8話 怪物は根を下ろす
リーレニカは突風に晒されたようにスタクの花から弾き出された。即座にファナリスが受け止める。
精神世界に対して一秒も経っていなかった現世では、怪物にナイフを突き立てた直後、蔦の鎧が苦しげに波打ち、胸部に咲くツツジの花へと取り込まれていった。
意識を取り戻したスタクは、はだけた上半身が機人化途中の状態を晒している。
一瞬の出来事にファナリスは半信半疑のまま口を開いた。
「……⁉︎ まさか本当にやったのか?」
すでに臨戦体勢を解いたリーレニカは、数キロ走行を一瞬で終えたような疲労感を見せている。
「……ええ。おかげさまで」
「ほう。花屋の女は臨床心理士もかじっていたのか?」
すぐ後方から現れた、低い男の声。
そいつは邪悪な蛇のように笑うと、サングラスを指で弄った。
「アルニスタ……!」
アルニスタ・スカルデュラ。
礼服に黒いマントを靡かせ、ステッキの上に蛇の頭蓋骨へ加工した結晶体を載せている。
大蛇の生体型デバイス使い。
彼は左手にそれぞれ指輪を嵌めている。うち一つが思念に反応して青く発光した。
「そろそろ〝収穫〟の頃合いだ」
「……! ぐあ、あああ――ッ!」
指の動きに合わせ、不可視の力がスタクの体を宙へ持ち上げる。
胸部のツツジ――その中核から、薄桃色の宝石を抉り取った。
小さな菱形にまで圧縮された宝石。内側で粘性の液体を閉じ込めた燃焼器官。抉り取ったそれはアルニスタの手中に移った。
「マシーナ・コアを引き剥がした……⁉︎」
「上手いもんだろう? 並のデバイス技師でもここまで綺麗な切除はできない」
不可視の力から解放されたスタクは地に放り出される。一度呻くと起き上がれなくなっていた。
胸部の花が蕾になるが、生体反応は続いている。
「これでやっと揃う」
「貴方の目的は何なの!」
「俺か? ……フフ」
アルニスタは不敵に笑った。
「俺の番を取り返すのさ――このクソみてえな国からなァ!」
高揚した口調。
人格が変わったような――そんな生ぬるいマシーナ反応ではない。
「あなた――誰なの?」
リーレニカの問いに答えはなく。
アルニスタを取り巻くマシーナ反応がどす黒く染まり始めた。
何かの始まりを予感した剣鬼が飛び出す。
瞬時に間合いを詰めるが、突如顕現した大蛇が横腹を強襲し、一閃を止めさせた。
アルニスタは意に介さずマシーナ・コアを高く掲げる。
「開花しろ――〈ブリアーレイス〉」
起動句。
呼応するように大気が振動した。
超密度で圧縮したマシーナ・コアから粒子が荒々しく解放される。肉眼で視認できるほどの質量は、空へ一条の光を形成した。
光の中から飛び出す鋭い産声。思わず耳を塞ぐ。
そいつは見上げるほどの巨躯をもって、この地へ根を下ろした。
「なんだ――あの化物!」
「……そんな」
大きすぎる。
スタクを覆っていた時とは比にならない。
遥か上空に頭部――ツツジの花が大きく開花し、そこから人の形を成すように蔦が人体を編み込んでいる。
天を衝くほどの巨体は、〈エリゴール〉よりも一回り大きい。
『あれは人の器から逸脱した生物じゃな』
Amaryllisが呑気に言う。
だとすれば、機人という枠組みから外れた生物になる。
「高位生命体――古代獣?」
「俺の目的が何かと訊いたなあ?」
肩を揺らしながら笑うアルニスタは、生み出した怪物を指差し命令を下すように答えた。
「手始めは、この国全員のマシーナウイルスの回収――皆殺しだ」
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中央区――貴族居住エリア。
巨大な花の怪物がシュテインリッヒ国へ降り立てば、建物を裕に超える生物に気づかない者は居なかった。
機人モドキの掃討戦を繰り広げる兵士、武力組織、逃げ惑う市民。例外なく、空の一点を仰ぎ見た。
動揺が伝染する。
「なんだあれ」
至る所で乱戦を繰り広げる武力組織の中、造花店の店主、もとい武力組織の元締めであるミゲルが呟いた。
仕事着のツナギを穿いた彼は、銃火器の兵器型デバイスに、マシーナを詰めた筒状のカートリッジを再装填している。
ミゲルは商業エリアから貴族街へ逃れていた。
すでに一般市民区画の防衛も限界を迎えており、やむを得ず娘を連れて貴族街の受け入れ可能な施設へ駆け込んだ。
しかし許容量はあっという間に超え、女子供を受け入れる代わりに、平民の男性は施設のバリケード周辺で機人の侵入を防ぐ役割を押し付けられた。
とはいえ、ミゲルは曲がりなりにも裏社会――武力組織の元締めである。
憲兵と連携を取り、避難所へ押し寄せようとする機人モドキを多勢で抑えていた。
「ミゲルさん! そこらじゅうに変な卵が」
「……卵?」
仲間の誰かが避難所から飛び出して異常を報告する。振り返ると、ミゲルの娘であるリタが覚束ない足取りで出てきていた。
長い黒髪が乱れ、壁に手をついているリタに慌てて駆け寄る。娘は途中で息苦しそうに膝をついた。
「パ、パ……」
「リタ! どうした? 苦しいのか⁉︎」
必死に声をかける。こんな時にリーレニカの言葉が頭を過ぎった。
――リタもまだ安全じゃない。
次の瞬間、リタの体から、ミゲルを拒絶するように半透明の球体が生えた。
転ばされたまま顔を上げると、リタは球体――〈卵〉の中心で眠るように体を丸めていた。
「な……なん……」
「機人だ!」
レイヴン隊の兵士が遠くで声を荒げる。
順調に機人モドキの数を減らしていたこの場面で、建物の陰から湧いて出るように敵の増援。
さらに、
「ギニシャ! おい!」
「アハ、アハハハハ――!」
黒服の仲間であるギニシャがいきなり笑いだす。
すぐに半狂乱になり、刀剣を近くの兵士へ振り下ろした。兵士は慌てて受け止める。ギニシャの焦点の合わない血走った目が、正気を失っていることを物語っていた。
「何やってる! しっかりしろ!」
「うそ、だろ……」
狂人。
リタがピエロに連れ去られた時、暴動が始まったような民衆の凶暴化が再発した。
――こんな時に。
「これが……嬢ちゃんが言ってた〈花粉〉のせいだっつうのかよ?」
巨大な花の化物が現れてから、立て続けに異常が発生した。
そもそもあの化物はどこから出てきたんだ。
「どうなってんだよチクショウ……!」
ミゲルの動揺をよそに、機人の猛攻は激しさを増す。
バリケードの一部が破壊された。
数人の狂人が破壊し、ミゲルの背後へ意識が向いている。
「リタに手ぇ出すつもりか……?」
狙われているとはいえ機人ではない。理性は無いが、飽くまで人間――しかも商業エリアの仲間だ。
だが、娘を狙われているなら話は別だ。
銃火器を放り投げ、拳を硬く握る。
「馬鹿野郎が……やれるもんならやってみろッ!」
狂人二人が叫びに反応して走り出した。
満身創痍のまま背中の卵――リタを励ます。
「なあリタ。ちょっとだけ我慢してくれよ……絶対パパが助けてやるからな――!」




