたのよ!」
「……もしかして、ボクたちを追いかけてきた?」
「いやいや無理よ! あの斜面の通路はあいつらじゃ通れないわよ!」
ミノタウロスがここに来ることができた理由。
ミノタウロスを見て、ボクは一つの結論に至った。
「……自分たちが通れる大きさにした?」
二頭が持っている戦斧の刃先が少し欠けているし、手足には砂粒が付着している。
道が狭いなら、広くすればいい。
どうやら、あの二頭はそういう結論を出したらしい。
戦斧、拳、足、利用できるものを全部使って、斜面の通路を自分たちが通れるサイズに貫通したのだろう。瓦礫が降ってきて自分たちが圧死されるリスクを考慮せず、ただただボクを仕留めるためだけに追いかけてきた。
あまりにも馬鹿馬鹿しいパワープレイ。
でも、自分のフィジカルを最大限に活かしている。
ミノタウロスたちが、野太い呻き声を上げて、威嚇した。
どうやらボクたちを仕留めない限り、闘争本能がおさまらないようだ。
「あれは……敵ですか?」
ガーディンがミノタウロスを見ながら訊ねてきた。
「そうだね。ずっとボクを狙っているみたいで」
「……マスターを?」
するとガーディンの片眉がピクリと上がった。
彼女は悠然とミノタウロスに向かって歩き出す。
「あっ、ちょっと!?」
「無理よ! 二頭相手に立ち向かうなんて、愚の骨頂よ!?」
ルナは自重するように、呼びかけるが、ガーディンの歩みは止まらない。
ボクに向けられていたミノタウロス達の獰猛な視線は、ガーディンに向けられていた。
二頭のミノタウロスが、同時に戦斧を頭上に上げて、ガーディンに勢いよく振り下ろした。
ガーディンの身体が斬り落とされる!
そう考えた途端、頭の中にグロテスクな光景が思い浮かんで、ボクは目を瞑ってしまった。
その時、暗闇の中で、ガキィン、と硬い音が響いた。
人が切断された音ではない。ボクは恐る恐る目を開ける。
「……えっ!?」
ボクは目を見張った。
ミノタウロスの戦斧が、粉々に地面に砕け散っていた。
「どういうこと……!?」
「フロース、アタシは見たわよ……」
ルナは自分の身体を両腕で抱きしめて、顔を青ざめている。
「振り下ろした斧があの子の頭に当たった瞬間、ガラス細工が割れたようにして……砕けたの!」
「嘘でしょ!?」
じゃあ、ガーディンは戦斧が砕けるくらい硬いってこと?
ボクはガーディンに抱きしめられた瞬間を思い出す。
……あの時は気づいていなかったが、そうだ。
彼女の身体は、まるで、岩のように硬かったのだ、
戦斧を砕かれたミノタウロスたちも戸惑っているようだった。
しかし判断が速かった。
ミノタウロスは戦斧を捨てると、次の攻撃を繰り出していた。
ミノタウロスたちが、ガーディンの頭に向かって大きな手を伸ばした。
「危ない!」
とボクは声を上げた。
ミノタウロスの怪力なら、人間の身体を柔らかい果物のように握りつぶすのは容易いはずだ。
「――」
すると、彼女の足元が光りだす。
かと思えば、ミノタウロスたちの顎が跳ね上がる。
――石柱だった。
ミノタウロスの真下から、石柱が高速で突き出してきたのだ。石柱のアッパーだ。
二頭に強烈な一撃を与えた石柱は、自らの役目を終えたことをさとったかのように、崩れ落ちた。
ミノタウロスは、背中から倒れる。
すぐに起き上がろうとするが、ふらふらとした千鳥足である。
急所攻撃を喰らい、脳しんとうを起こしているのは明らかだった。どれだけ怒りを滾らせてもまともに立ち上がれないのだ。
「――」
ガーディンが何を呟き、彼女の足元が、また黄金色に輝く。
そして、地面から、怪物の牙のような円錐形の塊がいくつか顕現し、ミノタウロスたちの腹部に伸びていく。それらはミノタウロスの硬質な身体を貫いた。刃を通さない硬い皮膚をいとも簡単に貫通させた。
ミノタウロスたちは断末魔の悲鳴を上げると、項垂れるようにして、やがて何も声を発さなくなり、人形使いを待つ操り人形のようになっていた。
塊に刺されて、立ったまま絶命していた。
圧倒的な強さだった。
「……排除、完了です」
ガーディンはこちらを振り向くと、淡々とした口調で続ける。
「御主人様、お次は何をいたしましょうか」
しばらくの間、ボクは何を言えばいいのかわからず、懊悩としていた。