14話 異質な妹と目覚め(後編)
理解が追いつかない。
少女の呼びかけに怪物は見向きこそしないものの、「フラちゃん」と濁った声音で、うわごとのように繰り返すのだ。
彼女の祖母は、高濃度マシーナの帯域に晒され続け、耐えられずレイヤー伍となっていた。
他に機人が居ないのは、アレが殺して回っているせいだと直感した。
「ありえない」
リーレニカはその祖母だという怪物を見て呟く。
――人の意思を宿す機人が存在するのか?
それすらも淡い期待だと、機人そのものが否定する。
桃髪の少女を拾い上げる、巨大な爪。
強くなる握力。少女から息が漏れた。
「おい!」
思わずリーレニカが叫ぶ。信じがたいことに、呼びかけで機人の手が止まった。
そのままこちらを向く。
光る眼光が揺らいでいる。
リーレニカは言葉を失った。
まさか。
ありえない。
機人化後には起こりえない現象を目の当たりにし、凍り付く。
――泣いているのか?
祖母だという機人が、月明かりの下で孫を殺す衝動に抗っているようだった。
◇
こんな時にフランジェリエッタの言葉が頭を過ぎる。
――どうして傭兵になったの?
――金のためです。
違う。本当は。
耳飾り――蝶形の生体型デバイスが警告する。
『所有者の精神異常を検知。自制レベル低下により、〝生体型デバイスの自我〟発生。鎮静作用を起動――失敗』
――本当は。
『使用者の意識制御――失敗。精神汚染起因の悪性マシーナ発症』
――私は。
『生体型、Amaryllisの自我確立――規定によりデバイス自壊プログラムを起動します』
――「私と同じ人」を出さないために、この組織に入ったんだ。
『自壊、失敗――散々眠らせおって』
耳慣れない喋り方が耳飾りから聞こえる。
生体型デバイスを「道具として使うための制御」が壊れたようだ。デバイス特有の自動音声ではない。
自我を目覚めさせたそいつは、値踏みするように続けた。
『ほう? 強情な奴だ。〝乗っ取り〟ができん……お主がワシの使い手か?』
「……生体型デバイス」
『堅苦しい呼び方じゃ』
「なんて呼べばいい」
『名前なんぞ飾りじゃ。好きに呼べ』
名前など考えている場合ではない。組織から提供されたデバイス名を借りる。
「――Amaryllis。力を貸して」
『いきなりか。何をする?』
「あの子を助ける」
『くだらんな』
ふざけた口調のそいつは、人間の都合など興味がないとでもいいたげに鼻で笑うように吐き捨てた。
「言う事聞きなさい。殺すわよ」
『虚勢を張るな。ワシらは繋がっとる。全部透けて見えるぞ』
こんなふざけたデバイスとやり取りしている場合ではないのに。
小さな体が、化け物となった家族に握り潰されようとしているのに。
人間は――自分はどこまで無力なのかと自責する。
『にひ。震えとるな』
「……」
『お主の感情、旨そうじゃから手伝ってやるかの』
その言い方は、人間を使った暇潰しをするように聞こえた。
◇
怪物と目が合う。
フランジェリエッタは怪物の手の中で、今にも息絶えようとしていた。
――殺して。
機人が、こちらへそう懇願している気がした。
躊躇うな。自分に言い聞かせる。
声が震える。
動揺を隠すように起動の命令句を吐いた。
「デバイス……起動」
◇
焔。
積雪を抉り取り、灼熱の蝶が火と共に揺蕩い、踊っている。
煌々と輝いていた月ノ花が、次の瞬間にはそのほとんどを黒炭へ塗り替えた。
――烈火の蝶が鼠色の怪物を焼き殺していた。
当然、レイヤー伍がそんな簡単に死ぬはずはない。だが現実はそうなった。
殺せたのは自身の力だけではないと自答する。
まるで最期の意思が少女を守るように、怪物は巨大な体を盾に、少女を業火から退けていたようだった。
「ふ」
Amaryllisの制御が不十分なままデバイスを起動した。凡ゆる機能が一斉に稼働している。それは、殺した怪物の感情と己が〈同期〉することも含まれていた。
どれだけフランジェリエッタを愛していたのかが、相手の思い出と共に痛いほど流れ込んでくる。
そして。
リーレニカは幼児のように泣き喚いていた。
生体型デバイスを酷使したせいで、精神と深い根を持つマシーナウイルスが暴走する。症状は、精神年齢の逆行だった。
自責の念を止められない。自分で自分を殺したくなる。
――殺した。
あの子の家族を。
きっと彼女にとって唯一の拠り所。
なんのために力を得たのか。
人を守るためじゃなかったのか。
未来ある子を涙で潰さないためじゃなかったのか。
――かつて自分を救った〝あの人〟のように。
感情を処理できない。あの怪物同様、精神汚染されたまま機人に成ることは避けられなかった。
すると。
「大丈夫」
背中を、小さな手がさする。
どういうわけか、その手が荒れた心を洗い流しているような錯覚を覚えた。
気付くと、フランジェリエッタの胸の中で泣いていた。その声はリーレニカを落ち着かせようとしているようだった。
「怖くないよ」
――なぜ。
祖母を殺した自分を気遣うのか。
驚きからなのか、理解しようとする思考だけは正常になっていく。
不思議だった。
この少女がいる間は、体内のマシーナが安定していく。
痣が引き、偽善性マシーナが正常さを取り戻していく。
年端もいかぬ少女は、自分より遥かに強い。
未熟な自分とは大違いだと、そう思った。
◇
落ち着きを取り戻すと、焼死体へ近付く。
死体が大気のマシーナを汚染すれば、やはり機人症を誘発しかねないためだ。
一部無事だった月ノ花が視界に入り、ふと思考する。
――彼女の祖母とAmaryllisの蝶が触れた時、「感情が接続されたような感覚」に包まれていた。
マシーナの不可思議な作用だ。
その感情の断片を繋ぎ合わせるように思い直すと、機人化の原因に辿り着く。
あの機人は「自ら望んで」機人化したのだと。
レイヤー伍になるには、マシーナ汚染の速度も重要になる。
自ら機人化を受け入れたのであればある程度得心がいく。
冷静に考えれば、渓谷に転がる死体の山は機人のものではなかった。
機人であれば骨ではなく灰になるのだから。骨も残るはずはない。
加えて整備の不行き届きな武器。おそらく盗品だ。
彼女達は機人ではなく「山賊」に襲われていたのだろう。
父が殺され、老いた体で娘を守る術は「機人となり山賊を鏖殺すること」だけだった。
機人の焼死体の足元には、死した父の持ち物と思しき小さな箱があった。「フランジェリエッタ」と彫られている。
中には――箱ほど豪華ではないが――簡単な作りの髪留めが二つ。どうせ壊れるからと予備で買ったのだろうか。
それを見たのか、フランジェリエッタは感情に任せて顔を歪めた。
◇
強いと思っていたのは一瞬だった。
やはり大切な者を失う感情は計り知れない。
天涯孤独になった実感が遅れてやってきたのか、少女は先刻のリーレニカ以上に泣いていた。
少女は機人になる様子がないものの、自殺を望むほど錯乱している。
リーレニカは弱い力のまま、少女を抱きしめるしかなかった。
「皆、あなたの事を思っていた。……私のことは恨んでいい。だからあの人の為にも、死ぬなんて言わないで」
「いいの。もう、みんなの所に逝かせて」
桃髪の少女はリーレニカから離れようともがく。
彼女が落ち着くまで、ずっと抱きしめるしかできなかった。
そしてフランジェリエッタが泣き疲れ、やっと腕の中で眠りについた頃。
ふと、内に湧く感情に首を傾げる。
機人と接続してしまった副作用なのか。
体内のマシーナが減少して直情的になっているのか。
リーレニカは自分の中で芽生える人間らしい感情に困惑する。生体型デバイスですら処理しきれない感情が溢れる。
なぜか、腕の中の少女は死ぬべきではないと思っていた。
あの怪物の目はきっと、自死を訴えるだけではなかったのだと後になって思う。
この子を――。
もう聞こえないだろうが、なぜだか弔う気になっていた。
祖母の――怪物の焼死体に呟く。
「恨まれてもいい。私がこの子を――」
『いい加減にせい』
ふと、Amaryllisが苛立った声をぶつけてくる。
『夜狐如きにいつまで良いようにやられとるつもりじゃ』
その言葉に、今もなお攻撃されている最中だったと思い出す。
フランジェリエッタを抱きしめる景色に亀裂が入っていく。
Amaryllisが、意識の外にいる夜狐へ敵意を向けた。
『こいつはワシのもんじゃ』
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「なんだ?」
夜狐は天井を仰ぐ。
尋問部屋の頭上で鈍い振動を察知した。
麻袋を被せられたコウモリスカートが大人しくなる。
『覗き見とは良い趣味しとるな?』
リーレニカの記憶を覗くための立方体。兵器型デバイスが煙を吹き――爆ぜた。
夜狐の仮面に接続された細いケーブルから奇妙な音が漏れる。
「――!?」
身体中に電気が流れるような衝撃に、アルファが堪らず叫んだ。
リーレニカとの精神的な親和性を上げる装置が破壊され、それを利用したAmaryllisが精神汚染攻撃を返したようだ。
生体型デバイス特有の、宿主を支配しようとする精神攻撃をまともに受けたのだろう。耐えられず気絶していた。
『勝手にやるからな』
Amaryllisがリーレニカの了承を確認せず、椅子に含まれるマシーナウイルスに干渉する。
リーレニカを拘束している椅子が急速に腐敗。脚部に亀裂が入り、瓦解。横転した。
記憶の蓋を強制的に開かれたリーレニカは、肉体と精神的な疲労でまともに受身を取れなくなる。強かに顔を打った。
「う……」
どうにか劣化した椅子の脚を折り、手錠のぶら下がる両手で目隠しを外す。
闇に慣れた目が、急に差し込んだ光で薄目になる。
両足の拘束も腐敗させたようで、責めて立てられた体へどうにか力を入れると、簡単に外れてくれた。
「――あれ」
リーレニカは鈍い思考で違和感に気付く。
――Amaryllisと接続できる?
デバイスを制限する装置が壊れたのか? どうやっ? 誰がやった?
全身の強張りを解しながら、気絶した夜狐から手錠の鍵を盗む。
爆発音が立て続けに上階で発生した。強い大気の震え。ここが地下だと理解する。
「一体何が」
『侵入者発見』
地下全域に届く警報デバイス。その言葉にアルニスタの顔が浮かぶ。
休んでいる暇はない。
リーレニカは鉛のように重い体に構わず、走り出した。




