8話 痛い痛い痛い痛い
石柱の如き頑強さを誇る剛腕が振り下ろされると、頭上の光源を遮り、大きな影がリーレニカを捉えた。
インパクトに続き、威力に耐えられなかった足場が盛大に破壊される。
骨組みやら配線やらが穴から露出するが、そこから下は黒いマシーナ粒子によって覆われ保護されているようだった。
どちらにせよこの場からの離脱はできなかったらしい。
「あれがウドの大木じゃないならそう言ってくださいよ……」
『知ってたってあの量産体は破壊しないとやられてただろ』
リーレニカはどうにかエリゴールの腕から逃れられ、ソンツォに苦言を呈する。とはいえアドバイザーの言う事は確かで、目の前の赤子型機人はリーレニカのマシーナ操作に非常に敏感だった。
つまり、〈帳〉を展開した時点で大きな口が次々と飛びかかってくるのである。
たまらずスペツナズナイフに仕込んだ「マシーナ殺しの毒」で、次々と襲いかかる赤子を突き壊す。増える分破壊を繰り返し、その数が瞬く間に二〇まで上ると、貴婦人のマシーナ反応が赤く染まった。
エリゴールは再び半狂乱になり、腕を振り上げる。即振り下ろされた初撃を回避した。
一撃目からの次手が早い。
小さな生き物に対して、猛烈な殺意が豪雨のように降り注いだ。
「これっ、止まらなっ」
『もう少し耐えろ』
「冗談でしょ。こんな狭」
「狭い所で」と言い切る前に視界は乱打と轟音で塗りつぶされる。
ただし。
少なくとも、避ける事自体は問題では無かった。
エリゴールの振り下ろす巨石のような拳。それは相手からすれば、軽快に飛び回る蝶を殴り潰そうとするようなものだ。リーレニカはこれを踊る様に跳び避けていた。
次々と殴り壊される足場はもはや平地ではなく、残骸を撒き散らしながらどこかしこに傾斜が生まれ始める。
形勢が動いたのはステージが崩れすぐのことだった。
「しまっ――」
踏ん張りが利かなくなり、コウモリスカートは足を滑らせ一瞬体勢を崩す。
顔を上げると巨石が眼前まで迫り――停止した。
「え」
『やっぱりそうだ』
ソンツォが何か悟った様なことを言う。
『見たまんま。子供がトリガーだ。後ろ』
振り返ると、陥没で傾斜となった足場で、転がるように嵌った赤子の機人が動けずにいる。リーレニカと相手を結ぶ射線上にその赤子が居たようだ。
『「赤子を破壊した数の倍だけ殴打する。赤子の居る地点は殴れない」これがエリゴールって症状の概要だろ』
「では今は都合が良いってことね」
――だが本当にそれで終わりか?
Amaryllisは表現を躊躇っていた。恐らく詳細な原理を理解したため、情報の取捨選択に多少躊躇いはあっただろうが。
そもそも、機人を破壊できた所でヴォルタスを取り巻く不可視の壁が解析できていない。
その前に。
なぜヴォルタスの位置には赤子が居ない。
「オープン。〈道化師〉」
絵札を指で小突くと、反転して道化師の絵柄が顕になる。即座に角から粒子状に溶け――
滞留する鉛色のマシーナ粒子が収束すると、見覚えのあるピエロに再構築された。
一体ではない。
不規則な位置で粒子の収束が起これば、次々とピエロの下品な笑い声が生まれていく。
『器用な奴だな』
「そう? あれは一度破壊してるから多少手数が多かろうと問題ないわ」
『そんな簡単な話じゃないぜ』
ソンツォは興味深そうに続けた。
『デバイスって一人で一つしか扱えないだろ。獲物一つに集中しないと自滅するからな。例えば五本指で人形の手足を動かすのが人形師の演出だが、あいつは指一本で五体を好きに動かしてるようなもんだ。マシーナ操作のセンスが違う』
「敵を褒めるなんて珍しいですね」
『俺は嘘が嫌いなんだよ』
好転しない状況で、再びヴォルタスが指を動かした。
ピエロに命令したのだ。「行け」と。
白銀の世界で、ピエロの体から進行予測線が伸びる。それはリーレニカに吸い寄せられるように集中した。
「――ッ」
ピエロの構造はシンプルであり、その威力は間近で体験済みだ。それがリーレニカの顔を強張らせる。
ピエロというカードの在庫がどこで尽きるか不明なうえ、ヴォルタスが指を動かす度にエリゴールのスカートと同様大気中のマシーナ粒子を利用して生産され続ける。
こんな不安定な場所で、あの数の爆風を回避し続ける余裕があるか。
あらゆるリスクを浮かべている間にもピエロはリーレニカ目掛け殺到する。
目前まで迫り――通り過ぎた。
「なに?」
行き先へ振り返る。
彼らは自分より数倍巨大な赤子の首に抱き付くと、ケタケタと笑いながら自爆した。
****
「やられた」
ピエロの撒き散らす極彩色のマシーナ粒子は、体内に溜めたエネルギーを赤子の首元で爆発させた。
首が落ち、瓦解する体が絶命を報せる。
鉛色の粒子が空中で漂う。
エリゴールは今度こそ激昂した。
「くッ――そ」
リーレニカの悪態すら掻き消すヒステリックな叫び。
巨人の双腕が立て続けに床を穿つ。
赤子型機人の前に飛び退こうが、どこからともなく現れるピエロが赤子を爆破し、殴打の躊躇いを破棄していた。
そしてピエロを見て気づく。
あのピエロ。
――赤子の残骸から再生利用されている?
ソンツォが更に情報を展開した。殴打の嵐を掻い潜るリーレニカに遠慮なく話しかけてくる。
『この前の爆音はあのピエロか。ピエロはマシーナウイルスの塊だな。「巨人の赤子が壊れると塵になって、その粒子がピエロの素になる」ってとこか。こりゃお前が寝るまで止まんねーぞ』
「冗談言ってる場合じゃ」
ソンツォが軽口を叩いている間も頭上から巨岩の拳が発狂と共に降り注いでいる。アドバイザーは口調は軽薄なもののしっかり観察しているようだった。
『グランゴヌールの館って言ったっけ。あの絵札型デバイスはカードの組み合わせを押し付ける兵器型デバイスだな』
「そんな無茶苦茶なデバイスッ」
『無茶苦茶なのはあのマジシャンの方さ。たぶん薬ヤってんだろ。何もないところにゼロから物質化するのはマシーナウイルスの特技だが、人間がそれを実現させるのはほぼ不可能だ。「イメージの伝達」が要るからな。言葉で設計図は書けないだろ』
「薬って?」
『幻覚の世界にトぶ薬だろうな。イメージするって事は「空想に入り込む」ってことだ。それも過剰にな。絵札は兵器型デバイスではあるが、物質化するなら話は変わってくる。イメージを伝えるために、体内の善性マシーナをじゃんじゃん絵札に流し込むのさ』
リーレニカの視界に、子供がいたずら描きしたような下手くそなイメージ図が浮かぶ。人のイメージを絵札に流し込む図は、とどのつまり「精神と深いつながりを持つマシーナウイルスの特性を利用した」と言いたいのだろう。
頭上から来た岩石が、ポップなイメージ図を突き破った。
たまらず眼前に圧縮した空気壁――「杭打ち」を展開する。
これでも拳を真逆に跳ねかす命令式は作れるが、相手はそれを打ち消すだけの力業――マシーナ操作が可能だと判断する。数ミリ左へずらすよう設定した。
拳はリーレニカの頬を掠め擦り傷を残した。冷や汗が伝う。
『その裸の女はどうやってリーレニカに敵意を向けてんだ? マシーナの感覚器つってもあの子供壊してるのはピエロだしな』
「マシーナ粒子は何者にも成れます。〝擬態〟できるんでしょう。目の前のどれも人間じゃないんです」
『だとすると、シンプルじゃないのは絵札の組み合わせとマジシャンだけだな。並べられてる化け物一つ一つは高性能なだけで欲求に忠実だぜ』
欲求に忠実なそれが大量に生産され続けているというのに。リーレニカは死に際に立たされながら、馬鹿らしくなって笑みを溢してしまう。
「ほら。デバイス使わないと死にますよ」
泣き顔と笑顔の裏で、ヴォルタスが煽るように指を弾いた。
いつまでもリーレニカの防護膜――〈帳〉を剥がそうとしていた老鳥ケルビラスが反応を示した。
唄が転調する。
『おい、なんか――』
ソンツォがいつになく取り乱したような声色になる。
言葉の続きを聞くことはついぞ叶わなかったが、おそらくこう言おうとしていたのだろう。
――なんか、穴空いてないか?
「――⁉︎ う、ああああああああ――!」
自分自身ですら抑えられない絶叫が漏れる。
どこからともなく。突拍子もなく。
全身を焼かれるような激痛が押し寄せた。
****
膝を突き崩すリーレニカが、天蓋から差す光源に晒されている。
『おい――』
ソンツォとの通信が強制終了される。
激痛のあまり生体型デバイスの操作が疎かになったのだ。続いてリーレニカを取り巻く〈帳〉も維持できなくなる。
否、初めから維持など出来てはいなかった。
赤子にピエロの爆風。更にエリゴールから殴打の豪雨。
〈帳〉を完全密閉させるマシーナの精密操作など、意識し続ける余裕はすでになかったのだ。
着実に帳へ風穴を開けたケルビラスに、この体は蝕まれていた。
夜空色の衣は、水で洗い流した泥のように呆気なく崩壊する。
「――ッ! っっっ!」
声が出ない。
まともに立てずに蹲る。
――何が起こった。
思考をクリアにできず、もう間も無く降りかかるであろう貴婦人の怒りに備える余裕がない。
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
不快感と激痛が、体の内側を無限に這いずり回る。どこかに意識が消えてしまいそうだ。
リーレニカは腹の底から内容物を吐き出したくなる衝動を堪え、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら歯を食いしばった。
「これでまともでいられたのは貴女が初めてです。大体の人間は耐えられず、勢い余って機人化する人もいたのに」
ふと。
痛みを誤魔化すために別のことに思考を向けようとしていた時、何かに気づく。
なぜこの奇術師はそんなことを悠々と語るのかと。
そもそも、どうしてそんなことを聞ける余暇があるのかと。
懸命に顔を上げれば、エリゴールの手が止まっていた。それがケルビラスの唄によるものだと悟ったのは、老鳥と同じ歪なマシーナ反応が巨人を取り巻いていたからだった。
殴れば頸椎など簡単にへし折れそうなケルビラスが、その実エリゴールより遥かに高位生命体である証拠だった。
本当の〈司令塔〉種は、あの老いた鳥人間ということ。
更に赤子の爆破も止まっている。
見渡せば。
ピエロはリーレニカを取り囲むようにケタケタと笑い。
赤子達はリーレニカを食おうと大きな頭を突き合わせながら鳴いている。
不気味さに顔が引き攣ってしまう。
その光景はまるで。
これから、弱い生き物を踊り食いさせる様相だった。




