11話 尋問と叫び
水気を含んだ壁が空気を冷やしている。
後ろ手に繋がれた冷たい手枷。
木製の椅子に嵌められた両足。
目を覚ました紫髪の少女は、視界が暗闇に支配されていることに気づく。どころか、目を開けることができない。
視界を遮る布。きつく結ばれているのか、不快な眼球の圧迫感を覚える。
顔に被せられたものが麻袋だと察し、リーレニカは、自分は捕まったのだと把握した。
どれほどの時間が経過したのか。
口腔内の渇きと気怠さ。空腹感で大体一晩は経ったのだろうと推測する。
後悔。
〈夜狐〉がデバイスを使えぬ道理などなかったというのに、なぜデバイスによる戦闘を勘定に入れなかったのかと自分を責める。
生物の意識を切り取るための兵器型デバイスだったのだろう。躊躇した己の甘さが招いた結果だと反省する。
『Amaryllis』
思念対話で呼びかけるも応答がない。デバイスを制限する特殊エリアなのだと理解する。
かなり激しく抵抗したが、耳飾りまでは奪われていない。代わりに、コウモリスカートに仕込んでいた弾道ナイフが全て抜き取られているようだ。ナイフホルスターを巻いていた大腿部のベルトが無い。
肌の感覚に頼る限り、連れてこられるまでに武器の押収以外手荒な真似はされなかったようだ。
否――これからされるのだろう。
「気が付いたか?」
不気味な機械的加工を施された声。すぐ真横から舐めるように発せられる。
ずっとそこにいたのかと、反射的に肩が竦んだ。
怯えているように見せる。
「なに……誰ですか。ここは」
「何が起こっているかわからないか?」
相手の問いには応えず、声の反響度を確認する。
あまり広くはない。前後左右とも均等のスペースで、何かが前方に置かれている気配。
背後では声の反響が弱い。出口は後ろか。扉を閉めていないのか、鉄格子か。
「目的はなんだ。クーデターか?」
――フランジェリエッタはどうなった。捕まっているのか。
だとしても同じ施設にいるとは限らない。
そもそも自分は犯人だと確定していない人間。その逮捕に工作員を仕向ける理由はなんだ。人手が足りないとしても一般市民に対する采配ではない。
震える演技をしながら相手を無視していると、
「黙秘権はないぞ?」
頭上からバケツをひっくり返したような流水。冷えきった水が容赦なくリーレニカを攻めて立てる。
ベッタリと。
水を吸った麻袋が、生き物のように顔中に貼り付いた。
息が吸えなくなる。口を大きく開けてもなお、口腔の中に侵入しようとする繊維。
――水責めか。
思わず顔を背ける。
水が止まらない。執拗に避ける先へ水責めが続けられる。
逃げ場がない。
もがく腕が、後ろ手に拘束された手錠で押さえつけられる。足も数センチほどしか動かせない。
腰もベルトで締め付けられている。
椅子は地面に固定されているのか、僅かに軋むだけ。リーレニカの僅かな抵抗さえ阻害する。
ようやく水が止まると、リーレニカは下を向く。僅かに残った肺の空気を小さく吐く。
麻袋と顔の間にできた隙間からすかさず息を吸う。空気の流れに従い、馬鹿にするように麻袋は口を塞ぐ。水の染み込んだ繊維の隙間に縋るように、更に大きく酸素を求め吸う。
必死な呼吸で、リーレニカの喉から出来の悪い笛のような音が鳴った。
「まだ一分と経っていないぞ」
顎を掴まれ無理矢理上を向かされる。
水の重みで、麻袋に自身の顔が浮かぶのがわかる。
「目的はなんだ?」
夜狐は問う。
腕を折られた者の力強さではない。
おそらくアルファと呼ばれていた人間か。
「何を、言っているのか」
「まだ喉が渇いているようだ」
一言返し、それが求める答えではないと判断すると再び水。
鼻腔の粘膜を削るように荒々しく水が入ってくる。
頭の中から目の裏を殴られているような激痛が襲った。
「……!」
力強く掴む顎をなんとかして逃れ、また顔を、肩を左右に振り空気を求める。
息を吸う事に優先順位を向けると、他の一切はどうでも良くなる。
手首から鈍い痛み。手錠と手首で激しい摩擦が生じ、擦過傷から血が滲んだようだ。それすら気にしている場合では無くなる。
「目的は?」
水が再び止まり、問う。
「私は、何も」
いきなり頬に痺れるような痛みが訪れ、無意味な返答を終わらせられる。
肩から胸にかけて、衣服が体に貼り付く感覚。
再び水。
息ができなくなる。
「まだ五分だ。聞いてやるさ。じっくりとな」
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何時間、何十回繰り返したのか、数えるのは途中からやめた。
Amaryllisとのコネクティングもできない。何かノイズが入っているような、得体の知れない邪魔が入り続けている。
水に晒され続け、体温を奪われた体は震えが止まらない。
「恐れ入るよ。黙っていればいつか終わるとでも思っているのか?」
「もう……やめ」
「怯える演技も見飽きたよ」
工作員は金属の容器を放り投げる。
軽快に地を跳ねる音と、水溜りを散らす音が部屋を満たした。
「それにしても凄まじい胆力だ」
かつて尋問で吐かなかった人間はいないのだろう。
想定以上に耐えるリーレニカに向けた賞賛はおそらく本心だ。
とはいえ、まだ序盤なのだろうが。
そして妙なことを口走る。
「心に蓋をしているな?」
「……え?」
Amaryllisと同期できていないリーレニカは、その言葉の意味を理解するのに少し時間を要した。
見えない顔を上げる。
――こいつ。
内側から尋問を仕掛けていたのか。
とどのつまり、精神の急所――〝トラウマ〟をこじ開けようとしている。
そして符合する。
今までAmaryllisと接続できなかったのではない。接続するリソースを割けなかったのだ。
特定のデバイスを阻害する装置がどこかにあって、思考できる生体型デバイスは独自の判断で防衛システムだけを常駐させていた。
心に蓋をしているという言葉は、精神攻撃の兵器型デバイスが有効に働いていなかったことを指している。
だがそれは、通常の出力に限った話。
「ギアを上げるか」
不穏なことを口にした夜狐が、何かのダイヤルを回す。小さな歯車が噛み合う音。
腹の底で、誰かが打楽器を力強く殴るような衝撃。
衝撃に続き、耳元で細い糸が切れたような音。
いよいよAmaryllisの防衛システムが途絶えたらしい。
堰き止めていた映像が走馬灯のように駆け抜ける。
「――――」
喉が焼けるように痛い。体内から強い振動を感じる。
それがリーレニカ自身の慟哭によるものだと気付く頃には、頭は思考を放棄していた。
記憶の濁流を正面から受ける以外、できることは無かった。




