12話 異質な妹と目覚め(前編)
拷問にかけられたとしても、ここまで叫ぶことはない。
咽び泣く自分の感情に理解が追いつかない。
見覚えのある映像の濁流が脳裏を巡る。
見覚えのある――フランジェリエッタからも流れてきていたはずだ。
彼女の高熱を処置する時、同じ記憶が流れ込んでいた。
リーレニカもそこに居合わせている場所。
月の谷。
なぜ思い出せなかったのか、今となって符合する。
症状だけ見れば、数日前に機人化した兄を目撃した男の子と同じ。
マシーナ性記憶障害。
それも意図的に起こされている。
組織の生体型デバイス――Amaryllisが記憶に蓋をかけていたのか。
過剰なストレスで機人になるから。
三年前。
花屋を共に経営する以前の出来事。
身を切るような寒さだった。
◇
月の谷に自生すると言われる〈月ノ花〉。異常なマシーナ値を観測した組織は、原因調査のためリーレニカを実地訓練も兼ねて派遣していた。
十名の武装集団を連れ、霜の降りた山を登る。
「リーダーさんよー。もう帰ろうぜ」
顔にモザイクのかかった誰かが飽きたように不満を漏らす。
記憶が曖昧だ。だが雇っていた腕利だったはず。
「ダメ。もう少しでポイントですよ。レイヤー伍の機人が居る前提で進んでください。皆を雇ったのはその討伐も含まれてるんだから、前金分は働いて貰わないと」
「んなこと言ったってー」
誰かが、「どうせこんな山に機人なんていやしねえさ」と呟く。
それを裏切るように、轟音がした。
まるで巨大な生き物が山を掴み、揺らすような。とにかく非現実的な衝撃が遅れてやってくる。
突如足元が割れ、奈落に吸い込まれた。
◇
『バイタルチェック。悪性マシーナ濃度急上昇。推定レイヤー弍』
「う……」
薄暗い空間。
断続的に水の滴る音。
山を削り取ったような空洞だった。
思考が正常になる。遅れてきた全身の痛みから、地の裂け目で滑落したのだと状況を反芻した。
かろうじてAmaryllisのサポートが介入したようだ。マシーナウイルスの身体強化が作用し、一命を取り留めたらしい。
しかしその分、免疫――血中マシーナの汚染耐性――が低下。悪性マシーナと化した体内のウイルスが容赦なくリーレニカの機人化を促す。
顔にまだら模様の痣が浮かび上がっていた。
「誰か」
声をかけるも、自分の声が反響するばかり。
――同行した傭兵は全員逃げられたのだろうか。
周囲を見渡して、淡い期待は潰える。
血。欠けた斧に錆びた刀剣。人工的な武器。
全身を無惨に引き裂かれた死体が、そこら中に転がっている。
中には、同行していた仲間の死体もあった。
◇
『悪性マシーナ濃度オーバー六十パーセント。推定レイヤー参』
生体型デバイスの自動音声アシストが、リーレニカの状態を報告する。
――いけない。
善性マシーナを接種しないと。
生体型デバイスが体の修復を進めるが、反動で機人化の進行が止まらない。
体の中で何かが蠢いているのがわかる。
気でも触れそうな感覚の中、視界の端で何者かの存在を捉える。
煤汚れた桃色の長髪。それを腰まで垂らした、小さな女の子。
貴族が着用するような黒いロングコート。イタチ科の白い毛皮を首周りにあしらっている。
とても山登りをするような風合いではない。
しかし、まるでこの渓谷にずっと住んでいるような佇まいだった。
この際どちらでもいい。近くの国で見たことのある服装。きっと護衛もいるはずだ。
善性マシーナのポーションも携帯しているかもしれない。
リーレニカは虚な状態で声をかける。
「あな……たは」
「誰?」
「リ……レニ、カ」
「レニカ? よその子? 私はフラちゃんだよ」
リーレニカの変異していく体に対して、怯えもせず平素な顔で接している。
死体だらけの渓谷に子供一人。
異質だと感じていた。
◇
一瞬希望を抱いていたが、彼女の周りに人の気配がないのを察して目を閉じた。
視覚を放棄すると体内の変異する痛みがより鮮明になる。
うめき声が漏れた。
「体、痛いの?」
見て分かるだろうと言う気力はない。
桃髪の少女はリーレニカの手を握る。
小さな手からはみ出す自身の手が、ほんのり暖かくなるのを感じた。
「な……にを」
「『痛い』をどこかに飛ばしちゃう魔法だよ」
「離れ、て……」
このまま近くにいると、この女の子を殺してしまうかもしれないと予感していた。
機人に成れば情の介入する余地はない。
――と。
「え」
違和感が口をついて出ると、全身の倦怠感と痛みが引いていた。
どうやら痣も引いているようで、痣に伴っていた燃えるような痛みが消えている。
思わず桃髪の少女を見る。
「痛いの治った?」
「ええ……ありがとう」
「よかった。久しぶりに人が来てくれて。寂しかったんだ」
彼女は当然のことをしたように笑う。
それよりも。
――今、『治療をした』のか?
デバイスを使っている素振りはない。
死体の折り重なる空洞の中、紫陽花色と桃色の二人だけの空間に月明かりが差す。
この女はやはり異質だと、そう感じた。




