26話 縁接続
水牢の蝶獄により全身の致命傷が癒えたリーレニカ。
彼女を護るように立つ包帯の男を見た王女は、驚いた顔で声を荒げた。
「琥珀の民か!?」
古代の獣はロウエン自体を知っているわけではないようで、一族の名称を口にしている。
一方、王女以上にリーレニカも彼の存在に目を丸くしていた。
「大きくなったな。リーレニカ。あれからどのくらい経ったんだ?」
「どうしてここに……それよりも、生きて」
そこまで言って言葉を呑み込む。
彼がロウエンだと気づくには、あまりにも彼の姿が〝記憶に忠実すぎる〟のだ。
リーレニカがロウエンを失ってから八年の歳月は過ぎている。訓練や任務に明け暮れたこともあり、リーレニカの成長した姿に対してロウエンは一切歳をとっていないように思えた。
ロウエンはリーレニカを谷底に残したあの日を思い返すように謝罪した。
「悪かったな。子供だったお前をあんな谷底に置いて行って。Amaryllisの固有世界で閉じ込めないと、デバイスを持たないお前を守りながらは戦えなかったんだ」
「そんなのはいいの。どうしてずっと出てきてくれなかったの?」
「自力でこの世界は開けない。こうしてこの世界に現界できたのも、リーレニカがAmaryllisと共に強くなれたからこそだ」
リーレニカが状況を整理できないでいると、再び眩い光から現界したAmaryllisがよく通る声で結論を伝えてくる。
「この空間は外と時間の流れが異なる。ロウエンが今のお主とほぼ同じ肉体年齢であることは不思議なことではないぞ」
「…………」
そんな話は重要ではない。
リーレニカはロウエンの優し気な瞳に涙を浮かべた。
――違うのAmaryllis。
私はロウエンの姿が変わらないからとか、そんなことは気にしない。
ずっと傍にいてくれたことがたまらなく嬉しいの。
「なるほど、忌々しい血の末裔か」
エリザヴェーテ王女が一層敵意を強くする。
「ちょうどいい。その血をここで根絶やしにしてやる」
黒く巨大な影が手を振り上げる。
「リーレニカ」
ロウエンが一瞬こちらへ視線を送る。
「いけるか?」
「……うん」
巨大な手が二人の立つ場所へ叩きつけられた。砂埃が瞬く間にそれらの姿を隠す。
リーレニカ達は蝶の翅を広げ空高く飛翔していた。
生体型デバイスであるAmaryllisの結晶を持っているのはリーレニカだけだ。だがロウエンは今のリーレニカと遜色ない出力で〈蝶庭園〉を行使している。
理由は至極単純だった。
リーレニカは直感的に理解していた。
Amaryllisを使って構築したリーレニカの世界。ここでは自身が心を許した相手に、無条件で力の譲渡ができることを。
この直感は経験則から得たものだ。
夜狐として新兵達に使った能力――持ち得る力の〝同期〟だった。
「虫め」
黒い巨体が背中に漆黒の輪を浮かび上がらせると、リーレニカ達めがけ無数の触手が鋭く飛び出した。
「〝白霊宮の矢〟」
Amaryllisのしわがれた声がはっきりと響き渡る。
遺跡の陰から無数の矢が光を散らし、幾千の軌跡を引いた。
黒い触手を的確に射抜くと、着弾地点からほどけるように闇が破裂した。
『〝百火蝶〟』
同時に紡がれた起動句。リーレニカとロウエンの体から紫と赤の炎が噴き上がった。
翅を数回力強く羽ばたかせると、二つの軌跡が赤紫の尾を引いて黒塗りの巨体へ殺到。炎が渦となって巨体を包みこんだ。
「ぬ――ぐあああああああッ!」
黒塗りの巨体が苦しそうに呻くと同時に、獄炎のダメージがエリザヴェーテ王女へ反映される。
「殺すッ」
巨体が両腕を交差させ、振り払うように広げると取り巻く炎が弾け飛んだ。
相手の背中に浮かんでいた漆黒の輪が頭上へ移動し、一気に闇を広げる。
幻想的な空が闇で塗りつぶされる。
『警告。広範囲の質量攻撃。三、二、一、――』
「……いかんッ。逃げ」
Amaryllisの警告が間に合わない。
次の瞬間、理不尽な重力がリーレニカ達を地上へ叩き落とした。
「こ……れ、は」
「〝深海〟……か。いや、それ以上の」
絶対的な存在によって全身を地に押し付けられたような感覚。
リーレニカは外因的な力を遮断するべく〝帳〟を展開しようとするがうまくいかない。夜空色のカーテンが体を登ろうとする度に、巨大な悪魔に吹き消されるがごとくマシーナが散っていくのがわかった。
ロウエンも同じだ。リーレニカとは違い膝立ちで耐え立ち上がろうとしているが、とても抵抗できそうにない。
Amaryllisに至っては小さな体で立ち上がっているものの、重力場に抵抗するだけで反撃の余力がないようだった。
――否。
「Amaryllis……!」
「にひ。無駄口を……叩くな」
小さなエルフが口から血を流している。
気づけば、仄かな光がリーレニカ達の頭上で膜を張っていた。
Amaryllisは余裕がないのではない。リーレニカ達を護ることに全リソースを割いていたのだ。
考えれば分かることだ。あのデタラメな高位生命体がただの重力操作で動きを封じるなどと生易しいことをするはずがない。
〝深海〟でさえ出力を引き上げれば対象を圧し潰すことができる。
ならば、正体不明の闇の天蓋から降り注ぐ力であれば、少女の身体など羽虫を潰すように簡単に圧殺できただろう。
それをAmaryllisは自身の防御を放棄し、リーレニカとロウエンを護ることだけに集中していたのだ。
「アマリリス……やめてッ。あなたが死んじゃう」
「ガキに心配される日が来るとはな。わしもそろそろ潮時か。くはは……」
軽口を叩いているが、人間なら内臓が潰れごちゃ混ぜになっている状態だ。
高位生命体とはいえ生物の枠からはどうしたって抜けられない。
「最期の会話は終わったか?」
エリザヴェーテ王女が得意げに言う。
「そのままひれ伏し潰れてしまえ」
王女が出力を上げようと手をあげた時だった。
「……なんだ?」
王女が訝しげに空を見上げる。そこには彼女が広げた闇しか見えないはずだ。
『リーレニカ』
更に聞き覚えのある少年の声。耳飾りから聞こえると、重力場が僅かに乱れてリーレニカへの拘束力が弱くなった。
「――ソンツォ」
「何だこれはッ」
エリザヴェーテの苛立つ声と共に重力の雨が止む。満身創痍の体を無理やり立たせると、すぐにAmaryllisの元へ駆け寄った。
「アマリリスしっかりして!」
「大丈夫じゃ。それより……懐かしいな」
「え?」
Amaryllisの視線の先に目を向ける。
真っ赤な火花が命を得たような華――〝彼岸花〟が、エリザヴェーテ王女と黒い悪魔の全身から大量に咲いていた。
それだけではなく、この空間全域に幻想的に咲き広がっていくのを認める。
更に闇の天蓋が崩れ、茜色の空が頭上を支配した。
唐突な現象に理解が追いつかないが、少なくともあの彼岸花がエリザヴェーテのマシーナ操作を妨害していることはわかる。
反撃に転じたいが、ここまでの無理が祟って蝶の翅をうまく扱えない。
『お? なんか組織の登録反応があるが――おい』
リーレニカ達の危険な状況に構わず、ソンツォが温度差のある呑気な話し方をして、
『まじか』
急に真面目な声音に変わった。
「久しぶりだな。ソンツォ」
『ロウエンか!?』
死人を見ているようなソンツォは、ロウエンの声を聞いてどこか嬉しそうな声をしていた。
「思い出話はまた今度にしよう。今はターゲットを仕留めないといけない」
このイレギュラーな事態で下手に動くことは危険だが、これ以上のチャンスはないかもしれない。
謎の彼岸花に警戒していたリーレニカとは違い、Amaryllisとロウエンはどこか懐かしそうな顔をしている。
「リーレニカ。聞こえるか?」
「なにを……」
妹の成長を喜ぶ兄のように、「何か」を感じ取っていたロウエンはリーレニカを見て優しい目をしている。
困惑するリーレニカをよそに、空間一帯で火花を咲かせたような彼岸花が白銀の遺跡を彩っていた。
****
地上。
シュテインリッヒ国。
『シュテインリッヒにいる全国民に告ぐ!』
国中に配備された機人警報デバイスから乱暴な少年の声が飛び出す。
本来無機質な警告ばかり流すデバイスであるだけに、人々は視線をあげてその声に集中した。
その声は緊急事態を隠すことなくストレートに告げる。
『この国に封印していた魔獣が解き放たれた!』
大半の者はその言葉に理解が追いついておらずざわめきばかりが広がる。
年老いた者はその存在に心当たりがあるのか、いよいよ命を諦めた様子で顔から生気を失っていた。
少年――レイヴン隊団長。レイヴン・フリートベルクが混乱を予期したのか続ける。
『安心しろ! 一人の隊員によってその魔獣は地中深くに幽閉している!』
一部を除き、嘘は言っていない。
その隊員というのはリーレニカのことを指す。
彼女が素性を隠してまで市民を助けるために暗躍していた意図を汲み、あえて隊員と濁したのだ。
『だがそいつは今も隔離した空間で一人戦っている』
レイヴンの声からは悔しさが滲んでいるように聞こえた。
『……俺達はいつ機人になるか知れない不安に悩み、誰かを見下し、自分の安寧だけ考えて過ごしてきた』
貴族街の守護を任された少年団長は、日常的に行われている格差、差別を当然のように呑み込み騎士団としての責任を全うしてきた。
だからこそ、商業区で苦しみながら協力し、時には一部の者を虐げてでも生き残ろうとする醜悪さを知っている。
目をつぶり、醜悪な今の人間が正しいと自分に言い聞かせてきたレイヴンは、この数日で考えを変えていた。
『それもその魔獣を消せば、俺達に感染したクソみてえな呪いは消える!』
怪物――エリザヴェーテ王女が自身を犠牲にしてでも身の内に封印した高位生命体。
それが自分たちの心の弱みに付け入り、機人に変えているのだとレイヴンは理解していた。
(あの女ができたんだ。俺にできないわけがない)
ベレッタと戦う直前、リーレニカが自分に有利となるようなイメージ情報を脳裏に送ったことを思い出す。
奇妙な術だ。
だが、マシーナウイルスを操作した結果だとすれば、自分にできない道理はない。
レイヴンは一室でマイクを握り、警報デバイスの経路に意識を巡らせ――全国民へ向けイメージを拡散させた。
「――!?」
人々が一瞬の衝撃に頭を抑え、脳裏に浮かんだ光景に目を泳がせる。
マシーナを介してその状況を把握したレイヴンは、自身の試みが成功したことを確信してニヤリと口角を上げた。
『今全員に見えた景色が証拠だ。あの怪物は俺達に流し込んだ細胞で好き勝手に体を弄り、機人に変えちまう。たった今兵士一人のお陰でその心配も消えた。だが』
あの女に助けられてばかりでは勝ち逃げされたようで納得いかない。
騎士道なんてものはないが、自分とファナリスが恥を捨てて一度に斬り掛かってもあくびをするような相手だ。自分の武力が未熟だったと認めざるを得ない。
それでも。
『一人の女に怪物押し付けて、平気な顔して明日を向かえられるのか? それが国の誇りか?』
黙って助けてもらうような恥知らずにはなりたくない。
『剣を取れとは言わねえ。今戦ってる女のために祈れ。そんなことも出来ねえくらい俺たちは白状な人間じゃねえだろ?』
マシーナウイルスは感情によって指向性を得る。
自分一人でリーレニカを支援できるとは今更思わない。
今更誰かを見下せるほどの自信家にもなれない。
だから、女子供関係なく、恥を偲んで協力してもらう。
****
地下。
白銀の遺跡。
ロウエンがなにかを聞くように空を見上げた仕草に倣い、リーレニカも空を仰ぎ――目を見開いた。
『――聞こえるか。花屋の娘』
「あなた……アルニスタ?」
『うまくいったようだ』
〝縁接続〟。
蛇の体を円状にしたレンズこそないものの、不安定な空の歪みから間違いなくアルニスタの声が届いた。
『本当は死んだ妻の心とこの世を繋げるために作ったデバイスだったが……古代獣の世界とこの世を繋げるくらいはできたらしい』
アルニスタの声はどこか優しげだった。
「だめ! せっかく向こうと空間を断ったのに」
『若いお前にばかり任せていられるわけないだろう』
強く反発することはなかったが、彼の意思は固く簡単に自分との繋がりを断つつもりはないらしい。
「……なんだ?」
エリザヴェーテも外との繋がりを知覚してしまった。
――否。
それだけではない。
アルニスタ以外の声が一気に流れ込んでくる。
〈縁接続〉のデバイスを通し、マシーナの〈伝達〉の要領で声が脳内に響いた。
『負けんじゃねえ!』
『まだ礼も言えてねえんだぞ!』
『そんな奴ぶっ飛ばせ!』
高濃度マシーナの花を売っていたせいで、自分を目の敵にしていた商業区の人たちの声だ。
『がんばれ!』
『おねえちゃん死なないで』
『どうかみんなをお守り下さい』
子ども達の声。信心深い者の祈り。
「――みんな」
この空間全域に咲き広がった彼岸花が人類の感情に反応し、赤く輝いてゆく。
「やめろ……!」
エリザヴェーテから生み出された悪魔の巨体に脆弱性が見えた。
やつの体から咲く彼岸花が、体内からマシーナを吸い上げているようだった。
「にひ。やはり人間の感情は旨いな」
Amaryllisが口元の血を拭い、いつもの軽い調子で言うが、すぐに真面目な顔に変わった。
「もう時間がない。この姿を維持するのも次で最後じゃ」
「リーレニカ」
ロウエンがこちらへ手を差し出す。
「いくぞ」
リーレニカは手を取り立ち上がると、力強く頷いた。
『〝|蝶庭園〟』
二人の起動句が最後の輪唱を奏でる。
白銀の遺跡が人類の思いに感化され、幻想的なネオン色に染まる。
二人の蝶が業火を生み出した。




