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子供の頃の夢は月に行くことだった、ような気がする。
コンビニから帰る途中、夜空に浮かぶ大きな満月を見て、ふとそんなことを思い出した
ような気がする、というのは昔の自分が考えていたことに対しての自信がないからだ。今の自分が何を考えているのかもわからないのに、昔の自分が何を考えていたかの自信は持てるはずがなかった。ただ月を見て、綺麗だ。と思う感情に変わりがないのは確からしい。
綺麗な月明かりは私の感情を照らすには至らなかった。理由は明白だった。私の人生の行く末が新月のように見えなかったからである。
今日は私の二十歳の誕生日であった。
家からコンビニまでは徒歩10分程度で、街灯はぽつりぽつりとしかなく、夜道を照らすにはあまりにも心許ない。電気がついている家は殆どなく、行きと帰りで出会った人間は、だるそうな夜勤のコンビニ店員だけで、世界に自分と月しかないような錯覚に陥った。
日付が変わると同時に買った3%の酒缶を開け、名前だけ知っていた煙草に火をつける。年齢確認はされなかった。
人生初の飲酒と煙は「こんなものか。」としか思わなかった。自然と自嘲の笑いと涙がこぼれ落ちた。大人の権利を使ったところで、大人になれるわけではなかった。
私は何をやっているんだろう。
月を見ていると不思議な気分になる。月は地球と同様におよそ45億年前にできたらしい。45億年前からそこにある。45億年前から変わらず、ずっと。
私はどうだろうか。私も20年前からここにいる。だが、私は月になれただろうか。そこにあるのが当たり前であるかのように振舞えただろうか。
ああ、月に行きたい。地球よりも6分の1重力ならこの不安も絶望も少しは軽くなるだろうか。
残酷なほど月が綺麗だった。