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リーレニカの壊れた世界  作者: 炭酸吸い
最終章

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7話 『終わり』に向かう彼の世界




 精神剥離素体は、「悪性マシーナに溶けた人間の感情を分離」させる作用がある。機人化の要因である、ストレス起因による汚染を一時的に中断させるものだ。

 同時に、Amaryllis(アマリリス)の〈同期〉によって、スタクの精神世界へ侵入することに成功していた。

 他者の精神世界に入るのは初めての事では無い。

 もちろん容易ではないが、諜報活動の一環で対象の深層心理から情報を盗み出す経験が役に立った。


「スタク」


 スタクの心象風景はひどく殺風景だった。

 土を水に溶かしたような薄汚れた視界の真ん中で、彼は座り込んでいる。

 長めの黒髪にシャツの袖を捲った、サスペンダーを穿く仕事着姿。人間の姿を見るのは初めてだ。

 彼はこちらに気づくと、疲弊した様子で応えた。


「あなたは……この前の。確か……リーレニカ、さん」


 長期間〝花の機人〟による「乗っ取り」に当てられていたからだろう。精神世界でスタクの姿を維持できているのは、現世に強い未練を抱いている証拠だ。

 意識が鮮明になると、途端に立ち上がりリーレニカの肩を掴んだ。


「そうだ――ソフィアは!」

「大丈夫。レイヴン隊の騎士団長と合流しています」

「そうか……良かった」


 安心したように手の力が緩む。

 ベレッタの襲撃はあったものの、レイヴンには〈魔装〉の情報を共有している。騎士団長クラスなら守り切れるだろう。


「機人化の自覚はあるのね?」

「ああ……俺はもう死ぬ。これ以上生きていても、手当たり次第に人を傷つけるだけだからな」


 こちらに視線を合わせず、諦めた顔で独り言のように言った。


「最期に見る夢が命の恩人か」

「夢じゃないわ」


 泥色の世界でリーレニカはスタクの目をはっきりと見た。


「あなたを助けに来たの」

「助ける? どうやって」


 当然の反応を示した。この状況で理解しろというのは無理がある。そもそも非現実的な世界での会話だ。まだ自分のことを夢の住人だと思われているかもしれない。

 構わず話を続けた。


「あなたの沈んだ自我を現実世界まで引き起こす必要があります。まずは、あなたがどうしてこうなったのか思い出してください」


 心象風景の世界では現実より時間の流れが著しく早い。とはいえ、止まっているわけではないため、早急にスタクの意識を取り戻す必要があった。

 彼は動揺しながらもリーレニカの話に付き合ってくれた。


「……始まりは、ソフィアをゴシップ記事に上げようとした事がきっかけだ」


 スタクが記憶を辿ると、心象風景の一部が鮮明になる。やがて記憶映像が構築された。

 心象風景に映る映像にスタクは困惑した。


「リーレニカさん、これ」

「思い出し続けて。必要なことなの」

「あ、ああ……」


 気を取り直したスタクは少しずつ語り出した。


「当時俺は、国の汚い部分を取材する記者だったんだ」


 語りながら、記憶で作られた映像はスタクの過去を雄弁に物語り始めた。



  ◇



 ディープな記事をばら撒く記者として生計を立てていたスタクは、売り上げ金で孤児達のために簡単な孤児院――ほったて小屋だが――をスラム街に構えていた。

 買い手は上流貴族だ。連中も綺麗事ばかりだと息が詰まるのだろう。スタクの刷るディープな内情は、お高く止まっている貴族達から高く求められていた。

 記事の的は「シュテインリッヒ国で暗躍する闇。〈夜狐〉について」だった。

 血税を悪いことに使う公務員は少なくない。本来使える税金で救われたはずの下級市民――孤児が死に絶える(さま)に耐えられない、子供っぽい正義感から始まったこの家業は、いつしか好奇心に変わっていった。


 好奇心は危険に対する歯止めを緩くする。

 情報網から仕入れた、夜狐を隠す兵舎を入念に観察したスタクは、デバイス妨害装置の有効範囲外ギリギリで盗聴のデバイスを仕掛けることに成功した。

 どうやら隊員は、専門医に定期的な診察を受けるらしい。


『レイヤー(よん)ですね。血中マシーナの汚染は緩やかですが、骨格の変化や燃焼器官の構築プロセスは起きていません。新薬は有効に働いているようです』

『ありがとう。お陰で痛みもない』


 驚くことに、夜狐という部隊は特定の機人症患者を兵隊として抱えているらしかった。

 スタクはその夜狐一人を尾行、密着取材し、大金を掴もうと考えた。

 そこで一人の夜狐を遠隔監視する「羽虫の追尾デバイス」を仕向けたのだ。


 ある雨の日、黒衣の影――夜狐を遠くから尾けていると、商業区に入りいきなり見失ってしまった。

 周囲を見渡すと、子供の手を捻り上げて騒いでいる果物屋が目に入った。その子供はスラム街でよく見る子で、盗みを働いたのだとすぐにわかった。


『な……あいつ何して』


 自分より早く、花のバスケットを抱えたブロンド髪の女性が仲介に入っていた。あの子に身内が居たのかと思ったがそうではなかった。


『私の兄は憲兵なの。適切な場所で報いを受けさせるわ』


 お釣りが出るほどの硬貨をテーブルに叩きつけるように置いた彼女は、有無を言わさずその子を路地裏へ引いていった。

 盗みは決して軽い刑にならない。

 慌てて追いかけたが、想像した結果にはならなかった。

 その女は、人目につかないところで立ち止まり、子供に花入りの籠を突き出していた。


『盗むならもっと慎重にならなきゃ。こんな風にね。でもキミはまだ子供だから、真っ当な大人の下で働きなさい』


 花売りのバスケットかと思っていたが、果物が一杯に詰まっていた。彼女が叩きつけた額より多いので、盗み出したのだとすぐにわかった。

 見たところ貴族の装いだった。そいつが盗みを働く様子に衝撃を受けたのを覚えている。

 同時に、彼女の行いは自分の志と近いものがあるのではと思った。


 彼女が夜狐だと知ったのはその日の夜だった。


『お、おい……!』


 急に倒れた彼女に駆け寄る。

 要は、機人症に蝕まれていたわけだ。

 羽虫の尾行はブロンド髪の女性から離れておらず、体内の悪性マシーナを追わせていた判断が、「彼女が夜狐である」という解に導いてくれた。

 相手も自分の尾行に気付いていたのだろう。

 どこかで自分を捕えようと泳がせていたところで、急に機人症が悪化したようだった。


『なんとかしないと』


 彼女のバッグに薬がないかと探せば身分証が落ちた。ソフィア・ブランフォートと書かれていたが、夜狐の偽装証なのだろう。


 本当は見知らぬふりをして、明け方に市民へ発見させれば、スタクの記事は信憑性を増してより金が入っただろう。

 現実はそうならなかった。

 どこか自分と似ていると思ってしまった彼女を放っておけなかったわけだ。

 学のない自分にできることといえば、闇記事で得た金でありったけの医学書を買い漁り、自室で応急処置をする程度。

 しかし「背中から花を生やす症例」など聞いたことがなかった。


『その病は知っている。最北端のローエッジ諸島には、いくつか奇病があってね。治療法もある』


 貴族街の闇医者を探していたところ、「スカルデュラ家というデバイスの御三家が来訪した」ことを記者仲間から入手し、どうにかコンタクトを取った。

 スカルデュラ家は、機人をモデルに兵器型デバイスを製造していると聞いている。ならば機人症にも精通しているだろうと賭けたが、望んだ答えが返ってきた。

 それは「己を依代(よりしろ)にする」という身代わりの療法だった。


 アルニスタと名乗る男は、(めしい)の割にマシーナを見る眼が優れていた。

 まさか自分が「偽善性マシーナ体質」だとは知る由もなく、一瞬で体質を見抜かれた時には、これしかないと思ってしまった。

 偽善性マシーナ体質は、比較的機人化の影響を受けにくい。うまくいけば好きな性質に変化させられる。貴重なサンプルとして人体実験の対象にされるとも聞く。

 アルニスタはスタクへの協力を惜しまなかった。無償でだ。

 アルニスタの持つデバイスで、スタクとソフィアの体を接続――マシーナの接続と循環を成功させた。


 アルニスタの言う通りになった。

 偽善性マシーナ体質がソフィアの〈花〉を受け入れると、骨格の改造が起きずにこの体は()()()()()()()()

 目覚めたソフィアは取り返しのつかない状況を悟り、口を押さえて動揺していた。


『……なんてことを』


 互いの存在を知っていてもここが初対面だ。過ぎた自己犠牲でイカれた男に映っただろう。

 ソフィアはそのまま、素性を知った自分を殺せば良かったのに、そうしなかった。


『……! あなた、スラム街の』


 彼女にはスラムで孤児を保護している人間だと知られていたらしい。

 相手は夜狐だ。下手すると自分が彼女を調べ始める前から知られていてもおかしくなかった。

 ソフィアの機人症を肩代わりすることに成功したスタクは、無理矢理彼女を追い出した。

 夜狐に関する記事も書いていたし、我ながら支離滅裂な行動だったと思う。


 最初は軽度な症状だった。

 ソフィアの苦しむ様子から、尋常ではない苦痛であることを覚悟していたが、この〈花〉は容易く自分の心を折った。


『お兄ちゃん今日も来ないの?』

『……ああ、風邪移すと悪いだろ』


 扉越しに孤児達と言葉を交わすのもこれが最後になった。

 日に日に機人の症状が進んでいく体は、スタクの自我にも根を伸ばし、絡め取っていく。


 破壊衝動が始まったのもこの時期だった。


 自我を失わないように叫び、夜狐に関する原稿の山を床へ撒き散らし、隠れ家は泥棒が荒らした後のようにひどい有様になった。

 ある日、いつものように夜中うなされていると、隠れ家に侵入したソフィアが枕元に座っていた。体が楽になる。専門医からもらった薬品を投与してくれたからだった。


『なんでこんなことをしたの?』


 スタクがまともに話せる状態になるまで待つと、ソフィアは開口一番に聞いた。


『さあ……なんでだろう……な』

『スタク。姓は無し。スラムで捨てられ、新聞記者の男に拾われる。親がわりの男が死去すると、ライター稼業を引き継ぐ。貴族街の政治家や国家の裏金事情、反社会勢力に関する記事に手を出すと、法外な額で情報を売り捌き、孤児の生活を補填するジャーナリストへ踏み込む――ずいぶんな献身者ね』

『……俺のことを調べたのか』

『元々知っていたわ。私、スラム出身なの。同い年なの、知ってた?』


 月明かりで照らされた彼女は残念そうだった。

 スタクの胸部に癒着した花に触れると、


『あなたはお人好しなのよ。血も繋がっていない孤児のために自分を浪費するなんて』

『先行投資だ。今の大人達が権力者で居続ければ、近い将来、本当に腐った国になる』

『政治家のつもり?』

『いや。今後も生まれてくるだろう子供が可哀想なだけさ』

『やっぱりお人好しよ』

『そういうあんたは、夜狐のくせに子供を助けたじゃないか』

『あの部隊は綺麗な仕事をしないだけで、悪事が好きなわけじゃないわ。みんな尊敬できる素敵な人たちよ』

『どうだかな』


 なるべく冷たく当たっていたが、それから彼女は毎日のように自分のところに来ては、孤児の様子を教えてくれた。

 初めて知ったが、彼女は自分の代わりに孤児の世話を始めていたらしい。


『何が目的なんだ。記事を流さないように交渉しているつもりか?』

『言ったでしょ。スラム出身だって。親戚の面倒を見るのがそんなに気に障る?』


 二人きりの時は、ソフィアは頬杖をついて笑っていた。今思えば自分のストレス値を上げないように気を紛らわそうとしていたのかもしれない。



  ◇



 リーレニカに一通り話すと、汚れていたスタクの心象風景が澄んだ透明になり始めた。


「それから、ソフィアは隠密部隊の傍ら、俺の代わりに孤児の世話と、薬品回収を続けてくれた」


 リーレニカがスタクを見たときは、その投与でさえ症状を抑えられていなかったようだ。


「もう取り返しのつかない段階までくると、単純な善性マシーナを接種して意識を保つようになった。今思えばアルニスタの入れ知恵だったんだろう」


 月ノ花は生き物から吸収した、善性マシーナの塊だ。それを口腔接種することで生きながらえていたのだろう。


「こういう汚れた記事で稼ぐようになると、ソフィアの裏の顔を知って恥ずかしくなったんだ」

「どうして?」

「俺が汚い金で子供を養ってるから。あいつは俺と違う。機人の症状を抱えながら、スラムのために兵士になったんだよ」

「二人とも素敵だと思うけれど。あなたが汚れ仕事っていうお金だって、国の汚れた部分から取り返した、皆もらうべき収益よ」

「……ありがとう。でもいいんだ。スラムの今後はあの子に任せる。ソフィアは生きて、本当に大切な人を見つけて幸せになって欲しいんだ」

「ちょっと待って」


 リーレニカが不思議そうに言った。


「あなた達付き合ってなかったの?」


 スタクは面食らったようにリーレニカを見返した。


「付き合う? そりゃあそうなれたら最高だが。俺なんかがあの子と釣り合うわけないだろ」

「彼女、あなたのことをボーイフレンドのように語ってたわよ」

「……まあ、俺の体もあんな状態だったしな。リーレニカさんが助けてくれた時だって、『そういうフリ』をしないと。仕事柄、ほら。体裁があるだろ?」


 リーレニカはため息をついた。


「……フリじゃなく本心じゃないかしら。彼女のマシーナ、嘘をつくような反応じゃなかったけど?」

「……ああ」


 スタクは目を伏せた。ずっと自死を考えていたのか、自分の思いを殺してきたのだろう。

 自分だけでなく、ソフィアからの思いも気付かないようにしていたのかもしれない。

 心象風景に光が差し込んだ。

 スタクの自我と、外の世界――現実世界が近づいている。


「俺も……ソフィアを愛している」


 どこか嬉しそうにそう零した。

 ――フランジェリエッタが色恋の話を好む理由がわかった気がする。

 すぐに景色の至る所が歪曲する。

 もうここも永くはない。

 間も無く、二人は現実世界へ帰還した。

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