10話 紫髪の計略
視界を灼くような輝きが広がると、すぐにベレッタの左手へ収束した。
真正面に受けたはずのアルニスタも傷ひとつない。宙に浮かぶ多面体の煌めきが、アルニスタを覆うように守っていた。
透明化した大蛇の体なのだろう。打撃を受けた蛇の体は、熱波に引かれるように全身のマシーナ粒子ごとベレッタの左手へ吸引されたようだ。
「小娘が……俺に何をした!」
「キャハハ。やっぱし、これっぽっちじゃ無理だったか」
観念したように笑うベレッタを、更に潜んでいた大蛇が薙ぐように吹き飛ばす。
「おいリーダー! 何ボケっとしてやがる!」
うまく受け身を取りながら、リーレニカに向かって叫んでいる。気づけば、リーレニカを縫い留めていた大蛇が消えていた。
ベレッタの一撃で蛇のほとんどがアルニスタの元へ収束していたのだろう。
『レニカ! 奴を止めろ!』
「――ソンツォ?」
強制通信の音と共に、耳飾りからソンツォの声が飛び込んだ。
一度裏切ったはずの自分に干渉する理由を訊く間も無く、アルニスタから不穏な起動句が聞こえた。
「〝擬態解除〟」
言下、蛇の頭蓋骨を模したステッキが枯れ枝を握り潰すように砕ける。
噴出するマシーナ粒子が、アルニスタの全身を取り巻いた。
視覚補助のサングラスが落ち、肉体構造の変化が開始される。
アルニスタの体表を、鱗が走るように構築されていく。
上体は人体のシルエットを保ちながらも、人一倍肥大化していく。肌が白く磨かれた鱗の鎧へ変質した。
下半身は歩行する両足を捨て、蛇の体へ作り変えられていく。
真っ赤に染まり、狂気に満ちた眼光。
逞しい蛇の体が、アルニスタの上体を持ち上げるように支える。
ベレッタの半機人化より、さらに機人へ踏み込んだような変化。
蛇男が卑しく笑っていた。
****
ベレッタがリーレニカの横に立つと、何度目かの大技で魔装が崩れ落ちた。
「リーダー。これあの女に返しといてくれ」
ベレッタが馴れ馴れしく仮面を差し出してくる。
何を今更と睨みかけたが、仮面に付着したマシーナ反応の異変に気付いた。
「これ……人工血液? じゃあソフィア嬢は」
「弱いやつ殺したって面白くねえだろ。兵舎からアイツの輸血パック盗んで、借りた仮面にぶっかけたんだよ」
淡々と状況を話すベレッタは、事実としては間違っていないのだと分かるものの、その支離滅裂な行動を受け入れられなかった。
どういうことだ? アルニスタの手に落ちたソフィア嬢を口封じするために襲撃していたのではないのか?
「まさか――あなたも二重スパイ?」
「スパイ? そんな仰々しいもんじゃねえよ」
だとすると目的は、アルニスタを乗っ取った生体型デバイスか?
ベレッタは前方に佇む、劇場にすら引けを取らない長さへ変貌し続けるアルニスタ――大蛇を睨んでいる。
「あの魔女の言う通りだ。人の皮を被った化物め」
「どういうこと?」
――今、魔女と言ったのか?
ベレッタはリーレニカの得心いかない様子に目を丸くした。
「マジでベレッタを忘れてたのか? 迫真の殴り合いだとは思ったが演技じゃなかったんだな」
リーレニカも、なぜ彼女がそんな親しげに話してくるのかとは思っていた。
はじめに兵舎の地下施設へ侵入してきた時でさえ、意味不明な言動をしていた気はしたが。
――おーおー真面目ちゃんだね。
あの不自然な反応は、自分を知っていたものだったのか。
思考する。
――そうじゃない。
もっと前から出会っていたんじゃないのか。
たとえば、フランジェリエッタと初めて会ったあの日に。
「あなた……月ノ谷調査メンバーの……傭兵?」
「はー……どうりで噛み合わねえと思ったぜ。まるで記憶喪失だな」
「でも……あなたレイヴン隊の隊長にやられたんじゃ」
「アイツは今度ぶっ飛ばす。凍え死ぬかと思ったがな。あの魔女みてーな依頼者が助けてくれたんだよ」
「魔女……?」
理解が追いつかない状況の中、マシーナが安定し始めたアルニスタが低い声を漏らした。声帯というより、マシーナを介して言語を伝えているように、
「おい――今魔女と言ったか?」
感情をダイレクトに伝えるマシーナが、その動揺を一層濃くした。
「魔女……? なぜアイツがここにいるッ!」
咆哮が暴風となってリーレニカ達を一歩下がらせる。
アルニスタはダウナを知っているのか?
動揺を隠すように白蛇の男は、天を衝く怪物の方向へ視線を向けた。
「だがもう遅い。すでに機械細胞の〈花粉〉は自走させている。狂人と機人が死のマシーナエネルギーを集めるだろう」
「死のマシーナエネルギー……? そんなもの集めてどうするつもり!?」
「すぐに分かる。そら、全域に意識を巡らせれば悲鳴が――」
アルニスタが目を閉じる。
何かに気付いたように、目を見開いた。
「なにが」
血走った目でリーレニカを睨む。
「何をした! 人間ッ!」
リーレニカは彼の反応を見て確信した。
――うまくやったのね。ミゲルさん。
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数刻前。
貴族エリア。
「はぁ、はぁ……!」
狂人を殴り飛ばしたミゲルは、避難施設内からも響く悲鳴に振り返った。
中から続々と貴族服を纏った男女が逃げ出してくる。
「暴動だ! 憲兵はいないのか!」
子供の手を引いて逃げ出した貴族の男が、ミゲルと目が合うと駆け寄ってくる。
「お前造花屋だな……! 外はどうなってる。平民が休んでいる場合か? 早くなんとかしろ!」
「あんた……」
見覚えのある貴族だ。以前貴族街で造花を売りに出した時、「今時娯楽のデバイスなんか価値がない」とか言いたい放題に言った男の一人。
今まで自分は、こんな連中のために腰を低くしていたのか。
――みっともねえ。
「このクソ貴族」
ミゲルは、冷静さを欠いて胸ぐらを掴んできた男を殴り倒した。
倒れる男の高価そうな服を構わず掴み上げ、顔を近づけて怒鳴る。
「今更貴族も何もねえだろ! お前は貴族である前に一人の親だ! 違うか⁉︎」
貴族の後ろで怯えている男の子を指差し、狂人の落とした長剣を押し付ける。
外で正気を失った暴徒が出ているなら、中の連中も例外ではないだろう。
逃げ道はない。戦わなければ死ぬだけだ。
「ああそうか。ナイフとフォークしか重いもの持てね貴族様だからな。戦う根性がねえからテメエのガキも守れずに泣きつくのか?」
もはやバリケードすら意味をなさない乱闘状態だ。陣形を組む余裕がない今、自分の身は自分で守るしかない。
男はよれたシャツに気を留めず、目の前の長剣に手を震わせ――握った。
「ああ……くそくそくそッ! やればいいんだろう!?」
腰の引けた構えで息子を背に庇った貴族を見て、ミゲルも卵に閉じ込められた娘のリタを見る。
啖呵を切ったものの、どうすればいいのかわからない。
いくら戦い続けたところで、消耗戦になれば人間の自分達が負けることは必定。
目を泳がせていると、なぜかリーレニカの言葉を思い出した。
ピエロの爆発から救ってもらった路地裏で、リーレニカは確かにこう言っていた。
『本当に危ないと思った時、一斉に起動してください』
「……クソッ」
ミゲルは懐から通信端末を取り出す。
すぐに快活な男の子の声が聞こえた。
『どうもー! シヴィ・デリバリーの……』
「俺だ! この前言ってたやつは準備できてるか!」
『ミゲルさん! 先日は大量発注ありがとうございます! 自走箱は全域に配置しましたよー!』
「デバイス起動だ!」
『あいあいさー! デバイス起動! あ、支払いは指定の口座に――』
端末を切ると、全域で何かの稼働音が幾重にも広がった。
「どうとでもなりがれ……!」
今はリーレニカを信じるしかない。
直後、国の全域で多種多様な造花が幻想的な光を散らしながら開花した。




