9話 プログラム〈リーレニカ〉実行
「ほら、生体型を使いなさい。貴女を腐敗した骸骨に変えても良いのですよ」
生き物を食い殺す楽しみを我慢する赤子。
手下を破壊され拳を強く握る巨大な貴婦人。
ケタケタと下卑た笑みを輪唱するピエロ。
赤い椅子に深々と座り、楽しそうに嗤う奇術師。
「――――」
彼は悪趣味な映像作品を愉しむ様にリーレニカの返事を待った。
とはいえ、とても返事ができるような状態ではない。神経を掻き鳴らされているような不快感と痛みに支配され、まともな思考ができなかった。
ケルビラスの唄が止まっている。
それは捕らえるためではなく、「赤子だけで食い殺せるほど弱らせたから」だろう。
ヴォルタスは呆れたように頬杖をついた。
「命諸共情報を消すつもりですか? 流石に狂気を感じますよ」
「…………」
返す言葉がない。
言葉がないというより――打つ手がない。
〈蝶庭園〉を使えばきっと機人を屠る事ができるだろう。だがその頃にはこちらの手札は全てアルニスタに渡る。
ここでカードを切れば、自分の持つ生体型デバイスとアルニスタの生体型を利用した「何か」で国民は全滅する確信があった。
その予感が選択肢を狭め、何もできなくなる。
命諸共この世から退場するしかないと。
ヴォルタスはため息をついて諦めたように片手をあげた。
「わかりました。貴女の意思は尊重しましょう」
そして号令を下すように手をリーレニカへ向けて下げた。
「死体からでも生体型の情報は毟り取れる」
「待て」を許された赤子の咆哮が重なった。
大地を揺らしてコウモリスカートへ殺到する。
小さな命が食い荒らされる瞬間を――リーレニカは迫る大口を他人事の様に見上げていた。
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どうすればいいのか分かるのに、激痛が体の制御を奪う。
加速する思考で、走馬灯のように過去の足跡が駆け抜けていく。
フランジェリエッタに怒られる自分や、一緒に服屋を見て回る思い出。
赤子の粘液を引く口腔とは対照的な綺麗な記憶が、少しばかりリーレニカの最期を飾ってくれている気がした。
――と。
『全く』
聞き慣れた声がする。
人間とは一線を画す存在の声。
それなのに誰よりも近くに感じる存在の声。
そいつはバカにする様にリーレニカへ言う。
『ワシがおらんと危なっかしくてしょうがないな。小娘?』
軽快な口調の相棒は、所有者の意思を無視してその力を起動した。
「プログラム〈リーレニカ〉実行」
自分の口から漏れた起動句は、明らかに己の意思と異なるものだった。
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軽快な破裂音に続き、赤子の頭部が次々と天を仰ぐ。一瞬にして塵化した。
「なんだ?」
ヴォルタスの目には、エリゴールの眷属が次々と吹き飛ばされ、破壊される不可解な状況が映っていた。
その疑問を置き去りにして仮面がひび割れ、泣き顔が欠ける。紺の瞳が顕になると、シルクハットが突風で飛ばされた。
何より、遅れた思考で突風に疑問を抱く。
マシーナの壁で守られた体に風が訪れるはずがないからだ。
疑問に答えるように、遅れた〈衝撃〉がガンガンと荒々しい殴打音を眼前に響かせ――いつの間にか黒壁が砕けていた。
黒壁が後を追う様に緩慢な動きで崩壊を修復しようとする。
「――⁉︎ ケルビラスッ」
ヴォルタスは慌てて振り返りながら、ケルビラスを動かそうと声を荒げる。
老鳥の目深にしていたフードが奇妙に凹んでいた。
コウモリスカートの手に、べっとりと透明な体液が滴っている。「血液の脱色化」だと認知すると、その手に提がっている毛髪の絡まった球状の正体に気付く。
――既に首が飛んでいた。
「エリゴール――」
ここまでの事象をヴォルタスが肉眼で視認できない速度で行われたのだとすると、リーレニカは人間の限界から外れている状態と捉えるしかない。
ヴォルタスはエリゴールの物量で終わらせようとした。
ケルビラスの巨人を止めるマシーナ制御が消えた貴婦人が、言われるまでもなく行動を再開する。
「――――」
人語とは異なる、聞き取れない言葉がコウモリスカートから発せられる。
エリゴールの拳はリーレニカの眼前で停止した。
「待ってください、それ」
ヴォルタスがリーレニカの起こした起動句に対し、震える指で差した。
「司令塔の――」
言い切る前に、リーレニカの姿が蜃気楼の様に揺らぎ、消失する。
次の瞬間には、背後から黒壁めがけスペツナズナイフを突き立てられていた。
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Amaryllisは珍しく〈蝶庭園〉を起動しなかった。それはリーレニカの感情の変化に感化されたのか、それともその必要がないと思考を巡らせたのかは定かではない。
その選択は結果的にリーレニカを救っていた。
つい先日コウモリスカートが構築した「殺しの設計図」をAmaryllis独自にアレンジしたもの。
とどのつまり、激痛で制限された体から「人間性」を分離させる〝完全自動攻撃〟。
ヴォルタスの機人を操り人形の様にするマシーナ操作と意味合いは似ている。
まるでAmaryllisが、相手の土俵で相撲をとって遊んでいるようだった。
そしてそれは限界を迎える。
機人の人形と人間の体とではそもそも性能差が明らか。
人間の体は正しく拒否反応による体の異常を示した。
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「あ、ぐうっ」
スペツナズナイフを握る手が緩み、地に落ちる。急に苦しみ出したリーレニカは先刻ケルビラスにそうされたように、再び膝をついた。
ヴォルタスは遅れて反応し、動きを止めた少女に振り返るとやや安心したように笑う。
「ふ、ふ。今のは生体型ですか? にしては聞いていた機能とは違うようだ。まさか『乗っ取られた』わけでは無いでしょう」
思わず椅子から立ち上がり、リーレニカの顔を踏みつける。
取り乱された羞恥からか、人が変わったように言葉を汚くした。
「馬鹿にしやがって。素手で機人の首をもぎ取るだと? 貴女人間のフリをした改造兵か何かですか? それともマシーナ・コアでも胸に隠してるのか?」
馬乗りになり、リーレニカの胸ぐらを掴む。
破こうと両手に力を入れた。
――と。
「……るな」
「なんです?」
「汚い手でこれに触るな」
疲弊した体とは裏腹に、その声は。その目は。鋭くヴォルタスを刺した。
蛇に睨まれた蛙の様に、奇術師は笑顔を模した仮面の裏で狼狽える。
気圧された。
その事実を否定するように、奇術師はリーレニカに顔を近づけて怒鳴る。
「ふざけるなふざけるな。低俗なお前たちがいらぬプライドだけ掲げやがってッ。お前たちのような人間がどれだけ弱者を虐げて来たと思ってる!」
見当違いな相手に向けた怒りは――死んだはずの機人に作用した。
いつの間にか、老いた鳥の頭が独りでに浮遊し、フードの中へ潜り込む。
神経系をはじめあらゆる体組織が結合し、完全に自己回復を遂げていた。
レイヤー伍の機人はそもそも頭を飛ばしたところで死ぬはずがない。
マシーナ・コアを破壊していないのだから、塵化もしていなかったのだ。
リーレニカは目を見開きその鳥を凝視する。
ヴォルタスはその様子に調子を取り戻し、得意げに笑った。
「レイヤー伍をそんな容易く壊せるわけが無いだろう。もういい。今度こそお前を骸に変えてやる」
立ち上がり、リーレニカと距離を取るヴォルタスは、再び赤い椅子に腰掛けた。即時ヴォルタスを護る「黒い壁」が展開される。
「唄え。ケルビラス」
指を弾く奇術師に応える様に、老いた鳥が天を仰ぐ。
〈帳〉を起動する余暇もなく、高らかにあの低音が発せられると――
ケルビラスは巨大な拳に殴り潰された。




