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「ごきげんよう」


 成績発表があってその結果に憂鬱な気持ちになっていたのに、追い打ちのように悪夢が襲ってきた。

 でも、それの襲来にちょっとだけホッとしている自分がいる。さっきまでは自分の不甲斐なさに、大学から追い出されてしまうかもしれないという不安に追い立てられていたけど、この悪夢は私を苦痛と憎悪の虜にさせてくれる。ある意味では、それ以外を考える余地がないから…楽だ。


「…あなた、なかなか酷い成績をとっているようではないですか」


 …なんて思っていたのに、こいつも私の不安に加担してくる。

 こいつはこいつらしく、私に暴力でも振るって満足してればいいのに。


「このままだと退学になりますよ」


 そんなの一番私がわかってる。

 わかってるけどどうにもならない。家では誰かに監視されてるし外に出れば嫌がらせと悪口、なにかにつけてコイツやらバケモノに呼び出される、言葉もいつわからなくなるかわからない…そんな状態で集中なんかできない。

 そもそも最近はなぜか頭に靄がかかったように常に思考がぼんやりしていて、なにをやってもうまくいかない。前からそれはそうだけど、今は本当になにもできない。勉強を教えてくれるルイゼには本当に…申し訳ない。


「勉強、教えてさしあげましょうか?」

「…なぜ?」


 あまりにも意味のわからない申し出だ。いつもはムカつくし暴力がより酷いものになるのが嫌だからなるべく声は出さないようにしているけど、思わず言葉を返してしまう。

 そして、それは私の問いかけに驚いて…まるで迷子のような顔をしてそのまましばらく黙り込んだ。


「…好きなように遊べる玩具がなくなるのはいささかつまらない。それだけです」


 しばらくして大方予想していた通りの返答があって、逆に少し安心する。

 他の可能性…例えば、コイツからの変な哀れみも同情も想像するだけであまりにも気持ちが悪い。吐き気がする。

 余計なことを考えずにコイツは黙って下手な暴力でも振るってればいい。コイツは運動神経が鈍いのか、人を攻撃しなれていないのか、暴力を振るわれても他の人のものに比べるとあんま痛くない。痛いものは痛いから…ちょっとマシ程度だけど。



 そんなことを考えていたら、イソトマは私のことを助手に任せて早々に研究室から追い出した。

 いつもよりも全然時間が短くてなんだか拍子抜けしたが、ただ解放するのではなく「助手に任せた」というのがなかなか害悪だ。

 なんてたって大抵の助手はみんな私のことがとてもとても嫌いで、普段は直接手を下さずともチャンスがあれば…イソトマよりは慣れた手つき__というよりはイソトマにはある一種の躊躇というものが一切ない状態で暴力を振るってくる。


 ほら、今もすでに胸ぐらを掴まれて…


「…ゥ…ウ”…」


 殴られるかどうかの瀬戸際、五感が研ぎ澄まされたその刹那、どこからか獣のうなり声のようななにかが聞こえた___気がした。

 

「ウ”ウ”ウ”ウ”~~~!!!!!!!」


 その声はあっという間にこちらに近づいてくる。

 それは助手にも聞こえているらしく、助手も振り上げた手を降ろして周囲を見回している。


「ウ”ウ”ウ!!!ワフッ!!!ガウッ!!!」


 あっという間に至近距離まで距離を詰めてきたそれは、勢いよく助手にとびかかった。


「いってぇ!!!!!」


 どうやら助手は腕に噛みつかれたらしい。助手はジタバタと暴れているがなかなかそれは腕から離れない。


「くそっ!!!離れろ!!!!」


 白っぽく巨大なそれはその言葉に従うように腕からは離れ、私と助手の間に立ちはだかった。

 腕からは離れたといっても、獣の力強く怒りの籠ったうなり声と鋭い視線は未だ助手に向けられている。

 助手は呪文を唱えようとしているのか何度か口を開いたが、口を開こうとするたびにその言葉は獣の一吠えによりかき消される。


「グルルル…ガウッ!!!」


 そして獣はまるであっちに行けと言わんばかりに、顔を動かし吠えた。


「…なんなんだよ…クソッ!!!!!」


 それを見て助手は同じような意図を汲んだのか、足をもつれさせ何度も転びながらも走り去っていく。

 取り残された私はその情けない背中と、力強い獣の背中を見ることしかできない。

 その獣はあまりにも巨大でいるだけで威圧感がある。しかし、なぜか不思議な安心感があって私のことは襲わないという確信がある。


 この獣は、もしかすると…


「…八条?」


 その呼びかけを明らかに理解した動きで、その獣はゆっくりとこちらに向き直る。

 淡く輝くアンバーの目に敵意はなく、先ほどとは打って変わって穏やかな光が宿っている。


『ごめん、オレはハチジョウではないんだ』

「え…」


 狼がしゃべった__というのは今更だろう。私もいい加減この世界に…慣れたくないけど慣れた。

 むしろ驚いたのは「八条」じゃないという事実だ。

 しかし、よくみるとその獣は狐ではなく狼だし、毛の色も目の色も__私はあくまで人間体の八条しか知らないけど__全体的に八条の毛よりもクリームがかっていて、目も黄色っぽい色ではあったけど八条のような「金」といった色合いよりは幾分か落ち着いた色に見える。


「じ、じゃあ…誰、ですか…?な、な、なぜ私を助けたんですか…?なにが…なにが目当てなんですか…?」


 勝手に、身体が震え始める。止めようと思っても止められない。そもそも身体が動かない。


 だって、八条なら「まだ」わかるのだ。今の八条が私を助けてくれるのかはわからないけど…ああいう接触を求めてくるというのは、私にとっては不快でもたぶんだけど心の底から嫌われてるわけでは…ないんだと思う。自分の身を犠牲にして私の「イヤだ」という気持ち目当てで嫌がらせしている可能性はあるけど…たぶん八条はそういうタイプではない。だから…「まだ」わかる。

 でも、他の人がどうして私を助けてくれるというのか。ここは…イソトマのラボのすぐ近くだから一般生徒が来ることはそう多くはないとはいえ、学外の人はもっと来ない。ということはこの人か…獣かは知らないけど、この目の前の大きな狼は大学関係者のはず。大学全体から嫌われ、避けられている私を…なぜ大学関係者が助ける?

 悪意よりも、突拍子のない善意の方が余程恐ろしい。意味がわからない。真意がわからない。見返りになにを求められるのか…


『…そんなに怯えないでくれ。オレは…たださっきのを見てられなくて…。その…実際に君がやられてるのをみるのは初めてだったから…』


 その声には多分に後ろめたさが籠っている。

 その言い方からして、私がみんなからいじめられているのは知っているのだろう。

 そしてたぶんだけど、見返りを求めようとする様子は…あまりない?正直まだあまり信じられないけど…。


 私が質問を重ねようとしたその時、狼の耳がピクリと動く。


『まずい』


 そして、忙しなくしっぽをばたつかせると私に背を向けた。


『その…オレは早く卒業しなきゃで…本当に目をつけられるわけにはいかないんだ。だから…ごめん…』


『でも、君の幸運を祈ってる…』


『じゃあ…』


 そう言い残すと、狼は風のようなスピードで走り抜けていき、あっという間にラボ近くに広がる草原の奥に姿を消した。


 あっという間にいなくなってしまったその姿の影を追うように、草原を呆然と眺めているとやがてバタバタと足音が聞こえてくる。

 肩を叩かれて振り返ると、ちょっと前に私をラボから追い出したはずのイソトマの慌てた顔。いつもだったらムカついたり消えろと思ったりなにかしらの感情が浮かぶはずなのに、今はなんだか…現実感がなくてなにも感じない。さっきの出来事も夢みたいだし、今もまだその夢が続いているような気がする。狼と話すなんてことがあまりにもメルヘンチックだったからかもしれないし、あるいは「誰かから見返りも見下しもなしに善意100%で助けてもらえる」というのが今の私にとってはあまりにも嘘臭すぎることだったからかもしれない。

 

 そんな私の様子にイソトマはなにかを疑ったり、慌てたり、怒ったりしていたけど、やっぱりその日はそのままずっと現実感がないままで終わった。

 狼のこともイソトマに脅されたりとかしながら何度も聴かれたけど…私は最後まで「そんなものは知らない、見ていない」で通した。狼は目を付けられたくないと言っていたし…やっぱり、善意を仇で返すような真似はしたくないって思えたから。

 私はまだそういう理性を手放したくないし、そこまで堕ちたとは思いたくない。


 私は__アイツらとは…違うから。



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