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その獣は私が気づいたことに気づくと、観念したかのように耳をぺたんと下げた状態で木々の間から姿をあらわした。そして、『ここでは話せない。…待ってる』と一言残して森の出口の方へと走り去っていった。
その言葉と姿から「きっと彼は私の家にいる」という一種の確信をもちながら家に帰ると、たしかにその獣はシェバさんと私が住むその館の物陰でひっそりと息を潜めて私を待っていた。
「…そ、その…話は…ここで?」
『できれば部屋で』
「でも…」
彼が部屋に入るにはあまりにも部屋が小さすぎる。おそらくだが彼は出入口時点でひっかかるだろう。
そんな私の目線に気づいたのか、彼は『…姿なら変えられるよ』と小さく吠える。
そして、瞬く間に人間の姿になってしまった。キャラクターのように変身バンクなんてものもなく、酷くあっさりと。
「わ…」
「なんだか照れくさいな…」
まずは、「本当に人間だった」という驚き一つ。
二つ目は、狼の時のワイルドな見た目と…ちょっと印象の違う見た目だったという驚き。シェバさんの肌を思い出させる綺麗な褐色の肌、そこにかかる神秘的なまでに真っ白な長い髪。静かな森の色をそのまま映したような理知的な瞳は、三白眼気味ではあるが綺麗なアーモンドの形をしていてあまり狼っぽくはない。そして一番意外だったのが…その瞳の上にかかる眼鏡だった。
「それで…できれば部屋に…」
私がまじまじとその姿を見ていると、露骨に「居心地が悪いです」と書かれた顔で言われる。
「あ、あ、ごめんなさい」
慌ててドアを開けるも、その直後に「これは大丈夫なやつだろうか」と頭に過って不安になる。しかし今更そんなことを思っても、もう開いたドアと部屋の中に入った犬人間は元に戻せない。
…私ってなぜこうも警戒心が薄くて流されやすいアホなんだろう。
「あ、その、ただでも…その…私の部屋はたぶん監視されてて…大丈夫ですか…?」
これは、それによってこの事実が露見してこの人の立場が悪くならないかという心配半分。ただルイゼが来ると目が逸らされる事実からもわかるように、私以外の人間が来た時その目は「逸らされる」可能性が高いんじゃないかとも思っている。
そんな考察も踏まえてもう半分は、この事実を伝えればこの人が私になにかしようとした時、そこまで酷いことはできないんじゃないかという希望的観測による牽制。本当にちょっとした抑止力にしかならないだろうけど。
「…本当だ。誰がこんなこと…」
私の言葉に不快そうな顔をしたその人は、目を瞑りブツブツと何事かを呟く。
なにをしているのか具体的にはわからないけど…おそらく何かしらの魔法を使っているんだろうなというのはわかる。
「…終わったよ。どれぐらい持つかはわからないけど…しばらく監視の目は消えると思う」
「や、やっぱり私は監視されてたんですね」
「ああ。しかもわざと君にもわかるようにね」
「やっぱり…」
私の考察は概ね合ってた。そしてルイゼがこれまで発見できなかったのも、おそらくルイゼが「あんまり魔法が得意じゃない」からだろう。
ということはつまり、この人はルイゼよりは魔法が得意…ってことなのかな
「これは誰の仕業ですか?わかるようだったら教えて欲しいです」
「…たしかに俺はクーポーよりは魔法の実力は上だよ。でもそれを正確に特定するのはなかなか難しい」
「それに関しては見当もつかない感じですか…?」
別に完全に正確じゃなくたっていい。私はイソトマを疑っているし、本人かその手の者であることはほぼ確定していると思っている。私にここまで手の込んだ嫌がらせをするのはイソトマぐらいだ。
「…あくまで俺の考えだけど。おそらく君が考えているように、イソトマの可能性が高いんじゃないかな。状況から考えても、魔力の雰囲気からしても」
…やっぱり。
やっぱりそうなんだ。こんなことが今更わかってもどうにもならない。私がいくら怒ってもイソトマはこの嫌がらせを辞めようとしないだろうし、今まで通りすっとぼけられるだけだろう。それでもこの怒りが見当違いなものではない可能性が高いというだけである程度は満足できる。
「他になにか聞きたいことはあるかな。俺が答えられる範囲のことだったら答えるよ」
そういってその人は真摯で真っすぐな瞳を向けてくる。
その人の真剣でキリリとした表情は「たぶんこの人だったら信頼できる」という安心感と、なにか…既視感のようなものを与えてくる。
__私、この人と前も会ったことがある…?
たしかに狼の時は会ったことがあるけどそういうことじゃなくて。「人」の姿で。
おそらくこの人もここの学生だろうし会ったことがあってもおかしくないけど、なんというか…「会ったことがある」レベルじゃなくて…。
でも、こんなに綺麗な人忘れるかな。いや、八条のことも忘れてたぐらいだし否定できない。
あんな印象的で浮世離れした存在を忘れてしまうぐらいには、来たばかりの頃はドタバタしてた。だから、特に来たばかりの頃だったら…どっかで会ったことがあってもおかしくない。
「あの…お名前をお伺いしてもいいですか…?」
この人に関してなにか覚えていないかと記憶を辿ろうとして、はたと気づく。
ここまで関わって来たのに名前を聞いていなかった、と。
「そういえば自己紹介がまだだったか。__俺の名はルイゾン。よろしく」