10話 殺していたはず
隠密部隊の〈夜狐〉は、リーレニカのことを一般市民の花売りだと報告を受けていた。しかしここに来て少女への認識を改める。
同業ないし、それに準ずる何者かである確信を持っているようだった。
証拠に、無傷での捕獲を諦めている。
『警告。挟撃による多重攻撃。命令式、衝撃――』
生体型デバイス――Amaryllisの自動支援アナウンスはもはや役に立たない。
〈夜狐〉の戦闘行動が速すぎるため、音声での支援は追いつかない。二人の連携攻撃が対象を仕留めようと効率的に機能していた。
警告よりも早く、背後からベータの五指を揃えた突きがリーレニカの後頭部を狙う。目視の工程を省略し、首を傾け此を回避した。
この突きでリーレニカを振り返らせる想定だったのだろう。心臓へ向けたアルファの掌底を容易く払い除けられ、気絶を狙う〈衝撃〉のマシーナ命令式が強制解除される。
アルファは理解が及ばなかったのか、無意識に自分の手に目配せ。
しまったとリーレニカに視線を戻すと、コウモリスカートの靴裏が視界全面に広がっていた。
カウンターで繰り出されたリーレニカの上段蹴りに、思わず股を割り地に伏せ避ける。
「こいつ」
アルファが呟く。
察したのだろう。
先程からリーレニカは背後のベータを見ていない。
更に言うと、自身すら注意の的になっていないことに。
ベータの片腕を折った時点で、警戒の一割はベータに割き、四割をアルファに向けている。残りの半分は更なる増援に備え索敵をしている様子だった。
その認識を否定するようにアルファは低い姿勢のまま足払いを狙う。
これも予定調和のように受け止められ、逆に弾かれた。
夜狐二人の、理解の追いつかないまま戦闘行為は続けられる。
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気絶を目的とした〈衝撃〉の塊が、両の手に渦巻くマシーナ反応として構築されている。
それが前後に二本ずつ。計四本の連続時間差攻撃。
だがリーレニカもそのマシーナ操作は体得している。
驚くことに、片腕を折ったはずのベータは構わず両手を行使していた。
恐らく体内のマシーナウイルスを使い腕を固定しているのだろう。無茶な使い方だ。だが微妙に左右のバランスが崩れているのを知覚する。
相手に劣る手数。自身に受ける手が四本無いのであれば、脚を使うことにした。
「こいつ――なんなんだ」
「サボらないで続けろ」
「やってる」
夜狐二人は攻撃の手を休める事無く意見を交わす。
対してリーレニカは、〈衝撃〉の渦と真逆の渦を形成し、両手に留めている。相手のマシーナ命令式を強制解除させることに集中していた。
脚部は手ほど器用な構造では無い故、マシーナで〈渦〉を構築するとたちまち霧散するか、中途半端な渦の構築により脚自体が捻れ、筋繊維の破断――最悪骨折のリスクが伴う。
無理せず斥力を脚に付与する。即興だが、一定の衝突物全てを真逆に跳ね返す命令式として構築した。
『Amaryllis、うるさいから自動警告切って』
『やった。この喋り方嫌いだったんじゃい』
思考命令をした後に、自動でなくてもおしゃべりなAmaryllisはうるさいのだと思い至って目を回した。
入ってくる情報は白銀の世界のみに集中する。
打撃予測線を大気中のマシーナが報せる。
前後の掌底を体を捻りながら受け流し、続く背後からの打撃を前屈みになりながら蹴りあげ、裏拳で重心を崩させる。
絶え間ない前後からの連続攻撃。それをその場で、全方位一歩間隔の重心移動だけで翻弄していた。
二人がかりの肉薄した同時攻撃がかすりもしない現状。夜狐二人から動揺の色が浮かぶ。
達人の組手でもここまで無傷でいられるものかと、狐面は結果を焦り始めた。
アルファの纏う漆黒の蜃気楼から濁った色が漏れる。その色で言いたいことは大体理解出来ていた。
出会う人間は大抵そう言う。
――〝こいつは人間なのか〟と。
対等なコンディションでは無い夜狐二人の時間差攻撃に綻びが生じ始めた。
折れたベータの右腕。補強が疎かになっている。僅かな呼吸の乱れを見逃さず、リーレニカは地を踏み抜いた。
レンガ造りの足場が陥没し、破片が宙を舞う。
リーレニカの次の手を思慮し、一瞬動きを緩める兵二人。
即座にベータの意識を刈り取ろうと上体を捻り、すくい上げるように掌底を繰り出した。
――と。
リーレニカは自身の甘さに後悔する。
らしくない。
本来の自分であれば二人を殺していたはずなのに。
〝無力化〟に執着しすぎていた。
Amaryllisの提案に大人しく従うべきだった。
――いつからだ。
いつから生体型デバイスではなく心に従うようになっていた。
結末はリーレニカの後悔を待ってくれない。
背後でアルファから容赦ない起動命令が口をつく。
「――デバイス起動」
歪な閉塞感がリーレニカを襲った。
何も考えられなくなる。
白銀の世界が泥のような何かで塗りつぶされ、瞬く間に闇の底へ呑み込まれた。




