6話 デバイス起動《グランゴヌールの館》
機人の卵殻。
機人の異形性に見慣れているリーレニカも少しばかり目を奪われてしまう。
人間を生きたまま機人の産み袋にしているようなものだ。
白銀の世界で確認しても、奇術師の言っていることと結果は変わりない。子供は生かされているが、眠るように意識を手放しているようだった。
「どうして素直に話すの?」
「外部からのアクセスを遮断しています。それに、生体型デバイスを使う者の意見を頂きたかった」
これから殺そうとする相手に意見を求めることといい、子供を躊躇なく兵器型デバイスに利用する価値観といい。リーレニカはヴォルタスの――スカルデュラ家の悪趣味な応対にうんざりし、深くため息をついた。
「異常者の主人に従う時点でセンスないですよ」
「…………」
急に推し黙る奇術師。仮面の下に隠された顔こそ見えないものの。
彼から湧き上がる怒りの色が、克明に浮かび上がっていた。
「アルニスタ様を侮辱するな」
奇術師から溢れる濁った赤いマシーナ反応と、紺のマシーナ反応が混ざり合い始める。
「あのお方は誰よりも優しく聡明だ! 貴様らこそ力をひけらかし、身に余る欲を貪る獣だろうがッ」
突如吠え出した相手に、リーレニカは思わず懐のスペツナズナイフを抜き、正面に構えた。
何か来る。
その予感は正しいと、奇術師の起動句が証明した。
「デバイス起動――〈グランゴヌールの館〉」
景色が水を溶かした絵の具のように歪み、色を濁らせていく。
二人を囲む太い鉄柱から吹き上がる黒い粒子が結合し、膜を張る。
リーレニカの〈帳〉と酷似したそれは、内外を隔絶する漆黒の半球となって完全に閉じ込めた。
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黒壁が光源を生んでいるのか、天井照明を隠していながら、内側の様子は明瞭だった。
びっしりと埋め尽くされた黒曜色のマシーナ粒子が逃げ場のない壁となり、リーレニカの行動範囲を制限している。
その中で、奇術師の姿ははっきりと捉えられた。
よく見ると、彼の座している椅子でさえ一つの娯楽用デバイスだったのだとわかる。
このステージの仕掛けを操作できる「コントローラー」のようなものか。
であれば。
――あの浮いているカードもそうなのか?
奇術師の眼前で浮遊するそれらは、均等な間隔を維持しながらも配列を入れ替える二十一枚の絵札に見えた。
『二十一の兵器型デバイス反応』
「――え」
いま何と言った。
一つではない?
リーレニカは目に映る光景と、生体型デバイスが提示した自動解析結果を疑う。
その言葉が指すところは、あの一枚一枚はベレッタのような一体型ではなく、いずれも「独立した兵器型デバイス」ということになる。
あり得ないのだ。
デバイスというのは、マシーナウイルスを人類が扱えるように加工した、文字通りただの「便利な装置」に過ぎない。
剣に非現実的な物理現象を再現させるものもあれば、水中で着火させるランタンだって存在する。
だからと言って、一人の人間が幾つも扱えるようにするという代物ではない。
複雑な構造であればあるほど、当然手に余る。
それはある種、「銃の引き金を引いたと思えば、自らの眉間を穿つ」ような間抜けな自滅すらあり得るのだ。
「貴女は起動しないんですか」
「本当、スカルデュラ家というのは……しつこい男は嫌われますよ」
「構いません。私はアルニスタ様さえ居てくだされば他は不要ですので」
「――どいつもこいつも」
この奇術師はリーレニカを殺すと息巻いておきながら、この後に及んでデバイスを起動しないリーレニカを殺せずにいる。
何かを待っているのか。少なくとも安易に生体型デバイスを使用してはいけない予感がした。
あの得体の知れない絵札を見たところ、膨大なマシーナ反応を凝縮していることがわかる。
そもそも武器をベースにしていない。
類似するものとしては、化学反応を作り出すものか。あらかじめマシーナウイルスに役割をプログラムしていれば、兵器としては充分に運用できる。
オーソドックスなのは機人を焼却する「火炎放射」あたりか。
相手のデバイスに憶測をつけていると、そんな安直な思考を責めたくなるような異形が飛び出してきた。
「リリース。司令塔」
奇術師は低い声で不吉な単語を口にした。
更に聞いたことのない言葉が続く。
「病弱な唄鳥〈ケルビラス〉。天使の母胎〈ルーテンリッヒ・ボア・エリゴール〉」
ヴォルタスの眼前に浮遊する絵札が二枚、強い輝きを放った。
絵札が乾いた泥細工のように、その輪郭を削り崩していく。
直後、絵札の中央から凝縮されたマシーナウイルスが吹き溢れた。
その二体は初めからそこに隠れていたかのように、粒子の集合体となってその姿を形成、物質化し――命を宿した。
一体は、ローブを羽織る腰を曲げた老人が、フードを目深にしたような生き物。子供のように小さい上背だが、鳥類特有の立派な嘴がそのフードからはみ出ている。
一体は、この劇場と比肩するほどの高さを誇る巨躯。両腕は異様に発達した大木が如き剛力だが、ソレを生やす体はスラリとした女性の上半身を思わせた。
ただ、頭部は〈マネキン〉特有の顔なき者。
腰から下は子供の落書きのように曖昧で、立ち込めたマシーナ粒子を貴婦人のスカートのように纏っている。
『懐かしい顔ぶれじゃな。同窓会でも開くつもりか?』
関心するような声音のAmaryllis。
リーレニカは目を疑った。
――機人を生成したのか?
否、ゼロから生成するにはもっと時間も設備も必要になる。まだ「再現」と認識したほうが適切か。
言うなればマシーナウイルスに特定の生命情報を記憶させた、「三次元再現装置」と言うべきカードだ。
問題はいくつかある。
「あの鳥は最北端の――ローエッジ諸島の疫病か」
ケルビラス症候群。
旧暦の極寒諸島で流行したと言われる機人症の一種。五歳児が一瞬にして年老いた老人のようになり、全身を鳥の姿へと変異させたレイヤー伍の成体だ。
症例は「彼の歌」を聞いた者を老化――正確には血中マシーナを劣化――させる、「感染しない」奇病。
だが、
「博識ですね」
「その症例は北の村とともに絶滅したはずよ。何故あなたが持ってるの」
「これはケルビラス少年が遺した、マシーナ・コアの化石から採取した再現データです。肉親含め、他者の感染を許さなかった唯一無二の症例。この『技術』を絶やすことはマシーナへの冒涜に値しますから」
「異常者め」
リーレニカは目の前のローブを纏った老鳥と、見上げるほどの巨躯を支える双腕を見据えてやや後退りする。
そして視線を泳がせた。
――待て、と。
先ほどあの奇術師は『司令塔』と言ったのか?
「呆けていて良いのですか。そろそろ産まれますよ」
奇術師の言葉に続き、能面の女が濃霧のスカートを揺らめかせた。
『膨大なマシーナ反応を検知。マシーナ濃度、計測不能』
Amaryllisの音声アシスト通り、白銀の世界でも同様に見透せなかった。
それは巨大なスカートから次々と湧き上がる四足歩行。
「成体エリゴールが産む機人は、レイヤー肆の幼体……〈マネキン〉とは少し違っていましてね」
体毛のない全裸の四つん這いが、次々と濃霧のスカートから現れる。
丸々と膨らんだ短い四肢。腕肉に紐を巻きつけたような愛らしい皺筋。ただし肉質は金属製の堅牢さを誇る。
天使のような無邪気な笑みを浮かべる。大きく裂いた口腔は、大人など容易く飲み込めるほどの大空洞。
そいつらが両腕両脚を動かすたびにステージが揺れる。
つまりは、巨大な赤子。
全身を鉛で構築したような――無数の赤子だった。