14話 私がそうした理由
フランジェリエッタの胸元を注視し、ナイフを高く振り上げる。
強靭な精神力が邪魔をし、リーレニカは生体型デバイスから注ぎ込まれる衝動に抗っていた。
思考が混濁する。
人工的な殺人衝動と、フランジェリエッタとの記憶が入り混じった。
◇
マシーナ性記憶障害発症により記憶の改変を起こしたフランジェリエッタは、共に月ノ谷から帰還し、病床から起きたリーレニカを店員へ迎え入れた。
リーレニカも、「シュタインリッヒ国にあるとされる生体型デバイス」を手に入れる任務のため、潜入の名目もあり断る理由はなかった。
当時覚醒の不十分だったAmaryllisもリーレニカの記憶に蓋をしている。
リーレニカの、「フランジェリエッタの祖母を殺した」際に生じた精神異常を止める防衛反応に過ぎなかったが、それは奇しくも二人を都合の良い関係へ導く。
それが月ノ花を売る生花店を、二人で経営することだった。
フランジェリエッタは父親の背中を見ており、「世代が受け継がれた」としか認識しておらず。
一見すれば流れ者であるリーレニカは、高い賃金を求める商業区の連中とは違い、寝床を分けさえすればそれ以上を望まなかったため互いに都合が良かった。
フランジェリエッタの父親の代から、元々商業区に店を置かせてもらっていたはずなのに、「なんでこんなマシーナ濃度が高いんだ」などと今更になって多くの大人たちから文句を言われていた。
相手が子供だからなのだろう。リーレニカは詰め寄られるフランジェリエッタに見かねて、ついその大人たちへ反抗的な態度で応対し、なんとか常連客もつき始め、軌道に乗っていた。
「レニカ先輩って誰にでも強気でいられてすごいね」
店長のくせに先輩と慕ってくる彼女に対し、リーレニカは淡白だった。
「あんなの大したことありません。機人の方がよっぽど怖いですよ」
「でもあんなのに囲まれて大声出されたら萎縮しちゃうよ」
「フランジェリエッタは自信がないだけです。『私は負けない』って言い聞かせれば、いつか心も追いついてきますよ」
「そんな簡単に……って、フランジェリエッタじゃなくフラちゃんって呼んでって言ってるじゃないですかー!」
「はあ。とりあえずまだ棚卸し済んでいないので、バックヤード行きますよ」
「また話逸らすー!」
まだ独り立ちする年齢ではなかった小さな店長も、一人でよくやっていたものだと関心していた。だが、やはり一人にしておくには危なっかしいところは多々あった。
まず店の内装自体が低身長のフランジェリエッタに合っていないため、高い位置にある取手棚から、花に応じた手入れ用のマシーナポーションを取り出すことさえままならない。
木椅子から倒れ落ちそうになるフランジェリエッタを受け止めてあげたり、テーブルの鉢植えをうっかり肘で落としたところを受け止めてあげたり、何かと小さな気苦労は絶えなかった。
「レニカ先輩がいてくれて良かった」
何かあるたびにいつもそう言ってくれていたことを思い出す。
月ノ花は父の代からずっと絶やさずに収集し取り扱ってきた商品。当然険しい山道を超えることからも、護衛は必要だが雇う金はない。
代わって、リーレニカがボディーガードとして同行していた。
この時は、騎士団が山の調査を終わらせた後になる。機人こそいなくなったものの、やはり険しい道で慣れない護衛もあって、最初は帰るたびにフランジェリエッタよりも早く床についていた。
Amaryllisの精神支配が始まったのもこの頃だ。
もっと言えば、人間に巣食うマシーナウイルスは「感情の源」とすら言われており、それをエネルギーとして食らう生体型デバイスは、リーレニカを心ない人形に作り替えていった。
その過程でいつも、眠りにつく度にうなされていた。
「ね……死……ね」
この国に来る前は、頻繁に諜報活動を任され、その度に救える命も見て見ぬふりをしてきた。当然、貧困に喘ぐ子供もいた。
見捨てた命にずっと見られている気がして、Amaryllisはそういうストレスで汚染されるマシーナ――心をよく食らっていたため、決まってその手の悪夢にうなされるのだ。
――自分を殺したくなる夢を。
「大丈夫」
職業柄、寝る時でさえ人の気配に敏感なリーレニカだったが、フランジェリエッタに手を重ねられ、やっと気付く日があった。
見えない敵ばかり気にする日々を送っていたリーレニカは、じっとりと汗を滲ませながら一瞬体を震わせたが、すぐにフランジェリエッタだと気付き目を閉じたままにしていた。
寝ているところに手を重ねられるのは、組織に入って以降初めてだったから、どう反応すべきか分からなかったのだ。
「怖くないよ」
赤子でもあやすように言うフランジェリエッタに、「この子は、私のことを心配してくれていたのだ」とようやく気づいた。
そう考えれば、初めて動揺を見せた相手がフランジェリエッタなのかもしれない。
眠ったふりをしたまま、リーレニカの呼吸が落ち着くまでいつまでもそばにいてくれた彼女に、不思議な感覚を抱いていた。
◇
――殺せ。
記憶と殺意が交差する中、抵抗する体とは裏腹に、ナイフを握る手は一向に弛まない。
このままでは殺してしまう。
――いやだ。
感情と行動が矛盾するせいで、目から抑えられない感情がこぼれ落ちる。もはや駄々をこねる子供だ。
「大丈夫……レニ、カ」
頭に手を置かれ、フランジェリエッタが撫でるように言う。
不思議なことに。
頭の中の霧が晴れたような気がした。
思わず顔を上げる。
苦しそうなフランジェリエッタは、目を開けてはいないものの、無意識にリーレニカのことを思っているように見えた。
――殺せ。
脳内では、生体型デバイスの人工的殺意衝動を生み出し続ける。
数々の戦闘で自身の皮膚に浮かぶ、汚染されたマシーナ性の痣がその悲惨さを物語る。が。
フランジェリエッタの手が触れた箇所から、浄化されるように痣が引いていく。
この現象の正体に、リーレニカはある時から気付いていた。
〝善性マシーナ分泌過剰〟。
これは病ではなく、体質だ。
善性マシーナポーションそのもの――無尽蔵のワクチン生産体と言い換えられる。
人間が本来持ち得る、正常な血中マシーナの異常分泌。
マシーナが汚染されていないとはいえ、過剰に分泌すれば当然体に負担がかかる。
フランジェリエッタの高熱は、自身の体質による副反応だった。
そして彼女の父親が今まで「月ノ花にこだわる理由」に結びつく。
月ノ花は元来、動植物の死体が重なり死屍累々となった、マシーナ濃度の高い月ノ谷にしか生息しない希少なユリ科の花である。
それを生花店に持ち帰れば、品質を維持することは容易ではない。
魔女――ダウナ嬢の調合したマシーナポーションで品質を維持していたとばかり当時は考えていたが、そうではなかった。
月ノ花は、生き物のマシーナを吸引することでしか生きられない「死の花」だったのだ。
それがマシーナ分泌過剰を裏付ける。
フランジェリエッタは、無意識のうちにリーレニカのマシーナ汚染を浄化し、何度も命を救っていたことになる。
「……毎晩、私を見守ってくれていたのね」
無理やり狐面を引き剥がす。視界がクリアになったのか、心にかかったモヤが更に晴れたような気がした。
少しだけ、自分と向き合えそうな感覚だ。
――殺せ。
生体型デバイスは変わらず最も近しい部外者の抹殺を促す。
「……うるさい」
ここまできて、自分の気持ちを理解する。
――私は。
――この子に死んでほしくないんだ。
「こ……のぉぉおおおおッ!」
しかし。
ナイフを止める意思とは裏腹に、腕は真っ直ぐに振り下ろされた。
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ブレードは、フランジェリエッタの顔横を抜け、深々と拘束台に沈んでいた。
「レニカ先輩……どうして」
動揺するフランジェリエッタが、リーレニカの俯く姿に問いかける。
その問いはおそらく、「なぜ殺さなかったのか」だ。
マシーナを強制的に吸い出すポッドの中、外的ショックで彼女も思い出したのだろう。
リーレニカがそういう仕事の人間であることを。
「どうして……ですって?」
どうして自分を押し通したのか。
どうして組織を裏切ったのか。
どうしてフランジェリエッタを生かしたのか。
彼女の祖母を殺してしまったのはきっかけだったかもしれない。
言葉の少ない自分には、示す答えはさほど多くないかもしれない。
それでも。
――私に心を思い出させてくれたのは、あなただった。
「あなたが大事だからです……フラちゃん」
感情が喉を通る度、消え入りそうになる涙声。
彼女の双眸をしっかりと見つめ、そう言ったリーレニカは久しく。
心から笑えた気がした。




