1話:ルーティン
「死にたいなぁ……」
ボクはボソリとつぶやく。
目の前には、地下迷宮に続く大きな洞穴が待ち構えていた。
入口が獲物を待ち構える怪物の大口に見えてきた。もうほとんどの冒険者が立ち入ることのない地下迷宮。幾度となく入っているけど、未だにこの地下迷宮の入口を見慣れることはない。
ここを探索し始めてからどれだけの年月が経ったんだろう。
最初は数えていたが、両手の指を全て指折りしてからは、面倒になって数えなくなった。
「ねぇ、ルナ。ボク達が地下迷宮に入ってからどれくらい経つ?」
ボクの右肩に座っている妖精のルナに訊ねる。
「知らないわ。345層まで探索したのは確かよ」
ルナの身体は手のひらサイズ。髪は金髪のロングヘアー。背中の空いたモスグリーンの麗しいドレスを身にまとっている。背中に生える翅脈が銀色に瞬いている。羽を動かすと銀色の粒子が瞬く。とても小さな身体なので、戦闘には参加できないけど、ボクの補助をしてくれる。
「そうなんだ……はぁ、でもまだ続きそうなんだよね……」
「そうねぇ、まだデオが地下迷宮を生成してるのかも」
ルナが冗談交じりに言った。
地下迷宮はデオという錬金術師が生み出したと言われている。
こんな逸話がある。
デオは王族に仕える錬金術師で、不老不死を望んでいた王の命令で、不老不死の超薬エクリサーを創ることを命じられた。古今東西から、ありとあらゆる素材をかき集め、幾万の調合を重ねて、驚くことにエクリサーを創ることに成功したという。
ところが、デオは、エクリサーを飲み干した。言い伝えによれば、不老不死になりたいという欲求に屈したと言われている。本来なら自分が飲むはずだったエクリサーを飲んでしまったので、王は、当然その行為に憤激した。
王は家来達を引き連れて、デオを捕縛しようと試みた。
デオは王に捕まらないために橈側した。しかし王の人海戦術により、デオは窮地に追い詰められる。 そこで彼が錬金術の知識を駆使して、咄嗟に生み出したのが地下迷宮だった。
不老不死になったデオは地下迷宮を生成し続けて、何百年経った今でも、王から逃れるために、地下迷宮を創り続けている……。
「デオの話が本当だったらね」
とボクは肩をすくめて、ため息交じりに言った。
もっとも、この話はかなり古い話であり、実際のところ、本当にそうなのかはハッキリしていない。デオなんて錬金術師は存在するわけがないと一蹴する人もある。
それいう伝聞があるくらい地下迷宮が長く存在し、未だに踏破されていない。
「ていうかルナは実際のところ知らないの? 妖精の寿命って人よりずっと長いよね?」
「知らないわ。その頃のわたしは人間界に興味になかったし。あまりにも退屈すぎてずっと眠っていたわ。真相を確かめたいなら、ここを踏破するしかないわね」
ルナは退屈そうに言った。妖精は呑気でいいものだ。
こんな風に自分も生きることができたなぁ……。
「はぁ、死に――」
「フロース。あんた、いい加減にその口癖やめなさいッ」
ボクが独り言を言い終える前に、ルナは鋭い口調で言った。
それに対して、わたしは微笑みを浮かべて、穏やかな口調で答える。
「落ち込むたび、”死にたい”って呟かれてると、アタシの気分も沈むわよ」
「ハハッ……違うよルナ。これはね、地下迷宮に入る前のルーディンみたいなものだよ」
「そんな縁起悪いルーティン嫌よッ!」
ルナは鋭いツッコミを入れてきた。
「そういう言葉はね、禍と不幸を引き寄せるの。だからこんな災難に遭うんじゃないの?」
「じゃあ、愚痴をこぼさずにただ我慢しろっていうの……?」
ボクは思わず、眉間にシワを寄せてルナを見た。
ルナは両手を広げて、やれやれと言った感じに首を振ると、ボクの肩を降りて、羽を瞬かせて飛翔させる。自分の腰に手を当てながらルナは、両頬を膨らませて、ワタシの顔の前に対峙する。
「ゲーズルの魔物の餌になるかもしれないあんたが吐いてもいい言葉じゃないでしょうー!?」
「……はぁ……死にたい……!」
「ほらっ! また言ってる!」
あぁ、しまった。またつぶやいてしまった。
どうしてボクはいつもこんな目に遭うんだろうか。もしかして前世ではなにか悪いでもしたのだろうか。
背負っている全てを投げ出したい。縛っている全てから開放されたい。
でもそんな勇気も決断もできないから、命じられたことに逆らうことなく、服従している。
そうしないと、本当に死んでしまうから。
『一日だけ待ってあげる。もちろんそれ相応の成果を期待しているよ?』
ふと、ゲーズルの警告が頭の中に浮かぶ。
あの時、ボクがちゃんとしていれば。そんな後悔が蘇ってくる。
数時間前の出来事が、ボクの脳裏に自然と浮かびあがってきた。