5話 オーロレイツ劇場
サーカス劇場の施設は見上げるほど大きく、パレードに使う風船がどこまでも彩っている。
赤と白を交互に縦へ走らせた、典型的なストライプのテント。
丸いフォントで看板いっぱいに筆を走らせた「オーロレイツ劇場」という施設名。
貴族はもちろん、一般市民も楽しむことができる数少ない娯楽施設だ。
だが誰もいない。
陽が落ち始めたからではない。夕焼けと施設を目立たせるライトアップが溶け合い、むしろ観光に集まりそうな時間帯ですらあるのだが。
逃げ惑う市民がこのエリアを通りぬけてすらいないようだった。
フランジェリエッタのマシーナ反応を頼りに、外とは対照的に仄暗いテントの入り口を潜り抜ける。
不気味なピエロの壁画に、雄々しいライオンの剥製。劇場ステージまでの通り道はなまじお化け屋敷のような不気味さを連ねている。
重々しい鉄扉を押すと、劇場特有の期待を掻き立てる眩い光が差し込んだ。
国が誇る劇場なだけはある。
中央ステージに近付くにつれ、一段ずつ背を落としていく観覧席。左右には迫り出した貴族階級用の特別席。
見渡すと、観客席が殆ど埋まっている。
フランジェリエッタの姿がないが、加えて違和感。
「子供?」
子供しかいないのだ。
普通、劇場に入る際は必ず保護者同伴でなければならない。大人の姿が無いどころか、スタッフもいないようだった。
ここまでの状況で、一つ予想がついた。
ピエロが子供をここに集めたのだと。
「〈人避け〉を抜けてきたな」
低い男の声に続いて、リーレニカと相手それぞれにスポットライトが当たる。強い光に思わず目を細めた。
一見すると奇術師。この劇場を取り仕切っていると言われれば納得してしまいそうな出で立ちをしている。
紺色の礼服に、少し高めのシルクハット。白磁の仮面の左右で分かたれた、泣き顔と笑顔の繋ぎ合わせ。
即時、白銀の世界と同期する。
拡張する白藍の格子線を浴びた男は、仮面の裏に隠した「悪意」の色を隠そうともしなかった。
「これだけマシーナをフル稼働させていれば嫌でも目につきますよ」
「この起動式を抜けられる人間は、アルニスタ様を除いて特定の一人しかいない」
シルクハットは待ちくたびれたように背中を折る。
深々と垂れた頭から帽子を外すと、弧を描くように肩まで寄せた。
そして大袈裟な挨拶をする。
「私の劇場へようこそ。リーレニカ」
リーレニカは、「特定の人間以外を退けるマシーナ反応」に導かれ、まんまと招き入れられたようだった。
アルニスタに目をつけられていたと考えれば、相手がスカルデュラ家の縁者であると合点がいく。
「あなたここの支配人じゃ無いでしょう?」
「元はよそ者ですが、今ではここの支配者です」
「ここに居た人達は?」
「我々の『作品』になりました」
要領を得ない答えを追求するより早く、相手は何かを急ぐように豪華な装飾を施した椅子の前へ立つ。
「申し遅れました。私はヴォルタス・スカルデュラ。次期スカルデュラ家党首、アルニスタ様の側近にして執事を仰せつかっている者。そして」
息を整える素振りを見せると、再びシルクハットを頭へ乗せた。
「あなたを殺す者です」
「――⁉︎」
スポットライトが消えたかと思えば、不可視の力でヴォルタスと同じステージの上に立たされていた。
足場の端に一定の間隔で開口部が現れる。
金属の擦り合う音を引き連れたまま、備え付けられた巨大な鉄の柱がステージを取り囲んだ。
二人を取り囲むそれは、自分という生き餌を放られた檻に見えた。
****
ヴォルタスは赤い椅子に腰掛けると、脚を組んで頬杖をついた。
「花畑は使わないのですか?」
「…………」
少しばかり黙し、その言葉の意味に気付くと表情に出さないよう状況を整理した。
どういうわけか、あの奇術師は〈生体型デバイス〉を使わせようとしている。加えてこちらの機能を把握できていないらしい。
当然だ。今までの戦闘はただ「蝶と花畑を無秩序に使う」だけだった。極力身一つで全て対応することにメモリを割いたが、無駄ではなかったらしい。
相手は殺意こそ隠さないものの、タダでは殺せないようだった。
リーレニカはこの状況を少し利用することにした。
「さあ? 〈ピエロ〉が出てくれば使わないといけないかも」
「あれは失敗作です。一度御した貴女ならわかるはずだ」
「あの〈ピエロ〉はあなたが作ったの?」
奇術師はデバイスに関する話題を好むようだ。
お互いどんな手札を持っているかわからない状況で、探り合いつつも自慢をするように声を弾ませた。
「さすが生体型デバイスを従えるだけありますね。お察しの通り、あれらは製薬部が実験に失敗したものを再利用した肉人形です。我々は兵器型デバイスを製造し、求める国、軍、ゲリラ部隊へ提供する名家ですから」
「ずいぶんと趣味の悪い収益モデルね」
「リピーターは少なくありませんよ」
ヴォルタスは肩をすくめた。
リーレニカは視線を相手から外さず、観客席に座らされた子供達へ、マシーナを介して干渉しようとした。
白銀の世界に映し出される感情の色。マシーナ反応。子供達の健康状態。どれも異常はない。だが何かに支配されているかの如く、座席から逃げようともしなかった。
これでは下手に仕掛けられない。
ふと、ヴォルタスが退屈そうにこちらを指差した。
「先程から試みているそれ。無駄ですよ」
核心を突かれ、瞳がわずかに揺れる。
「子供は感受性が高い。〈機械細胞の花粉〉を吸引したが最後、依存し、やがて『自らがそれを生成』しようと変異を始める」
「……何をしたの」
「レイヤー伍となった記者本人に聞いてみますか?」
意地悪そうな声音で返す奇術師に何も言わないでいると、意外にも容易く答えを提示した。
「他家受粉です」
リーレニカもその言葉はフランジェリエッタから聞いたことがあった。
雑に言えば、同種の他個体が持つ花粉により受粉し、その数を増やす生殖現象。
「スタクの放つ機械細胞の花粉は、自由に変質し、他者のマシーナと混ざり合う性質を持つ特異体質です。それを吸引すると、過剰なストレス作用に晒されます。レイヤー参と似ているでしょう? 耐性のない者はやがて意識を失い、レイヤー上昇を促し――特殊な個体へと開花します」
ある子供が、身体中から夥しい数の蔦を生み出した。それは体を這い、卵形まで膨らむと、繭のように繊維を這わせる。
植物の卵が如きそれは、頂点から花弁を開かせると、中央から「黒い肉の袋」を膨らませた。
ドロリと地へ投げ落とされると、漆黒の泥が全身から流れ落ち――〈マネキン〉のような人型になった。
「我々はこの子供達を、生きた兵器型デバイス――『機人の卵殻』と仮称しました」
新製品のお披露目でもするようにヴォルタスは両手を広げる。
兵器型デバイスと呼称する以上、おそらく兵器として前例のない代物。
スタクを利用し、恋人のソフィアも苦しめ、果ては子供たちを苗床にし――。
とても悪趣味な卵が完成していた。




