13
リエラはシェイを寝かしつけ木の幹に凭れさせる。恐らくだがこの紫の霧に、記憶を基に対象の大切な人の幻覚を見せる、というような効果があったのだろう。本当に性質の悪い魔法だ。
結界を破ると霧も霧散していった。と、そこでリエラは気づく。
「この霧……まさか」
気のせいかもしれない。ただ、もしそうなら、今後の対応も随分変わってくる。
──あの龍は、どこだ。
「おい、そっちはどうなっ……悲惨だな」
「……嬢、ちゃん?」
滂沱の涙を流しながら、ガインが必死で戦い続けている。庇っているのは、瀕死の重症を負ったヘンリーだった。
龍の爪が近づいてきているのに気づいたリエラは、咄嗟にガインの前に立ち結界を張る。
「けどっ、あんた、凄過ぎるだろ!龍相手にここまで耐えるなんて」
「っ嬢ちゃん…………っ……て……」
「なんだ」
「たすけて、くれ……」
「──ん。すぐ戻る。ここで待っていろ」
結界を保ったまま、リエラは一人前へ出た。すかさず龍が撃ち込んできた火球を、片手で握り潰す。
「驚いた……こんな人間が居るのか」
「っはは、まだ気づかないのか?面白くないぞその冗談」
「?」
「……おい、イグニス」
「っ!その名前、どこで」
「人間と同族の見分けもつかないとは……相変わらず、繊細さに欠けるというか、なんというか」
「……まさか、ノワールか?」
「久しいな」
リエラの形が、あの青年と同じようにドロリと崩れる。あぁやっぱりか、というガインの言葉は声にはならなかった。涙が滲んでぼやけたガインの視界でも、はっきりと分かる。
禍々しい気配に、赤い瞳と真っ黒の体躯。
どこからどう見ても、彼女は。
「一つ、質問に答えて貰おうか、赤龍サマ?あの霧に幻覚を見せる以外の効果はあるか?」
「聞いてどうする。何にせよお前には効かないだろ」
「答えろ」
「……遅効性の毒だ。ほっときゃ人間なら死ぬ」
「ほう?そうかそうか──ならお前はそれより先に死ね」
リエラは魔法で黒い靄を発生させ、針状に固め赤龍の周りに展開する。そして、一斉に赤龍に向かって発射した。
赤龍は上に飛び上がって避けてから、リエラに大声で怒鳴る。
「おい、何しやがる!」
「それはこっちの台詞だ。私の可愛いシェイに毒とは……おもてなしにしては度が過ぎているぞ」
リエラの記憶では、赤龍は人間嫌いでは無い。心底興味が無さそうにしていた筈だ。何故人里で暴れているのか、理由が分からない。
リエラが問うと、赤龍は地を叩きながら唸った。
「勇者とやらが俺の縄張りの魔物大量に狩りやがった!あの人間こっちに来てんだろブチ殺す。どいつが勇者かなんざ分かんねぇし皆殺しにすりゃ楽だ」
「まぁたアレのせいか!!」
もうここまでくると人間への悪いイメージは全て勇者のせいなのでは、と思いたくなる程だ。リエラはより一層勇者への憎悪を募らせた。
追いかけるようにリエラも飛び上がり、赤龍と目線を合わせる。言い聞かせるように丁寧に、しかし怒りを抑えきれず一息でリエラは言い放った。
「いいかイグニスよぉく聞け。シェイを殺すな死んだらシェイが悲しむような人間を殺すな聖女に近づくな勇者は好きにしろ、以上だ」
「……ハァ?何言ってんだノワール。意味分かんねぇ」
「そうか。なら殺す」
先程と同じように黒い針を無数に産み出し、リエラはそれを赤龍に向かって放つ。ただし、勢いと数は先程の倍だ。
逃げきれなかった赤龍は一気に地面に叩きつけられ、身体にはいくつも穴が開き、血が流れ出た。
「ゥ”……あ”ぁ……?」
「これでヘンリーくんとお揃いだな!似合っているぞイグニス」
「なん、で、お前が俺を……?」
「っハハハ、私のダーリンを苦しめた罪は重いぞ……どうやって死にたいか言ってみろ。同族のよしみで要望通りの方法で楽にして──ん?」
リエラが饒舌に語りだすと──もうそこには赤龍の姿は無かった。
アレは瞬間移動のような魔法を使えただろうか、少なくともリエラの記憶にはない。とすれば出来たとしても短距離だろう、探せば近くに居る筈──だが、優先すべきはそれではない。
「……チッ、仕留め損ねた」
正直リエラとしてはみすみす見過ごすのは心底不快だったが、今のリエラにとって一番大切なのはシェイ達だった。
リエラは人化の魔法で身体を縮め、シェイの元へ向かう。シェイを背中に背負って、今度はガイン達の傍に歩み寄った。怪我の程度から考えるなら、ヘンリーを最優先に処置すべきだ。
とそこで──リエラはガインの行動を見て、大きく目を見開く。
ガインは泣きながら血だらけのヘンリーの身体を搔き抱き、その唇に自分のそれを重ねていた。
「……見せつけてくれるじゃないか」
微笑ましいやら、羨ましいやら。
温い視線でそれを眺めながら、リエラはいつか他の龍とした話のことを思い出していた。
◇◇◇◇◇
「聞いて」
「ねぇ聞いて」
あれはいつだったか。翠龍の姉妹が、普段通り単調な声でご機嫌に話していた。
「あのねあのね、この前ね、変なニンゲン見たの」
「あのねあのね、ニンゲン、キスっていうのがしたいって考えてたの」
まだ若い翠龍姉妹は、何故かえらく人間を気に入っていた。ただ人間にとって龍が畏怖の対象だという自覚はあるので、直接関わることはしない。自分達のテリトリーに入ってきた人間を、少し離れた所から観察するのが常だった。
「キスってニンゲンが番にする愛情表現なんだって」
「交尾の時もいっぱいするんだって」
「でもおかしいの」
「そう変なの」
「──変?人間はいつも変だろう」
黒龍がつい口を挟むと、翠龍の姉妹はぶんぶんと首を振った。
「メスのニンゲンがメスのニンゲンにしたいって」
「子作り出来ないのに発情しちゃってて」
「ニンゲンすっごく面白いね」
「ニンゲンいつか飼いたいな」
◇◇◇◇◇
唇を離したガインは、音も無くほろほろと涙を流す。
生気のないヘンリーの顔がいやに鮮明に目に飛び込んできて、それが怖くて堪らなかった。
「っヘンリー……死ぬな」
──分かっていた。ヘンリーの同行を許すのは、正しくないということを。それなのに……自分も無事では済まないだろうとなったときに、ガインは思ってしまった。
俺が死ぬ時、傍にヘンリーが居ないなんてあり得ないと。
「俺より先に、なんて親不孝過ぎるだろ」
──愛している。もういい、認めてやる。だからどうか、もう一度俺の名前を呼んで欲しい。
そう思うのに、口をついて出るのはヘンリーを責めるような言葉ばかりで、ガインはもう頭を抱えるしかなかった。意識の無い相手に対してですらこの有り様だ。もっと早く素直になれていたなら、なんて考えても仕方がない。
「なんだ、君の方がガキじゃないか。自分の要望一つ口に出来ないなんて」
「っ……空気読めよ、嬢ちゃん」
「出来ないものを、やれと言われても」
というか、その呼び方のままなんだな、と暢気に言いながら、リエラはガインの元に歩み寄る。地に横たわるヘンリーは夥しい量の血を流していたが、リエラは一切顔色を変えなかった。
「落ち着け」
「大事な家族が、好きなヤツが死にそうなんだ、大の大人でもそりゃ取り乱すだろ……っ」
「大丈夫だ」
「大丈夫な訳あるか!!ッあんたは、あんただって、騎士様が……!!何すました顔してんだ、ッテメェ……全部嘘だったってのかよ!!!」
「だから落ち着け。死なせない──誓ったから」
そう言ってリエラが取り出したのは、小さな小瓶だった。中には少量の青い液体が入っている。
「ッハハ……冗談キツいぜ嬢ちゃん、ポーションなんかじゃもうどうにもならねぇよ」
諦念の滲んだ乾いた笑い声を出すガインに向けて、リエラはしたり顔でその小瓶を軽く振った。
「もし、聖女が作ったものだとしたら?」
「──は」
躊躇い無く、リエラは無造作に傷口にポーションを流し込んでいく。
ふわ、といくつもの小さな光の玉が青い液体から浮かんだ。それはぽこぽこと次々弾けて粒子になり、傷口を埋めるように集まり出す。やがてポーションが身体に染み込むと、その瞬間光が一層強くなった。
普通の魔法を使うときとは少し違う、まるで神の祝福のような力がヘンリーを覆う。ガインが眩しさに目を瞑ると、次に目を開けた時にはもうヘンリーの傷は綺麗さっぱり無くなっていた。
「じきに目を覚ます。色々誤魔化しておいてくれ」
開いた口が塞がらないガインを見下ろし、リエラは得意げに言う。シェイにもリエラは続いてそのポーションを飲ませた。どこか苦しそうだった寝息が、安らかなものへと変わっていく。
ガインはただ呆然と、目の前の光景を眺めることしか出来ない。
「俺は夢でも見てんのか……?」
「もし夢だとしても、随分幸せな夢だな?感謝しろ」
確かにその通りだった。規則正しい寝息を立てるヘンリーに、ガインはこれ程安堵したことはない。夢なら覚めなくて良かった。ガインはもう、ヘンリーが居ない世界のことなど考えたくもなかった。
「っありがとう、嬢ちゃん」
「礼ならシェイに言うことだ。正直、君が私のシェイへの愛を嘘だと言った時、殺そうかと思ったからな」
「はは……聖騎士様が慕ってくれてなかったら死んでたのか俺」
「そうだぞ」
リエラは即答する。リエラにとって大切なのは、限られた人間とその関係者だけだ。他の人間など、どうなろうと知ったことではない。
「ってかそもそも、聖女って……そのポーションは」
「……本当は、私のためのものなんだ。そんな必要は無いのに、エレアノールが心配して、持っていって、と」
ガインにとっては、聞き覚えのない名前だった。話の流れからして、そのエレアノールが聖女なのだろう。
今更ながらガインは酷い眩暈に襲われた。聖騎士に愛され、聖女に心配される魔物なんて前代未聞だ。
「っじゃまさか、あのペンダントの話も?」
「……私は、嘘はそんなについていないんだがな。態度の問題か?」
困ったものだ、とリエラは眉を顰める。確かに聖女は世間に見つかっていないが、勿論居ない訳ではない。
リエラだけが見つけていた。ただそれだけのことだ。
「勇者がアレだからな。聖女はアレに協力したくないから身を隠しているらしい。はは、世も末だな」
「また勇者の野郎のせいかよ……」
「もうアレこそが魔王でいいんじゃないのか」
「全くもって同感だ」
「もし会う機会があれば、エレアノールにもしかと礼を言うんだぞ?私のことはノワールと言えば通じる」
ノワールは同族の間での呼び名だ。エレアノール達は唯一その名前を教えている人間だった。逆に、彼らはリエラという呼び名は全く知らない。
「ノワール?……まぁいい。分かった、嬢ちゃん」
「んん?そこはスルーしてくれるのか」
「あ”ー……知り合いに、名前を使い分けてる奴が居るもんでな」
「そんな人間も居るんだな」
あれが特別なだけだろう、とガインは思ったがわざわざ説明するような話でもない。ヘンリーのことで頭がいっぱいの今、ガインには腐れ縁のヤツのことを考えるスペースなど無かった。
「いいか、ノワールとだけ言ってくれよ?リエラ、は流石に少し恥ずかしい」
「なんでだよ」
珍し過ぎるリエラの照れ顔を見て、ガインは突っ込まずには居られなかった。あれだけ堂々と破廉恥なことを言う癖にコレとは。恥ずかしがるポイントが相当ズレている。
「あーあー、分からなくていい。その理由は私だけが知っていればいいことだ」
リエラという名前は、以前冒険者パーティーを組んでいた三人の名前から勝手に取ったものだった。
──そのうちの一人が、聖女であるエレアノールだ。




