3話 私が兵士だからだ
手近な機人をスペツナズナイフで貫き、一瞬にして灰と化す様を一瞥する。
リーレニカの戦闘行為に一切介入できなかった兵士は驚く以外まともに反応できなかった。
慄く学徒に、驚愕したまま固まるスクァード。すぐに周囲を見渡し、やや離れた位置に機人が居る事を確認。剣を構えている。
ひとまず、隊員が呼吸を整える余暇を確保した。
このまま集団戦闘にもつれ込めば、経験の浅い兵達は混乱を腹に落とせぬまま殉職するだろう。
その間に遠くからゆっくり近づいてくる機人と、隠れているだろう生存者の把握に努めた。
白銀の世界は建物の中さえも透けて見えるようになる。
リーレニカが視覚で得た情報をなぞる様に、仮面デバイスが骨伝導で建物内の状況を知らせた。
『マンションビッカーニア、A棟。生存者概算――二十名。内、子供五名。高齢者三名。いずれも上階層。平均マシーナ濃度アンダー三十パーセント。発電デバイス異常により予備バッテリー稼働中。給排水デバイス正常。オートロック機能異常により玄関開錠不能』
建物の設備系統異常で閉じ込められているようだ。
機人警報により安全装置が作動したのだろう。建物に閉じ込められたようだが、公共施設が大破したことが逆にラッキーだったようだ。
設備に内包した大量のマシーナウイルスが漏れ出し、機人の感覚器を誤魔化してくれている。これなら子供が怖がっていても、機人は人間のマシーナを遠目には知覚できないだろう。
今度はAmaryllisが報告する。
『機人――タイプ不明。レイヤー不明。十二時の方角に三体――更新。四体――更新』
リーレニカ達を遠くから見据える機人が三体。まだ増える。
報告通り、続々と建物の影から湧いて出てくる。背筋が凍った。
その様は樹洞から這って出る蟲の大群を思わせる。
現れたのは、目鼻が限りなく収縮し、異常に裂けた口から唾液と共に覗くノコギリのような牙。鋭く発達した金属製の長爪。――〈マネキン〉の集団。
「これは……もう」
スクァードは「ダメだ」という言葉を飲み込み、汗で額に貼り付いた赤土色の髪を拭う。
彼が懸念していることはリーレニカにも分かる。
この集合住宅街で機人を発症すれば、連鎖的な集団ストレスで体内のマシーナウイルスが汚染され、感染爆発が起きかねない。
リーレニカはシヴィ社長を襲っていた機人から、一つの仮説を立てていた。
『こいつらただの〈マネキン〉じゃないぞ』
人間のリーレニカが想像していることは、大抵高位生命体を宿すAmaryllisも確証を得ている。
機人が絶命するにしては、「塵になる速度」が速すぎるのだ。
通常、人間の体が変異したのだから、絶命する時は金属からただの肉体に戻らなければならない。
その過程で、燃焼器官――マシーナ・コアにより炭化した臓腑や筋繊維が崩壊し、灰のように散る様が「塵化」だ。
それがコアを破壊した瞬間、乾いた泥人形のように全身を崩した。
彼らはおそらく――「スタクの花粉から産まれた生物兵器」だ。
リーレニカは夜狐の変声器が正常であることを再確認し、口調を借りることにした。
「聞け。奴らは人間じゃない」
「機人だって言いたいんだろ。みりゃ分かるぜあんな化け物……見ろよ、俺達を餌としか思ってねえぞありゃ」
「無駄口はここを制圧してからにしろ。あれは『機人を真似た兵器型デバイス』だ」
リーレニカの確信を持った言葉に、スクァードが振り返る。
「なんでそんな事分かるんすか」
「私が兵士だからだ」
スクァードはとにかく、経験値が遥か上であろう〈夜狐〉の指示に従うしかない。
原理も理屈も理解できないだろうが、白札の兵士は押し黙り、緊張と浅い呼吸を鎮めようとした。
白札も含め、騎士学園の人間は機人を殺す経験が無いだろう。出来ても汚染されたマシーナウイルスを焼却する「後始末」だけだ。
故に、彼らは「元人間を殺すこと」に躊躇する。
とはいえファナリス隊の兵士なだけある。学徒が怯えている中、スクァードは荒い呼吸で震えているものの、目だけは兵としての職務を全うする意志を感じた。
「もしかしてこれが初陣?」
「いえ……でも恥ずかしい話、今日までシン先輩のサポートっす」
「じゃあ『正しい札』に変えるチャンスだな」
「……へっ」
スクァードは、リーレニカの冗談になんとも言えない笑みをこぼす。
「若輩のお前達がここを任された理由を思い出せ。まだ避難できていない市民が居る。それにあれは人間の感染者じゃない。人間を脅かす兵器。分かる?」
「ああ――『容赦するな』ッスね」
スクァードの握る剣から震えが止まった。
それを見て学生兵も腹を括る。
わずかに震える起動句が重なり、声音に芯が通った。
「デバイス起動」
****
建物の影に潜んでいた機人モドキが、リーレニカの「挑発」によって現れる。
下卑た笑みは人間性を捨てた〈マネキン〉を彷彿とさせる。
本当に良くできている。身の毛がよだつ。
悍ましいケダモノの群れだ。
厳しい訓練を受けた騎士学園の連中も、これを目にすれば戦意が削がれ、剣を握る手も緩んでしまうだろう。
Amaryllisの視界――白銀の世界と同期したリーレニカは、真っ白のキャンバスに立ち込める黒煙に目を細めた。
広々とした住宅街を埋め尽くす、「殺意」というドス黒い衝動の色。
気が狂いそうになる。
その光景は御伽話の書物に描かれた地獄のようだった。
リーレニカを含めた六人編成の小隊で、夥しい数の〈マネキン〉を制圧しなければならない。
内五人は機人とまともな戦闘経験がない。
「どんどん増えてるぞ」
兵士は剣を構えるものの誰も動こうとしない。
否、動けない。
彼らは殺す覚悟はあっても殺される覚悟が無いのだ。
まして相手は命のないマシーナの塊。〈マネキン〉を再現した自立行動型の兵器型デバイス。
向こうとこちらとでは命が釣り合っていない。
このままでは囲まれる。
――と。
「あ」
スクァードが呆けた声を発する。
声の先、幼い子供が車の窓から顔を覗かせているのを見つける。動力を失った黒鉄の箱に閉じ込められた家族だ。様子を見ようと顔を上げたのだろう。彼はその子と目があったらしい。
親らしき人影がすぐに子供を隠し、車内を覆う布を戻す。
ふざけたことに、機人の目ざとさまで奴らは再現していたらしい。
「ダメだ」
無数の内の一体。こちらに向けていた顔を、百八十度回転させ車に向けた。
『あいつ死んだな』
Amaryllisが呑気なことを言う。
スクァードは飛び出していた。
車に到達するまで少なくとも五体のマネキンと交戦しなければならない。
赤土色の青年は命の勘定をかなぐり捨て、捨て身の特攻を選択していた。
それは蛮勇だ。
「馬鹿」
どちらにせよ部隊人数をこれ以上減らす訳にはいかない。
リーレニカはナイフをホルスターに仕舞うと、一度大きく手を叩いた。
乾いた音が響く。
学徒四人が一瞬固まり、瞳に「明確な意思」が宿る。弾かれたように飛び出した。
マネキンの真横を抜けようとするスクァードは、恐怖の色が無い。閉じ込められた家族を助けることだけで思考を埋め尽くしているようだった。
だからといって、感情がある以上透明人間になれる訳では無いが。
大振りの爪がスクァードの後頭部を薙ぐ。
目視を省略し、無我夢中で前へ転がった。
学徒はその動きに一瞬目を見張るが、最初からこうなる事が分かっていたかのごとく、ガラ空きとなったマネキンの背中を貫いた。剣尖の入りが悪く、胸部のマシーナ・コアを掠める。
ファナリス隊専用のロングソードデバイスが、唐突に刀身からスパークを起こす。肉体的な麻痺を強要し、マネキンの動きを制限した。
二人目の学徒がその剣を頑強な首へ振り下ろす。
斬るというより叩き折る結果となった。
マシーナ・コアに亀裂。灰が一瞬にして広がり、絶命を報せた。
まるでお互いの動きを、言葉を介さずダイレクトに報せあったような連携。当の本人達は訳が分からず視線を交わすが、それも数瞬で再び走り出した。
灰の煙幕を突き破るように、後続の三名――漆と鎧がスクァードの後に続く。
敵二体がスクァードの進行先に居座っている。
邪魔をしようだとか、そんな人間的悪意はなく、ただ殺し喰うためだけに全身を震わせている化け物。
リーレニカは加速し、スクァードの真横につく。
帳が漆黒の稲妻となり、尾を引いた。
左右から挟撃を図るマネキン二体。等間隔に広がったそれらの顎を、左右へ残像を生みながらほぼ同時に殴り抜く。
スクァードの位置へ戻る頃には漆黒の虚像が霧散し、リーレニカの走る姿一つへと収束した。
体勢を崩す二体を、後続の学徒二人に任せる。
リーレニカの行動を予知していたかの如く、マシーナ・コア一点を突き、破砕した。
間も無く。
スクァードは家族へ迫るマネキンを、教科書通りの作法で首から脇にかけて斬り払う。
迷いなき白兵戦。
五人のスクァード小隊は困惑しながらお互いを見る。まだマネキンは残っている。油断できる状況ではないはずだが。
この結果に、リーレニカは満足そうに口角を上げた。
リーレニカの戦闘経験を、新兵達の深層心理へ付与するもの。無駄な思考を許さない、ある種高度な「二人羽織」に近い。
それはリーレニカの持つ、世界観の共有。
Amaryllisと日常的に行なっているものから着想を得た、ただの思いつきに過ぎなかった。
だがこの戦場では絶大な効果を発揮する。
「――〈同期〉成功ね」




