13話 この身を裂かれようと
地下通路のほとんどが湿った空気と暗闇に満たされ、狼の機人により、青白い光が遠くで揺らめいている空間。
明かりのない地下空間で視界を得るには、圧力感知により発光する地面や壁を利用し、足場を照らす他ない。
ただしそれは、通常の歩行をすればの話。
「蝶庭園」
言下、地下空間で自生するはずのない花畑や蝶の群れが幻想的な輝きを以て出現し――リーレニカの周囲を煌々と照らした。
狼の群れは唐突な脅威の出現に対し、一様に咆哮で応える。
『血中マシーナ、〈蝶〉との接続完了』
フランジェリエッタが閉じ込められている扉まで、およそ二十体の狼が群れとなって立ち塞がっている。
針のように逆立つ体毛が濃い紫に染められ、目は飢えた獣のようにギラギラと鈍い輝きを内包している。
彼らの構造や正体は、白銀の世界で丸裸にされていた。
要は、あの体毛一本一本が鋭い槍と同義。触れれば抵抗なく貫かれ、破れた皮膚と肉からとめどなく血を溢れさせる猛毒が仕込まれている。
更に、狼の群れとリーレニカを結ぶ一本道の空間は、未だ踏破していないため不気味な闇に支配されている。
普通の人間であれば、攻めを躊躇する怪物だ。
――リーレニカを除けば。
「いくぞ」
衝突は一瞬だった。
飛び出した勢いで花畑が舞い上がり、リーレニカの足先から芽吹くように次々と咲き乱れる。
数十メートルの距離がゼロになる次の瞬間、圧力感知の遅れた地面や壁は、リーレニカの足跡を示すように、青白い光で地下空間全域を眩く照らした。
直視すれば、人間も目を細めるほどの光量。ただし、機人は視覚でものを見る事はない。全身に宿すマシーナの感覚器で視る。
『にひ。やはり下等生物は哀れじゃのう』
マシーナの感覚器に頼る機人は、マシーナ性の光源によりリーレニカの姿を見失った。
「解析開始」
――リーレニカの戦闘行動は、人間と機人を相手にする場合で変化する。
敵を制圧するために構築する〝設計図〟がそれだ。
原則、人間には無力化を。そのために適切な力加減を自身へ強要する場合、「自分自身でプログラム」しAmaryllisへ体の操作権を譲渡している。
それは、躊躇する情をなくすため、機械的な戦闘を求めた果てに生まれたスタイルだ。
ただし、機人相手には躊躇する必要がない。
『ほら、殺せるぞ』
Amaryllisは生き物の「終わり」で変質するマシーナを好む、悪趣味な性格をしている。
人間の感情に影響され易いマシーナウイルスを吸収する性質によるものかは定かではないが、とにかく、Amaryllisの作る設計図は「殺傷に特化」していた。
「有効射程通過。戦闘開始」
Amaryllisに報告するように呟く。
通常の有効射程まで近づき、先頭の狼にスペツナズナイフを発射。ブレードは体毛の流れに沿い受け流された。
狼の持つマシーナ・コアが身の危険に反応したのか、燃焼器官を更に稼働させる。獣はリーレニカ目掛け跳躍した。
マシーナ・コアの反応が眉間に集中したことを認める。外からは体毛で守られているようだ。
「杭打ち――〈一本〉。〈蟲籠〉」
解析通りの肉体構造である確信を得ると、二つの起動句を宣言する。
――これはAmaryllisに体を操作させるものとは違い、「Amaryllisの推奨行動に従い、リーレニカの意思で戦う」ものだ。
Amaryllisの戦闘方法は確実に敵を殺せるが、人間のリーレニカでは身が保たない動きが多い。
基本的にはAmaryllisの指示を信用し、時には力業で誤魔化し、泥臭く戦い抜く。
実に人間らしい戦闘行為だった。
「うらぁあああッ!」
自身を奮い立たせるように叫び、飛びかかる牙を顎から蹴り上げる。そのまま下顎から突き上げるように刺した。
肉を破る感覚。刺すだけではマシーナ・コアにブレードは届かない。ダメ押しでトリガーを引き、射出する。
ずぶ、と鈍い手応えがし、裏側からマシーナ・コアを貫いた。
塵と化した獣の背後で、追撃を狙っていた仲間が蔦に巻かれ、地に縫い止められている。後追い起動した〈蟲籠〉は的確に獲物を捕獲していた。
塵となって解放されたブレードをワイヤー伝いに回収し、此も難なく仕留める。
『残りは気合い入れろよ。小娘』
「了解」
赤い行動予測線が、目の前から束になってリーレニカを貫く。
やはり物量で押す気らしい。
野原であれば取り囲んだうえで狩りをしてきただろうが、直線上の衝突となった時点で、狼の群れも力業で侵入者を食い殺そうとしていた。
「くっ」
ナイフで殴るように刺すが、人間の非力な体では大柄な狼を押し返せない。体を剣山のような体毛で切り裂かれながら押し倒された。
横転した衝撃で、地面が一際青白く発光する。
獰猛な牙に遠慮はない。後続する狼と共に、リーレニカの肩、腕、脚へ喰らい付く。
頭のおかしくなりそうな激痛に顔を歪めた。
「〈血染め落ち〉」
穏やかだった花畑が、起動句に従い牙を向く。
花が散り、舞う花弁が狼へ照準を合わせる。
のし掛かる狼を軽々と上へ吹き飛ばすと、花弁は激流となって、鏃の様相で頑強な体毛ごと穿ち抜いた。
原型を失い始めた狼達から赤黒いマシーナ溶液が溢れる。雨のようにリーレニカへ降り注いだ。
ようやっと肉体を抉り取り終えると、鋭利な花弁はマシーナ・コアを乱暴に破壊し、塵へ帰した。
リーレニカの全身へ回った出血性の毒は思ったより早くまわったようで、失血で軽く意識が飛びかける。
「水牢の……蝶獄」
リーレニカを取り囲む花畑が、突如湧き上がる泉に沈む。泉はさらに増水し、リーレニカの体を這い上がるようにして包み込んだ。
傷口に蝶が集まり、塞がっていく。
血色を失った顔が健康的な肌を取り戻した。
全身を侵した毒素が浄化されることを確認すると、残りの十体を睨む。
Amaryllisがフランジェリエッタ絶命の期限を報せる。
『残り三十分』
「……まとめてかかってこいッ!」
檄を飛ばし、待機中のマシーナウイルスに干渉することで狼達へ〈挑発〉する。
獣は分かりやすく反応を示した。
原型を失い成熟体となった機人の、力の一端が発現する。
二頭の狼が先行する。それぞれの鼻先に火花が生まれたかと思うと、それは一条の光となって接続した。
茶菓子を分断するような気軽さで、光の線は中央の支柱を通過すると、綺麗に切断した。けたたましい瓦礫の崩れる音が反響する。
『レーザーカッターみたいじゃな』
「鬱陶しい」
リーレニカは次々に起動句を出し続ける。
切断性の熱線が眼前に迫る。まさか機人が結託した狩りを行うとは思っていなかったリーレニカは、加減を忘れ、最も近い殺意への対処に集中した。
「〈蟲籠〉」
地中の石レンガを砕き、蔦が出現する。一頭の狼を捕えると横転させた。二頭を繋ぐ熱線はその程度で途切れないようで、右側から迫る狼は、歪に変形したレーザーで退路を制限しつつ、牙をリーレニカの上体へ迫らせた。
『鬱陶しいのは同感じゃな』
Amaryllisが蝶の奔流を狼へぶつける。
化け物に成り果てた獣にも多少の意思はあるようで、眼前に群れる蝶を嫌ったのか、獣は首を逸らした。
その側頭部をブーツで蹴り抜く。逆立った体毛は情報通り鋭く、リーレニカの足を容赦なく貫いた。
「う――らぁっ!」
声に力を込め痛みを誤魔化す。蹴り抜く勢いで棘の体毛は足から抜け、再び後続の群れへ吹き飛ばす。
途切れない熱線は容赦無く後続の狼へ立ち塞がり、鋼鉄の体を焼き裂いた。
ずるりと切断面から滑る頭と胴体。赤黒い溶液が吹き出すと、すぐさま全身は塵に還る。
赤黒い煙の幕を突き破り、残り八体の狼がリーレニカへ殺到した。
その尽くをAmaryllisの〈蝶〉は打ち崩した。
リーレニカの足下に広がる花畑へ侵入した敵意に反応し、蝶の群れは狼の眼前へ躍り出る。
一体は、蝶の持つマシーナ性の鱗粉で幻惑し、隣の首を噛み砕かせ。
一体は、獣の頭部に集約し、マシーナウイルスごと溶解させ。
一体は、狼の体からマシーナを吸いあげ、その体を枯らし。
次々と敵を葬り、残り三体まで迫る。
蝶の群れはリーレニカの意思を介さず、Amaryllisという高位生命体の残虐性を垣間見させた。
だが、あくまで前線で戦うのはリーレニカだ。綻びは出てしまう。
「――ッ!」
捨て身の特攻で足に噛み付く狼。蝶の群れを掻い潜ったのは、リーレニカの焦る思いが積み重なった結果だ。自業自得は己で処理をする。
「〈解体〉」
狼の口腔にリーレニカの血が混入する。
偽善性マシーナ体質。
リーレニカの血に含まれる、「性質を自在に変化させられるマシーナウイルス」。起動句に応じたAmaryllisは、リーレニカの血を使い、狼の内側から肉体を崩壊させた。
リーレニカは壁に手をつき、今にも倒れそうな体を支える。
「フラン……ジェリエッタ」
残り一体の獣は、フランジェリエッタを閉じ込める扉の前に「仁王立ち」していた。
仲間の死骸を取り込み、己の血肉としたらしい。
やはり機人はどこまでいっても機人だ。利用価値があれば群れる。そうでなければ弱者を従える。
天井に首を押し付けるほど巨大化した狼男は、仲間の死骸から再構築したのか、鋭く湾曲した歪な戦斧を握りしめ、リーレニカを睨んでいた。
「邪魔を……するなああああああああッ!」
両手に弾道ナイフを握り、倍以上の体格差を持つ狼男へ肉薄した。
蝶と狼が互いの刃を交える。
衝撃は地下通路全域を一際眩い〝青〟で埋め尽くした。
****
肉塊が徐々に塵へと変わる狼男を背に、リーレニカは満身創痍の体を引き摺るようにして、最後の部屋へと入った。
案外、扉の施錠はされていなかった。おそらく狼の機人がセキュリティの役割を果たし、ヴォルタスがいつでもアクセス出来るようにしていたのだろう。
それだけ重要なものを、中に収めていた。
『ターゲット反応あり』
室内は至極シンプルだが、人を格納するためのガラス筒がいくつも並べられている。
「エリザ……ヴェーテ?」
ガラス筒の上部に備えられたプレートに刻まれた名前。
流れる金髪が光の粒子に揺れた、ドレスを纏う女性。息づくように眠っている。肌は生娘のようにきめ細かく人形のように美しいが、生体反応はない。
似たような境遇の人間が同じポッドに閉じ込められ――絶命していた。
そして、部屋の奥で煌々と青いマシーナ粒子を輝かせるポッドに目を奪われる。
月ノ花の輝きだった。
「フランジェリエッタ……!」
先ほどの金糸の女性と同様に、ピンクのツインテールが優雅に揺れ、眠っている。その神聖さに似合わず、機械的なポッドは荒々しい吸引音を唸らせていた。
「これは……善性マシーナを抽出しているの⁉︎」
ポッドの中では、フランジェリエッタの血中マシーナが粒子となって溢れていた。
力任せにポッドを蹴り割る。
扉の施錠部から分離されたガラス戸を開くと、ポッドの稼働が緊急停止した。フランジェリエッタから吸い上げる膨大なマシーナ粒子が止まり、宙を漂う。
そのまま重力に引っ張られるように項垂れた。体がポッド中央に渡る支柱へ縛り付けていたらしい。
『ポッドはマシーナウイルスの吸血装置みたいなものじゃな』
構わずポッドの中に上体を入れ込み、フランジェリエッタの胸に耳を当てる。弱々しいが、確かな鼓動を感じた。
「生きてる……良かった」
まだ安心はできない。
ポッドの強制的なマシーナ排出により、先程まで衰弱死する危険があったのだ。せめてデバイス技師には診せなければ。
――死ぬ。
組織がチラつき、目の前の少女と天秤にかけている自分がいる。
しかし、
「今助け――」
迷うことはなかった。
フランジェリエッタの拘束ベルトを切ろうと、スペツナズナイフに指を沿わせる。
すぐに硬直した。
「 え 」
――殺せ。
Amaryllis――生体型デバイスが任務の遂行を促したのだ。
あくまで合理的に。
人を殺すことに一切の罪悪感を与えないように。
機械的な殺人衝動が、リーレニカを支配した。




