17話 もう嘘はつかなくていい
狐面のデバイスから漆黒の蜃気楼を展開したリーレニカは、道中機人モドキと戦闘を繰り広げるファナリス騎士団を目撃したが、加勢に入ることはせずスタクのいるポイントまで急いだ。
加勢する必要がないことと、おそらくレイヤー伍に対応する人員を割く余裕がないと判断したこともあるが、なにより。
騎士団は間違いなくスタクを殺すだろうと考えていたからだった。
「Amaryllis、スタクは近い?」
『マーキングした反応はもうじきじゃな』
機人モドキがマシーナシェルから生まれていることは、ヴォルタスの自信満々な演説からも裏は取れている。
ミゲルの娘リタを含め、ピエロを使った子供達の誘拐をした理由。機人を大量に生産し、ファナリス騎士団を撹乱することにあるとすれば、おそらくこの怪物達は「前座」だ。
本来の目的は、劇場という広大な施設を利用し、まとまった場所で一斉に羽化をさせること。そうすれば騎士団は中央区の劇場に集まらざるを得ない。
しかし現実はそうならなかった。
劇場外にも機人の卵が作られていたのだろうが、一番はリーレニカが劇場の被害を最小限に食い止めたところにあるのだろう。
ヴォルタスによるマシーナ操術がない今、卵を使った量産は諦めたはずだ。
そして次のフェーズを急いだことになる。
「スタクの機人化は一度抑えたはず」
『蛇の男が何かしたな』
「何かって?」
『見ればわかるじゃろ』
見慣れた商業区まで景色が変わった、が。
眼前を無数の蔦で覆い隠された。
「――⁉︎」
バック転を繰り返し、後方へ逃れる。
リーレニカのいた位置が鋭い蔦によっていくつも貫かれていた。
視界が巻き上がる砂煙で覆われる。その影に、間違いなく何かが潜んでいた。
「Amaryllis――〈同期〉!」
『時間は制限せんぞ』
水泡に包まれる感覚に続き、泡が弾けるように視界が「白銀」に塗りつぶされる。
格子線が砂煙を通過。一体の巨体へ巻きつき、そのシルエットを映し出す。
全身を蔦で覆い、人間の何倍もあるであろう人型の異形。エリゴールほどではないが、それがどうしようもない化け物であることだけははっきりしていた。
その中心部に、マーキングした形跡を認める。
〈水牢の蝶獄〉で意識さえもリンクした相手だからわかる。間違いない。スタクだ。
「あれほど面倒見てあげたというのに……あなたという人は、どれだけ意気地がないんですかッ」
強い感情に対し、機人は敏感だ。
リーレニカの怒りを引き裂くように、蔦は砂煙を貫き広範囲に飛び出した。
手近な脅威からスペツナズナイフで切り払う。身を踊らせるたび、リーレニカの退路は潰されていった。
「――本当、あなたという人は」
蔦と踊りながらも、敵を見据える目は衰えていない。
砂煙が怒涛の蔦によって振り払われ、異形の全貌が明らかになった。
予想を裏切らない巨躯を形成する蔦の鎧に、背中で大きく咲き誇るユリ科の花。
生き物を真似たのだとすると、リーレニカの知識を漁れば二足歩行の爬虫類が最も近い。
ある種、工作に失敗した巨大なトカゲ男のようだった。
全身を形成する鋭利な蔦は、不恰好な手足を尖らせ、太く筋肉質な植物の鎧を実現している。
顔は幼体のマネキンを習ったのか、目鼻がない。頭部は螺旋状に組み、円錐形にまで隆起した弾頭を思わせた。
「人間をやめるつもりですか! あなたの帰りを待つソフィア嬢はどうするんです!」
蔦の鞭による猛攻を避けることは楽でないにせよ、不可能ではなかった。
現に、言葉をかけ続ける努力はできた。
もちろん周囲の状況を把握することも怠らない。
白銀の世界は自身と相手だけではなく、周囲の環境も把握する。
だがそれは「心ある今のリーレニカ」にとって最悪な判断を取らせた。
「……! だめッ」
逃げ遅れの市民は少なくない。彼らは大抵持ち家に隠れる。
その家に、膨大な蔦の柱が直線状に伸びた。
機人化したスタクは、めざとく恐怖で濃くなっているマシーナ反応を感知していたのだ。
今のスタクであれば、外壁程度容易く打ち砕くだろう。そこに機人が雪崩れ込むようなことがあれば、市民は抵抗する間もなく無惨に喰い殺される。
白銀の世界が退避を命令することに対し、リーレニカは真逆の選択をしてしまった。
『馬鹿者!』
Amaryllisが咄嗟にリーレニカの肉体をマシーナ粒子で覆うが、所詮は人間。重機の物量に勝つ道理はない。
巨大な蔦の柱をモロに受けたコウモリスカートは、衝撃そのままに背後の壁へ激突した。外壁に亀裂が走り、肺の空気も全て吐き出される。
「か――ッ」
白銀の世界は砕かれたガラスのように崩壊し、快晴の空が瞳を眩く攻めた。
チカチカし、ぐにゃりと曲がる視界。気持ちの悪い耳鳴り。吐き気。浮遊感。起きてはいけない肉体的異常が次々とリーレニカを弄ぶ。
『――ろ……ろ!』
口の端から血を伝わせたリーレニカに、Amaryllisが何か必死に叫んでいる。
『起きろ! 死にたいか!』
「――あ」
いつの間にか怪物に掴み上げられていたらしい。
吹き飛ばされた衝撃で狐面のデバイスが停止し、漆黒の蜃気楼が解除されている。
円錐状に渦を巻いた蔦の顔が、ばっくりと開く。赤黒い内部が露出すると、人肉を裂くための鋭利な棘がノコギリのようにびっしりと生えそろっていた。
「バタフライ――」
「やめてスタク!」
聞き覚えのある女性の悲鳴が聞こえ、スタクの動きが止まった。
背中まで下ろしたブロンド髪に、濃い緑のドレスを纏った、生花店の常連――ソフィアだ。
憲兵も到着していないというのに、一人で彼の暴走を止めようとしている。
「そんな……どうして来たの」
リーレニカは瞳を泳がせる。
スタクは説得でどうにかできる容態ではない。すでに症状をレイヤー伍だと通報されている。
見かけは確かに幼体であるマネキンの過程を飛ばし、異形の姿へと変貌している。獣に近い攻撃性を振るってはいるが……。
『お主の考えはわかるが、この場面では人員が不足しすぎとるぞ』
「わかってる!」
リーレニカは一つの可能性を考えていた。
スタクは確かに人間の枠から逸脱してしまったかもしれない。
それでも、「人間の意識を取り戻すことはできるのではないか?」と。
しかし。
現実はそれを否定した。
「うっ――」
「ソフィア嬢!」
蔦で形成した巨大な手が、恋人の華奢な体を拾い上げる。
無謀だ。
家族であろと恋人であろうと、機人になった相手に気づいてもらえるという甘い考えは過去幾度となく打ち砕かれてきた。
前例がない。
先ほど彼の動きが止まったことは、ただ別のマシーナを内包した人間が現れたからに過ぎない。
ソフィアを愛していた記憶など、今のスタクに関係ない。
だから、今標的を変え、ソフィアを高々と掲げて食おうとしているスタクを見ても当然の理だと言える。
「おい……スタク」
機人は人間の感情を――マシーナ反応を見る。
ソフィアに標的を向けたのは、スタクを思う気持ちが強いからだ。
「それ以上やってみろ」
だから、強烈な感情に対して、飢えた獣のように反応を示すのだ。
肉親や、大切な相手を手にかける機人は大勢見てきた。
……大勢見捨ててきた。
リーレニカは歯を食いしばる。
感じたことのないこの熱情に、理解し難い激情に毛を逆立たせながら。
怪物を睨む。
――それ以上やってみろ。
――私はお前を。
「ぶち殺すぞ」
「――!」
殺意という感情は時に動物的本能すら刺激する。
それが機人であればなおさらで、スタクは大きく花弁を広げるようにしていた口を閉じる。更に、リーレニカを噛み付いた羽虫でも振り払うように大振りで投げた。
「〝杭打ち〟、一本」
虚空に不可視の足場が生まれる。エネルギーを殺す緩衝材となった空気の塊を踏み抜くと、スタクへと一息に跳躍した。
意識を自分へ向け続けさせるために、明確な殺意は残して。
大振りの薙ぎは身を翻し、蔦で形成した槍の雨は蝶のように舞い。
スペツナズナイフを背中の花弁へ打ち込むと、獣のような絶叫をあげてソフィアを手放した。
滑り込みソフィアを受け止める。
怪物は今一度大きく吠え、リーレニカ達を威嚇した。
次の手を警戒し、ソフィアの前に立つ。
しかしスタクは機人らしからぬ行動をした。
本来であれば善性マシーナを食らう衝動に身を任せるところだが、あろう事か二人に背を向けて大きく跳躍し、屋根伝いに逃走したのだ。
「待て――!」
『やめておけ』
Amaryllisが、追おうとするリーレニカを制止した。
『一人では無理じゃ』
「……そうですね」
抱き止めたソフィアを放っておくわけにもいかない。
リーレニカはへたり込んでいるソフィアの手を引き起こす。
「……あ、ありがとう。リーレニカさん」
「…………」
なんとも言えない顔で何かを言おうとするが、うまく言葉が出ない。
数日前に恋人を「死んだ方がいい」と見放してしまってから、会う機会もなく話もしていなかったのだ。
だが、話す前にまず言わなければいけないことがある。
「ソフィアさん」
「リーレニカさん、あの」
二人の呼びかけが重なる。
遠慮がちになるソフィアに、リーレニカは首を振って制止した。
言いづらそうに目を伏せ、口を開く。
「腕はもう大丈夫ですか?」
唐突に訳のわからないことを言われたソフィアは、空色の瞳を揺らした。
「え? ええ、さっきは掴まれてびっくりしたけれど、どうにか」
「もう嘘はつかなくて結構です」
「……え?」
ソフィアは顔を引き攣らせた。
冷たい目で、リーレニカはソフィアを見据える。
どんなに取り繕おうとも――右腕を補強するマシーナ反応は嘘をつかない。
「ソフィア嬢――あるいは『ベータ』と呼べば良いでしょうか」
空気が重くなった。
その言葉を聞き、ソフィアの揺れていた目が途端に大人しくなる。
ソフィアはいつの日か、アルファとベータ二人がかりでリーレニカを襲い、その際「蹴り折られた右腕」を抱えて微笑んでいる。
――「同業の目」で、リーレニカの言葉を受け入れていた。
リーレニカの腰に提げた狐面が風で揺れる。
ソフィアは夜狐の隊員だった。