6話:ガーディン・セレクティア
「……ス……ース……!」
ぼんやりとする意識の中、何かがくぐもって聞こえてきた。
「フロース!」
ボクの名前を呼ぶ声だった。
すると、微睡んでいた意識がはっきりと目覚め、ハーブと酸味のある果実を入れ混ぜたような味が、口全体に広がっていることに気づく。ボクは反射的に上半身を起こして、口内に広がる味に嫌悪感を覚え、二、三回咳き込む。
でも、咳き込んだ後に、その刺激的な味には心当たりはあった。
ポーションだ。
「フロース……!」
青色の瓶のネックを持ちながら飛んでいるルナがいた。
持っている瓶は、ボクが持っていたポーションの瓶だった。
「ポーションを飲ませてくれたんだね……ありがとう」
「重いわよッバカッ!」
高らかに叫ぶルナの円らな瞳には、雨粒よりも小さい涙が浮かんでいる。
どうやらボクのせいで、泣かせてしまったらしい。
「大馬鹿フロース! あんたなんか死んじゃいなさいっっ!」
ちっちゃな顔を真っ赤に染めて、目からボロボロと涙がこぼれていた。
「アタシを泣かせるなんて本当に酷いんだからっ! 絶対に許さないんだから!」
「うん……ごめんねっ」
「本当に……もうううううううううう!」
いつも強気なルナが、脇目も振らずに、ボクの頬に顔を押し付けて、泣きじゃくってきた。
ルナがポーションを与えてくれたおかげで、動けるようになった人差し指の先で、ルナの艷やかな長髪を優しく撫でた。
「もう絶対心配なんてさせないから……だから、泣かないで?」
「当たり前よっ……! 次あんな目に遭ったら絶交なんだからっ!」
「うん。約束する」
でも、また同じような展開になっても、ルナは離れないだろうな。
なぜかそんな予感めいたものを感じた。
☆
「フロースが落ちた場所は斜面の狭い通路だったの」
ボクはまだ飲み干していないポーションを飲みながら、ルナの話を聴いていた。
「たまたま仕掛けが作動して、壁が開いた。壁にもたれたアンタはその斜面台を後転していって、斜面台を降りた時には、気絶してたみたいね」
「……よく生きてたよね、ボク」
「本当よ。当たりどころが悪かったら死んでたわよ!」
と、ボクはふと、あの二頭のミノタウロスの存在を思い出す。
「ミノタウロスは?」
「斜面台からは来れないわ。あの空間は大人一人分の広さしかなかったし」
「そうなんだ……」
ボクは安堵のため息をもらす。
が、すぐに気を引き締めないといけない。
絶体絶命のピンチから免れたけど、こういう時に限って、すぐに一難がやってくる。
ボクたちがいるエリアも安全とは保証されていないのだ。
ポーションを飲んだおかげで、探索に支障がない程度には、体力を回復することができたが、万全とは言い難い。
ボクの戦闘能力では、ミノタウロスたちと真っ向から戦うのは、不利だ。
ミノタウロスの魔核はかなり魅力的だけど諦めるしかない。
別の値打ちのあるアイテムを見つけた方が賢明な選択だ。
「でも……これはチャンスかもしれないわね」
ルナは腕を組む。
「こんな隠し通路があるってことは、このあたりに宝物があるかもしれないわ」
「そうだね」
わたしはルナの言葉に同意した。
「ミノタウロスの魔核よりも値打ちのあるアイテムがあるかも」
「フロース、もう時間もないからちゃちゃっと探索しましょう!」
隠し通路は狭く、一直線に伸びていた。
天井はつま先立ちをしながら、手を上げれば触れられるくらい低い。魔物がいた形跡も見当たらない。ボクたちがこれまで探索してきたエリアの雰囲気とは異なっていた。
「油断しないでよ。フロース」
ルナがぼそりと警戒を促したので、ボクは頷く。
通路を進む足は、足音を殺すくらい慎重なものになっていた。
慎重に。慎重に。
心の中で、まるで呪文を唱えるように、何度もつぶやく。
まっすぐ進むと、石製の大きな扉が待ち構えていた。
「隠し部屋みたいね……」
「迷宮の中でこういう扉を見るのは、初めてじゃない?」
「もしかして”デオ”がここに?」
「だとしたら不老不死の薬を譲ってもらおう」
不老不死の錬金術師がボクと「死にたい」という口癖を聞いたら何て言うんだろう。
「死ねる身体で羨ましい」とぼやくのだろうか。ふと、そんなことを考えてしまう。
「ちょっとフロース。聴いてるの?」
「うん、わかってる……それじゃあ入るね」
ボクとフロースは互いに頷いて、部屋に入る心構えができたことを伝え合う。
重量のある扉を両手に力を込めて押していくと、軋む音を立てながら、ゆっくりと内側に開かれた。
扉を開けて、まず目に入ってきたものを見て、ボクは咄嗟に身構えた。
「人!?」
「違うわ。あれは像ね」
ルナの言う通りで、広々とした部屋の奥には、等身大の像が直立不動で佇んでいた。
異様なのは像だけじゃない。
「うわ~ずいぶんと広いわね」
天井に飛び上がったルナの声が、部屋全体に反響した。
先程の隠し通路の低い天井とは対照的に高い天井だった。空間の真ん中あたりには太い石柱が左右に二つずつ配列されている。
部屋にはいくつもの調度品があった。机、椅子、棚などの家具がおそらく決められた箇所に配置されており、この部屋を使っている主人の几帳面な一面が垣間見えた。
「誰もいないよね……?」
ボクは部屋を見回しながら言った。
部屋の壁と床の節々に割れ目が入っており、机に近づいてみると、砂埃を被っていた。
「この様子だと、長い間使われていないみたいね」
ルナが降りてきて、ボクの隣にきてから言った。
これまで何十層と地下迷宮に潜り込んできたが、こんな部屋を見るのは初めてかもしれない。
「……ここにゼルがいた?」
「そうだとしたら、大発見ね!」
ボクたちは歴史的価値を目の当たりにしているかもしれない。
もしも錬金術師のゼルがいたとすれば、あの伝聞にあった不老不死の調合薬があるかもしれない。あるいは錬金術の叡智が書き留められた石版や羊皮紙が残されている可能性もある。
それを発見すれば、錬金術師や魔術師が忽ち未知なる知識を求めて、財産を出すに決まっている。
今月分どころか、今背負っている借金を全額払える。そんな奇跡が起きてもおかしくない。
「ルナ、何か見つからないか隈なく探そう!」
「当たり前よっ」
☆
しばらく部屋を物色して、あることに気付いた。
この部屋に入る前、ボクはミノタウロスに殺される絶体絶命の危機に陥った。
その時、偶然にも石壁についていたスイッチを押して、隠し通路に引き込まれ、命からがら逃げることができた。
その経験で命よりも大切なものはないと、身を持って痛感した。
あの出来事は奇跡と呼んでも差し支えないはずだ。
「もうこれ以上の”奇跡”を望むのは、傲慢すぎるよねぇ……」
ボクは床に座り込んで、天を仰ぐ。
「あぁ、死にたい……」
「卑屈になっている場合じゃないでしょう!?」
部屋を隅々まで探してみたが、値打ちのあるものは見当たらなかった。
不老不死の秘薬はないし、それを書き留めた記録もない。ボクたちが発見したのは、ここに人はいたが、すでにもぬけの殻であるという事実だけである。
迷宮の歴史を調査する探究者なら、この事実に大喜びするだろうけど、ボクは借金を返済するために汗水流す冒険者だ。
お宝が欲しいのだ。
借金返済のための。
「はぁ……仕方ない。迷宮の別のエリアを探すしかないか……」
「ちょっと待ちなさいよ、まだ調べてない箇所あるじゃない」
ルナはある一点を指さした。
彼女の指した方向に渋々と目線を向けてみる。
「像……」
「あれはまだ手つかずよ。もしかしたら像に宝石が埋め込まれているかもしれないわ」
「そうあるかなぁ……?」
あの像にそんな価値があるとは思えない気がする。
「いいから調べるわよ!」
諦念に満たされたボクの頬をビンタするルナに扇動される形で、とりあえず像に近づいてみた。
初見で見た時は、ある程度の距離があったので、どんな像かわからなかった。けれど接近してみて、ようやくその実態が明らかになってきた。
「若い女性の彫像ね」
白い石を彫った女性の像だった。ドレスを着た女性が指を組んで祈っている。
女性の顔は、整えられた顔立ちで、両目は閉じられている。祈る姿はとても美しい。 よく見ると、祈る動作をした時に出てくる服のシワまで彫られている。身体のラインはスラリとしていて、石の角張った箇所は一つもない。
ここまで造り込まれた精緻な石像を見るのは初めてだった。
芸術に疎いボクでも、創作者が技巧的であるとわかる。
「よく出来てるわね~。手先の器用なドワーフ顔負けの出来栄えよ」
「宝石とかそういったものとかは付いてなさそうだね」
「いっそのこと、これを直接持ち出してみるっていうのは?」
「難しいね。重すぎて回収できないし、ゲーズルがこれを見て納得してくれるかな」
「あいつだったら、あの趣味の悪い部屋に堂々と置きそうだけどね」
ルナは肩をすくめた。
ふと、ボクは視線を彫像の足元に向けると、地面の一部の色が黒く輝いていることに気づく。細長い長方形。
「何か埋まってる」
ボクは片膝をついてから、埋まっている物体を確認する。
プレートのようなものだった。表面には何かが刻まれてるが、土埃を被っていたので読めない。指先で砂埃を軽く掃いた。そしてプレートに刻まれてたのは、文字だった。
「あら。なにか書いてるわ」
「我が従者、ガーディン・セレクティア……ここに眠る」
ボクは指先をプレートに触れたまま、そこに書かれていた文字を読み上げていた。声に出したことに意味はなかった。
『ガーディン・セレクティア』
プレートに刻まれた文字は、彫像の名前だろうか。
その時だった。
「な、なに!?」
「フロース何したの!?」
突如として、プレートが黄金の光を放ち、ボクたちは目の前の現象に驚愕した。
地面に浮かんだ光はプレートを中心に、迷宮を真上から見たような幾何学模様を編んでいた。
そして無数の光線が、彫像の表面をなぞられていく。無数のピースを組み合わせてできた像の立体パズルみたいだった。
「ルナ、離れて!」
ボクは像と距離を取り、臨戦態勢を取る。
両膝を軽く曲げて、腰にぶら下げた短剣を引き抜いて、身構えた。
あの彫像は、ゴレームの上位互換かもしれない。もしそうだったら、何か見たことのない技を持っている可能性がある。
目の前の彫像から目を離さないで、ありとあらゆる対策を巡らせる。
彫像の全身に浮かび上がっていた光線から、ボロボロと彫像が落ちていく。
しかし身体の部位が崩壊していくものではなかった。
あれはまるで……身体の表面を包んでいた殻が朽ちていくような――そんな感じだった。
やがて、彫像を形成していた欠片が落ちていく。
ボクは目の前の出来事に目を見張り、開いた口が塞がらなくなっていた。
その中から現れたのは――金髪の女性だった。