16話 始祖の王女
大地に叩き落とされた白龍まで降り立つと、事態の終わりを知ることになった。
空を埋めるほどの体躯を誇っていた白龍は激しく痙攣し、人を丸呑みする程度の蛇にまで縮小している。
一方不思議なことに、上半身がはだけたアルニスタの姿が近くにいた。盲の彼は、手を這わせて周りを確認しているようだった。
「二つに別れてる?」
『宿主から切り離されたな。器がないワシらは永く現界できん。蛇は暫くすれば結晶化するじゃろう』
空を見る。
花の機人を仕留めたのだろう。近くで巨大な粒子のカーテンがオーロラのように揺らめく様子が窺える。
シュテインリッヒ国を脅かす脅威は去った。
遠くからヴォルタスと騎士団達が駆けてくる。
ヴォルタスはリーレニカを押し退けるように割って入ると、衰弱したアルニスタを抱き寄せた。
「アルニスタ様!」
「テロの首謀者だ」
騎士団はアルニスタと白蛇にそれぞれ視線を向けている。
奇跡的に死者を出さなかったものの、国に与えた被害は甚大だ。どんな罰を受けても不思議ではない。
しかしあれだけ信心深かったヴォルタスが黙って捕えられるとも思えない。
心中穏やかではない雰囲気を感じていたリーレニカは、この違和感の正体を誤認していた。
大蛇が首をもたげる。
『死のマシーナエネルギーはないが……ブリアーレイスのエネルギーでも代用できる。まだ不十分だが、贅沢は言えない』
白龍に化けていた時の勢いはなく、何ができるとも思えないような波状運動で身をよじる大蛇。
「なにか……忘れているような」
眺めながら顎に手を当てるリーレニカの声を聞いたのか。
異変を感じたアルニスタが取り乱した様子で起き上がり、リーレニカの靴を掴んだ。
焦点の合わない彼は地面に向かって声を荒らげた。
「まさかあの砲撃兵器を使ったのか?」
「兵器って――あの蛇に撃った?」
「あれはラグナに使うものじゃない! 早く再装填するんだ!」
今度こそ事態の深刻さに気付いたアルニスタが訴えるが、誰もテロリストの言葉に貸す耳はない。
リーレニカだけは、その意図にようやく察しが着いた。
「まさか貴方の狙いは初めから――」
『〝エリザヴェーテ・シュティンリッヒ〟』
人間の言葉を使えないはずの大蛇が、この場にいる全員の理解出来る言語でそう呟いた。
呟くと言うにはあまりにも鮮明。それは脳に直接語りかけているような、不思議な感覚だった。
そして、聞き覚えがある。
シュテインリッヒ――この国の名だ。
『リーレニカ! まだ終わってないぞ!』
ソンツォの通信直後、大地を割るようにして極大な光の柱が天を貫いた。
騎士団を容易く吹き飛ばすほどの衝撃と暴風が襲う。兵士の悲鳴すら掻き消す暴風に耐え、その発生源を凝視した。
やがて、視界を占有するほどあった光が収束すると、人間の形をした何かが現れた。
「エリザヴェーテ……王女」
兵士から義務的な報告が告げられるが、相手はおよそ救助対象とは思えない立ち姿だった。
腰まである透き通る金糸の髪。絵画で見たことのある、王族が纏うようなドレス。何から何まで、作り物めいた造形美。
神話の女神を見ているようだった。
「――あなた」
見覚えがある。
フランジェリエッタを閉じ込めていた地下空間で一緒に保管されていた人間。
生体反応がなかったことと、容姿と相まって作り物だとばかり思っていたが、彼女の放つマシーナ反応が生命体であることを如実に物語っていた。
生命体であって、人間ではない。
白銀の世界を激しく揺さぶるほどの膨大なマシーナ反応。
目を差すほどの光量を内包しているにもかかわらず、放つマシーナは無色透明。それでも人間の輪郭を優に超え、巨大な生き物のように蠢いている。
シュテインリッヒ国の兵士なら彼女のことはわかるはずだ。
そう思い視線を巡らせれば、誰もが亡霊を見ているような顔をしている。常に余裕な表情をしていたファナリスですら緊張で引き攣っていた。
『目標確認』
耳飾りから自動音声。
リーレニカもようやっと理解する。
この国に潜入した目的が目の前にいる。
あれがシュテインリッヒ国の秘匿していた戦争兵器――生体型デバイスなのだと。
****
伏せていた目を開けたエリザヴェーテ。翡翠の瞳がリーレニカ達を見据えると、全員無意識に身動きが制限された。
動けば死ぬと動物的な本能で察しているように、兵士の誰も息を止めていた。
見た目はただの人間だ。人間からここまでのプレッシャーを感じるはずがない。
相手から押し付けられた感情は至ってシンプル。この場から今すぐに逃げ出したくなるほどの――恐怖だ。
「……ッ!」
対象の危険指数は、これまで対峙したどの生き物とも一線を画している。
誰もが呼吸すら憚られた異質な空気の中――一部の人間だけが肉体的呪縛に抗った。
『〝デバイス起動〟』
「〝ブラスト〟」
「〝グランゴヌールの館〟」
「〝蝶庭園〟」
ファナリス、レイヴン、ベレッタ、ヴォルタス、リーレニカの五名がエリザヴェーテに敵意を振りかざした。
今のリーレニカには生体型に支配されない明確な意思がある。
エリザヴェーテ・シュテインリッヒも生体型デバイスを隠し持っているのだろうか。であれば、彼女の影に隠れるナニカがあの体を乗っ取ったのだろう。
いわば、リーレニカがAmaryllisに支配されるようなものだ。
あの生命体がAmaryllisほど変わり者でなければ、人間に対して積極的な敵意はないはず。
だがあの生き物はこちらに対して明確な意思を示した。
――死ねと。
故に、リーレニカ以外の人間も、恐怖以上の本能に従い攻撃へ移行していた。
ここで殺さなければ最悪の結末を迎える。
「群れるな」
不可視の力が飛びかかる五名を真逆の方向へ吹き飛ばした。
それぞれのデバイスが起動するが、初撃で仕留め損なったせいで機能が中断される。
ただ一人を除いて。
「〝ルーテンリッヒ・ボア・エリゴール〟」
奇術師はすでに不安定な黒い霧を展開している。霧の底から這い出るようにして現れた巨大な貴婦人が、エリザヴェーテに影を落とした。
巨大な赤子を出すまでもない。
目下に佇む女神は生き物として常軌を逸している。機人の感覚器を持つエリゴールの意思だけで、攻撃対象は自然とエリザヴェーテへ向けられた。
人間を蟻のように圧し潰す拳が一息でエリザヴェーテへ到達する。
「私の眷属を使うな。痴れ者め」
巨大な拳が衝突する直前。エリザヴェーテのしなやかな指が拳へ添えられると――。
巨大な貴婦人は拳から全身にかけて、削り散らされるように爆散した。
「な――に?」
容易く自慢の兵器を無に還されたショックで集中を乱されたヴォルタスは、とうとう吐血した。
ここまで度重なる違法デバイスの強制起動で、体内のマシーナウイルスは問答無用で汚染されている。
いくら独自の薬を服用していたとはいえ、人間の体では到底耐えられるはずがなかった。
「デバイスか!?」
「何をしたんだ」
騎士団長達の攻撃で正気に戻った兵士達が遅れて剣を構える。機人を指一本で消し飛ばした現象に動揺が走った。
――あれは機人の能力じゃない。もっと原初に近い、概念のような……。
リーレニカは全身に纏うマシーナが、小さな虫の群れに食い荒らされているような不快感を覚えていた。
白龍の使うような魔術? そもそもあれは魔術なのか?
「いつの時代も弱者は群れるな」
エリザヴェーテがふと視線を巡らせる。
「〝自決しろ〟」
凛とした声は力を込めずとも辺り一帯に行き届いた。遅れて全身を節足動物が愛撫するような不快感が襲う。
異常現象はそれだけで収まらなかった。
剣を構えた兵士たちが、慌てて自らの首に刃を押し当てたのだ。
狂気的な行動に迷いがない。
「やめ――」
止めるには自殺者志願者が多すぎる。
リーレニカが手を伸ばすより早く、兵士達の剣の柄から先がきれいに砕け散った。
剣鬼ファナリスが一瞬のうちに味方全員の剣を切り砕いたのだ。
「ほう。芸達者な人間がいるな」
『エリザ、ヴェーテ……』
にじり寄るように金髪の女性へ這う大蛇が、まるで数百年振りの再開を果たしたかのように潤んだ瞳で彼女を見つめていた。
『お前に再び逢うために、俺は……ずっと』
蛇の言葉を遮るように、エリザヴェーテは首を回した。
美しい容姿とは裏腹に、王族らしからぬ立ち居振る舞いをしている。
「ああ、長かったな。この忌々しい体に封印された挙げ句、人間の踏みしめる地の更に下に幽閉され、退屈に殺されるところだった」
『俺と一緒に、お前を貶めた裏切り者共に復讐しよう』
大蛇が王女を愛でるように身を寄せると、エリザヴェーテは鬱陶しそうに顔をしかめた。
「さっきから私を恋人のように騙っているが、お前は誰なんだ?」
「――え?」
「お前のような蛇畜生は知らんぞ」
「……嘘だ」
期待していた言葉とは異なる返答をされた大蛇の瞳が揺れている。
哀れにも目に涙を浮かべている蛇に、エリザヴェーテは意地悪そうな顔で蛇を茶化した。
「なんだ。この体の主に惚れていたのか?」
『エリザヴェーテ』
「忌々しい名を口にするな」
虚空に光の輪が生まれると、大蛇の顔を抉り取るほどの質量を持った熱線が貫いた。
はるか遠方にまで及ぶと、遠くで轟音とともに極大の火柱が立ち上る。
太陽を間近で浴びるような非現実的な熱と光が一同を照らした。
顔を失った大蛇は、既に全身を灼かれ黒炭と化している。
エリザヴェーテが大蛇に興味をなくすと、エリゴールと同じようにその巨体が崩れ去った。
『始まっちまった』
ソンツォが諦めたような声を発する。
『どういうこと? あの人が持ってるのは、国が隠した戦争兵器じゃなかったの?』
『違う。あいつは数百年前――デバイスの概念がなかった時代の遺物だ。人間を食い物にする古代獣に対抗するために、魔術で封印する技術が実現された初めてのケース。それが人柱の――エリザヴェーテ王女だ』
『あの体は死体ってこと?』
『王女の意識は死んでいる。むしろ中身が無理やり動かしてるって言ったほうがいいか。なまじ人間の身体を保存できるから、不老不死の人間って言ってもいいかもな』
『中身……』
『古代獣を形作る高位生命体――マシーナウイルスだ』
『私達の体に流れてるものと同じじゃない』
『いや、もっとひどい』
視界にエリザヴェーテを解析するデータが表示される。
『マシーナウイルスにも地域によって差がある。この地帯を占有していた生物が撒き散らした説が有力だが、その説に倣えば、あれはマシーナウイルスの始祖ってことになる』
『ワクチンにもなり得るってこと?』
『残念だがそう上手い話にはならない。どちらかというとAmaryllis寄りだ』
蝶の耳飾りが小さく揺れる。
『昔は結晶体にするほどの封印技術がなかった。魔術に取って代わるデバイス技術が発展すると、文献に記された人柱――エリザヴェーテ王女を原初モデルとして、技術的な言い方に変えたんだ』
エリザヴェーテが一際マシーナ反応の強いリーレニカに目を向ける。
視線が合うと、彼女は暇つぶしの玩具を見つけたように微笑んだ。
『形は違えど、俺達はそれを〝生体型デバイス〟って呼ぶようになった』




