24話 ひとりじゃない
白銀の世界。
今までAmaryllisの見えている景色を借りていたリーレニカだったが、実際にその世界に入るのは初めてだった。
――これがAmaryllisの生きていた世界なのか?
まるで数世紀前の文明まで一気に逆行した気分になる。
本来緑に生い茂る草や色とりどりであるはずの花々が、この空間では白一色に塗りつぶされていた。
上を見上げれば、乳白色に七色が溶けた奇妙な空がどこまでも広がっている。
初めて降り立つ地なのに、なぜだか妙な安心感がリーレニカを満たしていた。
感情を殺していた自分の心象風景を絵にするなら、きっとこういう世界なのだろう。
「ふ、は……は。今のは効いたぞ。人間」
目の前にエリザヴェーテがいる。
姫君の品格などとうに無く、その身に封印した怪物が奔放にこの状況を愉しんでいた。
怪物同士の闘争を懐かしむようにリーレニカを見て、次に周囲を見渡す。
「ふざけた魔術結界だ。虫けらの住処を再現したのか?」
「あなた達はこれを魔術と呼ぶのね」
「ああ、人間はマシーナと呼ぶのだったか? ククッ……ああ、悪い。同胞が忌々しい魔術師どもを根絶やしにしたのだったな」
王女はひとしきり笑うと、脱力した指をこちらに垂らすように向けた。
「虫けらの巣など性に合わん。出させてもらうぞ」
リーレニカの足元で五芒星の法陣が浮かび上がり、爆発現象が生じた。
爆心地から土塊と煙が広がる。
目を細めた王女の背後にリーレニカが躍り出た。
――〝来て〟。
リーレニカの意思に反応し、二人を取り巻く世界に無数の裂け目が生じる。
そこから一〇〇の蝶が飛び出し、エリザヴェーテを取り囲んだ。視界を塞がれ苛立ったのか、王女は細い腕で振り払う。
「……鬱陶しいッ」
「〝百火蝶〟」
「――!?」
リーレニカの唇が起動句を紡ぐと、王女が放った爆撃から数倍の出力はあろう火柱が立ち上った。
「……ッ! ……ッ!」
「〝閉じろ〟」
火柱の逃げ道を塞ぐように、遺跡の形状が変質する。
示し合わせたように白塗りの建造物がエリザヴェーテ王女を覆い隠し、人ひとりが収まる円柱に変形。拷問具さながらに相手を閉じ込めた。
火力が更に増幅し、規則的な小さい穴から炎が吹き出る。壮絶な火力を物語っていた。
「なんだ……それは――がっ、ああああああああああッ!!」
やはり。
苦悶の叫び声を聞いてリーレニカは確信した。
この怪物を怪物たらしめるマシーナ総量が劇的に減少している。
――地上で騎士団長クラスが休まず攻撃を続けていた時、この怪物は苦しむ様子はなく、ただ自己修復に終始していた。
唯一行った攻撃といえば、白龍――ラグナ・ジェムナックを消し飛ばす光の奔流のみ。
なぜこの怪物は攻撃をしなかったのか、疑問には思っていた。
これだけ超常的な、あまつさえ古代魔術を行使する生物が、国中の人間を殺して回るなど造作もないはずだろうと。
あの篩の卵でさえ、人間に自害を強要するマシーナ性の殺戮方法だった。
圧倒的力の差を見せつけ、総力をもってしても殺せない。そうして早々に自分たちの心を折ろうとした。手っ取り早いであろう殺戮を選ばず。
なぜそんな回りくどいことをする?
答えは限られている。
そうせざるを得ないのだ。
「ごろじで、やる」
相手は閉じ込めていた円柱の牢を粉微塵に吹き飛ばすと、全身から舌の根まで焼けた姿で悪態をついた。
肉体の修復が遅い。
それがリーレニカの推測を確信に変えた。
「あなた――半人間で復活したのね?」
「…………」
王女は答えない。
よく考えればそうだ。この王女を――中に潜む怪物を目覚めさせたのは白龍だった。
奴は王女を復活させる前、悔しそうに言っていた。
――ブリアーレイスのエネルギーでも代用できる。まだ不十分だが、贅沢は言えない。
つまり、あの怪物を全盛期で呼び覚まそうとするには、人間の――死ぬ間際で活性化された膨大なマシーナウイルスが必須だったのだ。
その最悪のケースは、リーレニカとこの国にいる全員の手で回避している。
推察するに、中途半端な姿で復活した奴は、力の半分を王女に封印されたままでいるはずだ。
リーレニカは薄く笑った。
まだ作戦は活きている。
『にひ』
Amaryllisも同調するように笑う。
どこからか、幻想的な光を体表で踊らせる蝶が何匹かリーレニカの横に集った。
それらが人ひとり程度の大きさまで光を増幅させる。
「おい獣畜生」
生意気な声が、リーレニカの横で肉声となって聞こえた。
「――え?」
リーレニカが隣に視線を移すと、見覚えのある人物が想像通り意地悪そうに笑っている。
自身の胸の高さ程度まである小柄な少女。耳長で、白銀の長髪を腰まで垂らした妖精のような佇まい。
先刻、心象風景で出会ったままの姿で彼女が――Amaryllisがいた。
醜く肉体修復を続ける怪物に向け、Amaryllisは相棒たちを誇るようにふんぞり返って言った。
「人間を舐めるなよ」
****
隣に居た人物に、思わず目を奪われる。
「アマ、リリス……?」
彼女は、蝶の耳飾りに封印されていた相棒だという確信があった。
なぜここに居るのか。どうやって現れたのか。耳飾りの効力が消えたのか。たくさんの疑問が思考を支配した。
「呆けている暇はないぞ」
尖った耳の少女はこちらには目もあわせず、目の前のエリザヴェーテ王女を睨んでいる。
相棒の言葉に慌てて視線を戻す。
遠くに居たはずの王女はその場におらず、すぐ真横でリーレニカの喉元目掛け大口を開けていた。
「〝風魔〟」
Amaryllisの一声で、暴力的な突風が王女を襲った。くの字に体を折り曲げた王女が遺跡の壁面に叩きつけられる。
見ると、突風には無数の光が散っており、そのすべてが鋭利な刃となって彼女の体を切り刻んでいた。
「妖精王女ァアアアアッ!!」
「まるで機人じゃな」
Amaryllisが呆れた様子で相手を抑えている。
……これ以上相棒に頼ってはだめだ。
「〝同期〟」
リーレニカが試しに起動句を宣言する。
すると、水泡の弾ける音を境に、いつもの白銀の世界が完成した。
どうやらこの世界に顕現したAmaryllisと、結晶体である蝶の生体型デバイスはそれぞれ独立しているらしい。
つまりリーレニカもまだ戦えるということだ。
すると、どこからか突然子供達の笑い声が聞こえた。
否、突然ではない。
ずっと前から聞こえていた。
夜眠るときも、Amaryllisの力を起動する時も。この力とは関係がないはずなのに、ずっと幸せそうな子どもたちの幻聴が聞こえていた。
これは――リーレニカの自責の念だ。
この国に来る前から、生体型デバイスと過ごし、感情のほとんどがエネルギーとして奪われたことによる自責の念。
任務を優先し、合理的に動いてきた。その道中で見捨てた命が、救えたはずの子供達の未来が、幻聴となっていつまでも己自身を許さなかった。
「自分を責めるのはもうやめろ。イライラする」
ふと、Amaryllisがリーレニカの脇腹を小突いた。
「お主はこれから救う命のことだけを考えろ。それがあやつの託した――ワシを受け継ぎ、ワシが認めた相棒のやるべきことじゃ」
「Amaryllis……」
子どもの笑い声が止んだ。
弾道ナイフを構える。
「ねえAmaryllis」
「なんじゃ」
「――ありがとう」
蝶の翅がリーレニカの背中から広がった。
エリザヴェーテ王女の元へ瞬く間に到達する。
相手はAmaryllisの呼び出した力に抵抗している。なおも抵抗し、片手をリーレニカへ向けた。
「死霊よ――」
『警告。未知のマシーナ反応。回避を推奨。出力二〇、四〇、八〇――』
自動音声が耳元で警告する。
回避だと? 冗談じゃない。
リーレニカは鬱陶しい羽虫を見る目で口を開いた。
「〝深海〟」
「〝白霊宮の矢〟」
リーレニカとAmaryllisの言葉が重なる。
不可視の重力が敵の腕をへし折り出力をねじ伏せる。
同時に白銀の矢が八方向から、王女目掛け荒々しく殺到した。
「こ……の」
体中を貫かれた王女が肉体の修復を再開しようとしている。Amaryllisの放った矢は敵の肉体修復を著しく阻害した。
リーレニカの進行を妨げようともう片方の傷だらけの腕を上げる。
弾道ナイフから射出されたブレードが貫いた。王女はうめき声を上げる。
そのまま馬乗りになり、もう一振りが王女の心臓を貫いた。




