6話 剣鬼と蝶
地形を変えるほどの被害を及ぼした中心街は、自動車では到底進めない状態だったが、ファナリスの白馬はものともせず颯爽と駆け抜けた。
やがて巨大なマシーナ反応のポイントへ到達する。
『目標捕捉』
Amaryllisの自動音声が報告する。
マシーナ反応に引けを取らないほどの体躯を誇る、蔦の怪物。
スタクだ。
相手は白馬で訪れたファナリスとリーレニカに気づくと、人間らしからぬ雄叫びを上げた。
白馬を逃し、二人は肩を並べて警戒する。ファナリスが確認を取るように訊いた。
「彼が例の?」
「ええ。見ての通りレイヤー伍です」
リーレニカの言葉は淡白なものの、その語気には心なしか熱が入っているようだった。
観察すれば、スタクの症状は最終段階まで進行していることがわかる。
蔦が成人男性の体を完全に覆い尽くし、筋肉質な鎧になるまで肥大化したフィジカル。
四肢から派生した蔦は膨大な数で生え、生き物のようにしなっている。
「彼の症状は、全身を強靭な蔦で覆う〈花〉の機人です。機械細胞の花粉を噴霧し、吸引した人間を苗床とし、更に仲間を増やします」
「花粉? キミは問題ないのか?」
「問題ありません。この花粉は通常の機人化と同じプロセスを辿ります。情緒豊かな子供は影響を受けますが、肉体に害はない事も確認しています」
「道中話していた〈機人の卵殻〉というやつか」
「ええ。ファナリスさんも量産体を討伐したはずです」
噂をすれば、物陰から〈マネキン〉――スタクの眷属が現れた。
「あれは卵殻から実を落とし生まれた人形――兵器型デバイスだと思ってください」
「人間の〝気〟を感じなかったのはそういうことか」
妙なことを口にする剣鬼に、リーレニカはレイヤー零でありながら騎士団長を務める男の一端を見た気がした。
「最後に聞くが、本当にやるんだな? キミは元々保護されるべき立場にある。逃げたって誰も責めはしない。勢いだけだったのなら」
「たとえ周りが許しても、私が一番許せません」
「――わかった」
デバイス起動。
金髪碧眼の騎士がそう告げると、薔薇色の刀身が禍々しい輝きを散らせた。
リーレニカが〝挑発〟をするまでもなく、剣鬼――暴力的な力の象徴に誰もが反応を示す。
機人モドキが一斉に二人へ飛び出した。
ファナリスは空色の瞳を細め、短く息を吐く。
同時に白銀の世界を展開したリーレニカは、隣からのプレッシャーに目を丸くした。
****
――数分前。
「蔦の鎧を斬り崩す?」
スタクと対峙するまでの道中、白馬の手綱を握るファナリスが聞き返していた。
「ええ。私の予想が正しければスタクは擬似的な〈魔装〉をしている状態です。彼の臓器とマシーナ・コアが癒着しているはずですが、変異しているわけではありません」
「確証はあるのか?」
「いいえ。何せ前例がありません。確証とまではいきませんが、希望的観測ではあります。初見で彼は取り返しのつかない状態だと思っていましたが、『機人化を制御する女性』を見て一つの仮説が浮かびました」
リーレニカが馬に揺られながら、希望に縋るように語った考察。
一通り聞いたファナリスは不敵に笑っていた。
「いいね」
整った顔立ちの彼が笑うと、なぜだか絵になる。
そして気取ったように頷いた。
「希望は大好きだ」
そうしていざ蔦の怪物を目の前にしたファナリスは、その余裕な笑みを崩さず、起動した長剣のデバイスを強く握る。
「リーレニカ」
美形が一言発する。
同時に白銀の世界が真紅に染まる。それが攻撃予測線の束だと気付いた時には、この体は弾かれるように飛び出していた。
目線を送らない横顔が、こう警告している。
――衝撃に備えろ。
「デバイス起動」
「――ッ!」
周囲の地形は風圧と共に、無数の傷を抱くこととなる。
抜刀を最後に、ファナリス・フリートベルクの右腕が消えた。
否、肉眼が捉えられない速度――亜音速で剣が踊っている。
凛とした声とは対照的な荒々しい斬撃。
リーレニカの位置も射線上らしく、勘に従い上体を反らせると、ほぼ同時に景色が歪んだ。
不可視の斬撃は紙一重でリーレニカの仮面を撫で、遥か後方の〈マネキン〉を一刀両断する。
悲鳴を上げる間も無く、機人モドキは塵に還った。
「……ッ。容赦ないですね」
マシーナ粒子を利用し、斬撃を拡張したのか。
レイヤー零の人間にマシーナ操作はできない。ただし、人類の叡智である〝デバイス〟を通してなら理論上は可能だ。
その場から動かず、十メートル離れた機人モドキを殺傷する剣技に対し、無理やり結論付ける。
黒塗りの怪物は、風切り音と共にその輪郭を削り取られていた。
訪れた結果を目撃してもなお、リーレニカは得心いかず、思考をやめて行動に切り替える。
地を蹴ると怪物の間を縫うようにして、スタクの元へ走り抜けた。
まだ斬撃は続く。
フレンドリーファイアを気にしていないのか、もしくはリーレニカが不可視の斬撃まで避けることを勘定に入れているのか。少なくとも、機人の移動先を的確に両断していた。
リーレニカに迫る機人は、体重移動そのままに、上半身が滑るように胴体から離れていく。
明らかにリーレニカの回避行動を加味して各個体を正確無比に斬り払っていた。
機人を殺すことだけに集中しているのか。
ここまで気を遣ってくれないといっそ清々しい。
騎士団長ともあろう者が無茶を強いてくれる。
それよりも。
――デバイス起動だと?
リーレニカは次々と塵に還る機人モドキを尻目に、ファナリスの起動句に疑問を抱いていた。
あんなものはデバイスじゃない。
あの長剣は機人の放出するマシーナウイルスを吸収し、斬撃の抵抗を極限まで下げる補助的な性能しかないはずだ。
故に、斬撃を拡張する芸当は地で行っていることになる。
だが――人間の力で?
考えても無駄だろう。
レイヤー零の男が剣鬼と呼ばれるに至るまでの研鑽は、この非現実的な剣技からも言うに及ばず。
ただ、今は自分を信じてくれるこの男を信じ、前に進むしかない。
リーレニカが一歩を踏み出すたび、機人から先を結ぶ空間は鋭利な風圧が駆け抜ける。
地面、外壁、機人、それぞれに真一文字の傷跡を無数に刻む。これではリーレニカが刃の鎧を纏い、縦横無尽に切り刻んでいるようなものだ。
そう思わせるほどの剣を、金髪碧眼の騎士は遥か後衛で実演している。
既に視界全面を塵化で覆い尽くすほど敵を葬ると、風切り音は止み、いつのまにか金髪が隣を並走していた。
「……あなたを閣下と呼ぶ人の気持ちが少しだけわかりました」
「軽口を叩く余裕があるとは頼もしいな!」
眷属を全滅させ、スタクの真下に至るまで数秒とかかっていない。
蔦を絡ませ無人の小屋に貼り付く怪物は、目下の二人目掛け、やはり蔦による広範囲の刺突を繰り出した。
人間の体では回避行動は間に合わない。
ならば。
「〈吸血〉」
「〈深海〉」
二人の起動句が重なる。
互いの有効射程圏内に侵入した蔦の激流。
一方は、薔薇の剣に粒子を纏わせ斬性を向上。蔦を絶え間なく寸断する。
一方は、藍色の半球へ入る蔦を著しく減速させ、最終的に元の体積から十分の一まで圧し潰した。
「――⁉︎」
怪物の全身から危険信号をキャッチする。リーレニカとファナリス・フリートベルクに対する警戒度を急激に引き上げたようだ。
――私が二十名の働きをすれば良いのだろう?
そう言っていた剣鬼の言葉は、ただの冗談だと話半分に受け止めていた。
ここに来てそれは本意だと思い知る事になる。
リーレニカの策は、全方位攻撃を可能とするスタクの生きた鎧に対し、手数で押し切る力業だった。
十名が斬撃により、重厚な蔦の鎧を斬り崩し、その間絶え間なく浴びせられる刺突を残り十名で引き付ける。
リーレニカはその間を掻い潜り、懐で意識を沈めているスタクと〈同期〉――ハッキングする。
そのお膳立てを、ファナリス・フリートベルクは一振りの剣で、一手に担っていた。
刺突と蔦の鎧を一息で細切れにした太刀筋を掻い潜り、リーレニカは切り拓かれた怪物の内側まで到達する。
「振り返るな!」
鬼気迫る声に背中を押されたリーレニカは、懐からガラス瓶を取り出す。
胸部でツツジを咲かせたスタクが眠るように取り込まれている。顔中が根を張っているように怪物と繋がっていた。
真紅の魔女――ダウナから貰っていた二度目の薬品。コルクを開けると、黄金に輝く光の虫が如く、リーレニカのスペツナズナイフへ集結した。
「付与式――精神剥離素体」
ナイフから拳にかけて黄金色に染まる。
「ソフィア嬢を散々泣かせやがって……根性見せろ馬鹿野郎――!」
感情的な声と共に、切先がスタクの胸部――ツツジの花を貫いた。




