19話 死ぬべきじゃない
黒。
上下左右全て何もなく、浮いているのか溺れているのかすらわからないほどに鈍った感覚。
リーレニカは粘りつく暗闇の中、体が「黒」で塗りつぶされる感覚に支配されていた。
己が何者かに作り変えられる不快感。
意識を持ちながら、どこか現実離れしていて自分ではない虚無感。
絶対的な存在によって機械人形にされていく感覚。
――「終わり」は、その瞬間だけ切り取れば皆平等に呆気ないものだ。
何も成し得ず終わる。
組織に入り、人を騙し、陥れ、時には見捨て、人でなしと罵られる。
本当に最低な人生だった。
「――はは」
乾いた笑いだけは一丁前に出る。
笑う資格などとうの昔に捨てたと言うのに。
あの子の祖母を殺し、あの子が一人で生きていけるまでは守ると誓っていたのに。
守る力さえ充分に使うことは叶わず。
いたずらに力に溺れ、そして人を傷つけるだけの存在に成り下がる。
なんて無力な生き物なんだろう。
――〈あの人〉には到底なり得ない。
「死なないで」
誰かの声がする。
ふと、暖かい何かが体を包んでいた。
動かない体を抱き上げられるような。
粘つく闇から引き剥がされるような。
この感覚には覚えがあった。
とても寒い雪山。
小さな女の子が縋るように抱きしめてくれていた時のことを。
一筋の光が頭上から差す。思わず目を細めた。虚の中で、救いの象徴のような人影が手を伸ばしている。
〝誰か〟の声が少しだけ鮮明になった。
「あなたは死ぬべきじゃない」
「――フランジェリエッタ」
飛び起きると、辺りには誰もいなかった。
夢を見ていたようだった。
思考がまともになると、ここが崩落した武器庫だったことを再認識する。
体が軽い。
鼻血も止まり、血が乾いて固まっていた。
擦り落とし、ぼやけた視界のまま立ち上がろうと床に手をつく。
何かが指先に触れた。
「これは」
弾道ナイフと、空のガラス瓶。
いつか魔女から購入していた持ち物だ。誰かが善性マシーナを投与してくれたのか。
Amaryllisのバイタルチェックを立ち上げると、正常値であるレイヤー壱へ回復していた。
それだけではない。
「……」
黒鉄でできた仮面。
拾い上げると、機械特有の変形音を立てて立体に組み立てられる。
狐の仮面になった。
あたりを見渡すが、やはり人の気配はない。
そもそも兵舎の中から入れるルートは瓦礫で潰されている。
水着パーカーの女が逃げ出したであろう崩落穴しか、外界との通り道はなかった。
『起きたか』
Amaryllisが呑気な声で言う。
『それかっこいいな。お土産か?』
先ほどまで機人化しかけていたというのに、茶化すように言ってくる。
リーレニカは直ぐには応じず、スペツナズナイフのベルトホルダーを大腿部に装着した。
そして躊躇せず、狐面を額に当てる。不可視の力でしっかりと顔に固定された。
視界は半透明の黒いフィルターを通しているらしく、「ユーザー照合」の文字が浮かぶと薄緑の読込状況線が視界に映し出される。
ゲージが最大まで溜まると、「ゲストユーザー」と表示され、夜狐のネットワークに接続できた。
街の地図と兵士の位置情報、避難民の状況が表示されている。
リーレニカは憑き物が落ちたように、口角を少しだけ上げた。
「さあ。プレゼントじゃないかしら」
夜狐との戦闘で、ある程度この仮面の使い方は把握している。
「デバイス起動」
仮面から歯車の回る音がし、全身を黒い蜃気楼が覆った。
兵器型デバイスにカテゴリされるこの仮面は、体内ではなく大気中のマシーナウイルスを取り込み、循環させることで「黒い蜃気楼」を体表に纏わせることが出来るようだ。
仕組みは〈帳〉と似ているが、血中マシーナを消費しない点で優れている。こちらの生体型デバイスと相性が良かった。
『残り十二時間』
「え?」
蝶の耳飾り――生体型デバイスの自動音声に反応する。それを問いかけと捉えたのか、生体型は夜狐の視覚フィルターを通して文字情報を展開した。
〝抹殺の遂行〟まで、残り十二時間――と。
それはフランジェリエッタを「消す」までの執行猶予だった。
「…………そう」
会話ではなく、自分を納得させる様に応える。
この狐面を託した者は、感情を殺していた自分に言葉ではないメッセージを残したつもりなのだろう。
残された仮面に言葉はなくとも、求められたことはわかる。
自分のすべきこと。
――戦うんだ。あの子のために。
第三章――了。
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