12話 翔べ
あれこれ訊いている状況ではない。
ヴォルタスが来る前も、ソンツォから「魔女の話」を聞かされたばかりなのに。
「ダウナ嬢が――」
『あー今色々訊くなよ。〝魔女〟は組織の序列でいうと四位のやり手だ。後から加入したレニカ嬢ちゃんでもそう簡単に組織の全容は教えられねえ。それくらいは分かるだろ?』
ソンツォは呆れた風に、『二重スパイなんてザラだしな』と軽い調子で言った。
淡々と言われてそう簡単に受け止められるものでもないが、今それを教えたということは自分を本当に信用したと受け取っていいのだろう。
「……聞いてください」
だから、リーレニカはやるべきことを定めた。
「アルニスタさんは――すでに乗っ取られています」
「……ありえない」
主の不幸を聞いたヴォルタスは呆気にとられ、生気の抜けた顔で目を泳がせる。
「あの人は――『この国の機人症を無くす』と言っていたんだ」
「……え?」
――どういうことだ。
機人症を無くす? 国民を殺すのではなく?
ヴォルタスはとても嘯いている様子ではない。
思えば劇場でこの奇術師と対峙した時も、逆恨みのような怒りを示していた気さえしていた。あれが混じりっ気のない本心なら。
はじめに暴動が起きた時、負傷者はあったとしても死者はいなかった。
ピエロが自爆したのでさえ、本当は威嚇だけで、自分が致命傷を与えなければ破裂すらしなかったのか?
アルニスタが自分と二人きりだった時、確かに矛盾したことを言っていた気がする。
――『機人はこの世から消えた方が良い』。そう思わないか? 私はそう思う。
……もし。
……もしあれが、アルニスタの言葉だとしたら。
人間と機人の狭間で戦い、限界が来たところで自分との衝突を中断した。
本当は、誰かに己を殺して欲しかったのではないのか。
「彼は……死んでいない」
「なんだと?」
絞り出すようなリーレニカの言葉に、ヴォルタスは耳を疑ったのか聞き返した。
「まだ――あの白龍の中で闘っています」
「適当なことを言うな。なぜそう言い切れるッ」
「私も彼と同じだから」
自分もAmaryllisと闘ったから分かる。
あの時。
――ミゲル達が造花を起動した時、ソンツォが教えてくれた。
◇
造花起動と同時刻。
『お前俺の着信無視すんなよ』
『ソンツォ……でも私フランジェリエッタを……。もう組織には――』
『ばーか。あれは任務失敗じゃねえよ』
ソンツォはリーレニカの後ろめたさを消してくれた。
『生体型デバイス掌握に必要なフェーズだったんだ。古代獣の〝乗っ取り〟ってのは、所有者の自我を壊すためにあらゆる手段を本能的に講じるんだよ。例えAmaryllisにそういう意図がなくてもな』
『……じゃあ』
『ああ。お前はAmaryllisの最後の精神支配――〈破壊衝動〉を克服したんだ』
自分を仲間として認めたように、ソンツォは調子良くリーレニカの背中を押すように言った。
『今のお前は表向きは〝兵士〟だ。細かいことは俺が有耶無耶にしてやる。もう遠慮しなくていい』
◇
リーレニカがこれから起こりうる最悪を簡単に話すと、はだけたパーカーを直したベレッタが口を開いた。
「ベレッタはせんせーに付いてくぜ。せんせー口は悪いが、近接以外役に立つからな」
「黙れ裏切り者。アルニスタ様をお助けするのは俺一人で充分だ」
「おいおい、ベレッタは旦那じゃなくてあの蛇野郎を仕留めようとしてたんだぜ」
「賞金稼ぎなど信用できるか。そもそも、このコウモリ女がアルニスタ様の暗殺を目論んでいない証拠がどこにある」
ヴォルタスは飽くまでも、一人でアルニスタを助けるつもりらしい。
あれだけやり合っておいて、いきなり信用しろというのも無理な話か。
ベレッタも大して気にしない様子だった。
「だってさ。リーダーはどうすんの?」
「彼を止めます」
あの白龍は天高く昇っている。騎士団やベレッタも上空の脅威には地の利を押し付けられるだけだろう。
巨大な機人を召喚するヴォルタスでさえ、あの白龍に縦横無尽に飛ばれてはどうしようもない。
スタクを救えたのなら、アルニスタも人間に戻せる可能性があるはずだ。
「花の機人が動いていない今しかチャンスはありません。彼が人殺しになる前に、私が叩き起こす」
アルニスタの生体型デバイス――ラグナ・ジェムナックが宿主をいいように使っているこの最中にも、彼は心を壊されながら闘っているはずだ。
騎士団とミゲル達の奮闘で命を繋げているだけであって、マシーナ汚染を起こした罪は償わせないといけない。
あの怪物からアルニスタを取り返せるのは、同じ生体型を持つ自分だけだ。
「じゃあベレッタは花のデカブツを殴り殺してくるかな。あんだけデカけりゃ今度こそ逃げられねえし」
ベレッタは戦闘狂のきらいがある。それでも白龍に集中できる状況にしてくれるならありがたい。
一部の騎士団はベレッタを目撃しているだろうから、変な乱され方をされなければいいが。
「……やれるのか?」
ヴォルタスも空に飛ばれた主人に手立てがないのだろう。未だに「主人を殺すなら容赦しない」と言いたげな疑いの目をしている。
――本当は、ずっと自分の立ち位置に迷っていた。
生体型デバイスの〝乗っ取り〟に抗うため、感情を捧げ、ここに来る前は任務以外を無視してきた。
そして、守りたい者を見つけ。生体型に抗い、心のままに戦い続けた。
……戦い続けた。
「はい」
まだ戦いは終わっていない。
リーレニカの琥珀色の目から、迷いは消えていた。
あの白龍からアルニスタを奪い返す。
「任せてください。『盗み』は私の得意分野です」
****
ベレッタとヴォルタスがそれぞれの目的地に向かっている中、リーレニカはその場に留まり、空を向いたまま目を閉じている。
――ああ言ったものの、自分は今まで隠密の任務をすべて遂行してきただけだ。
空の世界は介入したことがない。
誰もいないこの地で、リーレニカは思い返す。
マシーナウイルスは、人間の感情に強く作用される。
だから、激しいストレスで機人になったり、防衛反応で記憶障害を引き起こす。
――なら、思うように使いこなすこともできるのではないのか?
「Amaryllis」
『――なんじゃ』
試しに呼びかけてみると、フランジェリエッタ殺害を提案した相棒は案外簡単に応えた。
「どうして」
フランジェリエッタを殺させようとしてきた時のことを思い出す。
「どうして力を緩めてくれたの?」
『……さすが相棒じゃな』
リーレニカが激しく抵抗した時、Amaryllisは一瞬、体の支配権をリーレニカに返してくれたのを感じていた。
生体型デバイス――結晶体として封印された古代獣の本能に抗い、リーレニカの心を喰らわず、あまつさえ、最後の支配欲を自ら押さえていたはずだ。
『見てみたかっただけじゃ』
「何を?」
『〝あの男〟が――ロウエンが命懸けで守ったガキが、何を成すのか』
リーレニカの恩人の名を口にする相棒に、瞳が揺れた。
全身を包帯で巻かれた〝あの人〟が置いて消えた――蝶の耳飾り。
優しく触れる。
「私が寝ている間、あの人は何か言ってた?」
『そんなに知りたいか?』
Amaryllisはニヤつくような声で、
『わしを使いこなしたら教えてやる』
いつもの意地悪そうな調子で、挑発的に言ってきた。
『がっかりさせるなよ?』
「……ふふ」
――上等だ。
リーレニカは返答の代わりに、力強い起動句で返した。
「〝蝶庭園〟」
花畑が地表を走るように咲き広がる。
背中から極彩色の翅が大きく広がる。
「…………」
ソンツォも言ってくれたじゃないか。
もう遠慮しなくていい。
――完全に掌握したお前なら、思う通りにやれるはずだ。
「――翔べ」
光で形成した翅。
リーレニカの意思に呼応するが如く、極彩色に煌めく。
間も無く。
コウモリスカートは無数の煌めきを連れて空高く飛翔した。




