10話 イカれた策
「……は?」
間の抜けた声が奇術師から漏れる。
老鳥ケルビラスは、エリゴールの巨大な拳を真正面から受けて、マシーナウイルスを噴出させながら圧死した。
拳を引き戻すと、ケルビラスを構築していたであろう赤黒く濁ったマシーナ粒子が舞っている。
機人は共生関係を築かないが、敢えていうならば「仲間割れ」をしたことになる。
『〈同期〉成功じゃな』
同期。
それはAmaryllisの固有世界――「白銀の世界」を、蝶形のデバイスを介し、人間用にレベルを落とした支援風景。
白銀の世界に限らずとも、一度マシーナウイルスで触れ合った者であれば〈同期〉は機能する。
例えば、「水牢の蝶獄」から互いの肉体的親和性を引き上げたスタク。
例えば、夜狐の仮面で繋がった兵士達。
例えば――〈唄〉で体内を弄らせたケルビラス。
「本当にできるとは思ってなかったけれどね」
奇術師はリーレニカが何かを仕掛けた事までは悟っている様子だが、何をしたかまでは予想もできないようだった。
機人の性質を見れば、それは単純な構図になる。
機人は群れて行動するが、それは個では生きられない集団だからではない。
彼らは人間だった頃の名残りから、「汚染されていないマシーナウイルス」を求める。そのために視覚を放棄し、マシーナ濃度の高い場所を彷徨うようになった。
ケルビラスを殴殺したのは、発達した「マシーナを視る感覚器」に従った結果にすぎない。
エリゴールからすれば、あの老鳥は排除すべき敵に映っていただろう。
ヴォルタスは狼狽えた様子で歯を鳴らしている。
この現象に至る可能性を推測するが、あり得そうなものが見当たらないのか。
「生体型を起動した……? いや、花は出ていない……いやしかし」
奇術師は消去法で残された一つの可能性に至り、嫉妬する様に怒声をあげた。
「出来るわけがない……出来ていいはずがない!」
〈司令塔〉種のように、機人を操るのではなく。人間の中でも、特にリーレニカにしかできないであろう芸当。
人間に――いつかミゲル達に使用した命令式の応用。
偽善性マシーナ体質。
命令式は〈偽装〉。
ケルビラスと繋がったマシーナウイルスを利用し、自身が瞬間的にケルビラスへ変装する。赤子を破壊したケルビラスに、エリゴールは怒りの矛先を向けざるを得ない。
それがリーレニカにできる唯一の偽装工作だった。
敵意を向けられたケルビラスは、〈司令塔〉種の操作を受け付けないエリゴールに対し無力になる。
赤子を破壊した者を攻撃する本能は、機人エリゴールの最優先行動だからだ。
本能に従ったエリゴールは、眼前の結果そのままにケルビラスを完膚なきまでに殴殺した。
「人間が機人を騙すことが、そんなに不服なの?」
「こいつはただの機人じゃない! レイヤー伍の中でも歴史ある病だぞ! それをっ……そんな……子供騙しでッ」
「子供騙しで手玉に取られるほど、あなたの作品は底が知れているということね」
「ならばコレはどうする。人間のお前に殺せるかッ!」
残されたエリゴールを指差すヴォルタスは、すでに冷静さを欠いていた。
たった絵札一枚でも人間に突破された事実を否定したいのだろう。
リーレニカは捨て身で攻め立てられた体を無視し、飽くまで余裕さを演じて答える。
「逆に訊くけれど、あんな単純な作りで私を殺せると思っていたのですか?」
「…………見せてやる」
ヴォルタスのマシーナ反応が禍々しく歪む。
それはリーレニカに残された「生体型デバイス」というカードと、ここまで渡り合った事実に対する敬意の表れだった。
「あなたの生体型を引き出すために手加減をしましたが、もう良いです」
取り巻くマシーナは、怒りと、何かを覚悟したような赤色だった。
「〈全手札解放〉」
奇術師から発せられたのは、残された十八枚全てを起動する詠唱破棄だった。
****
リーレニカは激しく渦を巻くマシーナウイルスの奔流に口角を上げる。
デバイス操作というのは、一人で複数を操作すること自体神業と言えるが、そもそも「起動すること自体」かなりの負担になる。
この瞬間、エリゴールだけでなく、リーレニカ達を繋ぎ止める「黒い壁」の構造が単純化した。
『あのガキは偉そうにするだけあるの。しっかり仕事しとる』
Amaryllisが少年――ソンツォの残した情報に珍しく賞賛を送っている。
リーレニカは冷や汗を頬に伝わせながら、覚悟するように笑った。
これで、やっと集中できる。
「〈杭打ち〉……〝一万千二百本〟」
目頭から、内側の何かが切れたかのように出血する。金色の瞳が過剰なマシーナ操作で赤く変色した。
「……は?」
ヴォルタスの呆気に取られた声。
柱状の壁がそこら中で摩擦音を奏でる。
まるで、マシーナ粒子が「特定の命令」に抗うようだった。
次々と出現しようとする機人が足元から作り上げられる中、ヴォルタスは動揺を隠せずに声を荒げる。
「何を……何をしている!」
組織の管制員、ソンツォはひたすらに奇術師から機人まで、ありとあらゆる存在の解析を進め、リーレニカの視界に共有していた。
それは黒い壁も例外ではない。
物理破壊を拒むほどの強度を実現するマシーナ粒子は、リーレニカやエリゴールの動きに合わせ絶えず配列を変え、打撃に対し最高強度を維持してきた。
唯一、過剰な速度で刺し割った時を除けば、その壁は原則ある程度の速度に対応する堅牢な砦である。
リーレニカはヴォルタスの尚早を嘲笑うかのように手を高く翳した。
「貴方に出来ることが私に出来ないとは限らないでしょう?」
リーレニカの言葉にヴォルタスは不明確な不安で更に狼狽えた。
元来、マシーナウイルスを操作するには「デバイス」という機人の部位を元にした媒体が必要になる。
それを扱うにも、やはり同じエネルギーであるマシーナウイルスが必要だ。
杭打ちというのは「ある一点にアンカーを打つ様にマシーナ粒子を固定し、運動エネルギーを操作する」プログラムと言い換えられる。
そのエネルギーは、リーレニカの血中マシーナとは別に、大気中のマシーナを掌握することでも実行可能だ。
本来、微量なマシーナでは精々一本しか打てないが。
しかし。
ここには無数の機人だったモノ――赤子の残骸が残留している。
精密なマシーナ配列を忙しなく組み替えることで構築された壁。
それを強制的に止めるとどうなるのか。
答えは二日前。〈ピエロ〉が教えてくれた。
「意趣返しのつもりか!」
マシーナウイルスとは、無秩序なエネルギーの塊。
矛盾した命令を与えられたものは、出鱈目な結果を提示する。
即ち。
「イカれてる……!」
「あいにく、マトモな人間はこの仕事やっていけないの」
リーレニカはヴォルタスを守護する壁と、更に外殻の壁の内側へ命令式を打ち込んだ。
ソンツォには頭が上がらない。
――どデカい重機でも持ってこねえと物理破壊はできねえ。
つまり、「重機と同等の質量攻撃」を押し付ければ、これらは破砕できるということだ。
ヴォルタスはたまらず自分を守らせた壁を解き放つ。
しかし外殻の壁は、「リーレニカが本当にやるはずがない」という保身から、デバイスの強制終了を遅らせてしまった。
爆音。
七色の煌めきが、高熱と共に至る所で弾けた。




