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「よぉ、久しぶり」
空きコマの時間を使って森に行こうと道を歩いていた時、ガラの悪そうな赤髪の男子生徒に声をかけられた。
森に行く道は人目が少ないかつ私がよく行くからマークされていたのか、向かう途中で嫌がらせ行為をしかけられることが多かったし、なによりも忙しくて、八条には申し訳ないけど最近はあんまり行っていなかった。だけど、あの子はたぶん…かわいそうな子だし、日本に文化が近いところから来たみたいでちょっと懐かしい気分になる。…ルイゼと違ってワカメも食べるみたいだし。
だから、久しぶりに会いたいな…寂しがってるかもな…って思って、精一杯周囲には警戒しながら歩いてきたはずなのにこれだ。自分が嫌になる。
「…すみません」
「久しぶり」とは言われたけど、こんな人まったく記憶がない。
無視しようかと思ったけど、無視したらあとが怖い。だから、適当に謝罪だけして、森と方向は違うけど森よりはまだ人気がありそうな方向にさりげなく方向転換する。こんなの悪手だってわかってるけど、たぶん私が思いつく対応方法なんて全部悪手だ。その中でマシそうなものを出力するしかない。
「待てよ」
充分距離はとっていたはずなのに、いつのまにか至近距離にいたその男は私の腕を掴む。すごい痛いというほどではないけど、おそらく配慮はなにもされていないだろう程度の力で。
「…」
「忘れちゃった?ほら、俺だよ。図書館で昔仲良くした」
そこまで言われてようやく思い出す。
コイツは図書館で私に嫌がらせをしかけようとして、シェバさんに吹っ飛ばされた4人組のうちの一人だ。しばらく大学で見てなかった気がしたけど、いつの間にか戻ってきてたんだ。…もしかして、他の3人も周りに?
「…ああ、あいつらはいないよ。まだ停学処分中だから」
周囲を見回す私に男はそんな言葉をかける。
「俺さ、あれから反省したんだよな」
「…」
まさか、謝罪にでも来たのだろうか?でも、それにしては、腕を掴む手が乱雑な気も…そういう人なだけ?
「そもそもあんな大人数でやるから目立つんだよな、って。別にお前なんて一人でも十分だしさ」
…ちょっとでも期待した私が恥ずかしい。
私に「謝罪」なんて誰がするんだろう。ここにいる人たちは私を虐げることになんの罪悪感も抱いていないことぐらい随分前からわかっていたじゃないか。私はこの人たちにとっては「宇宙人」で、特別に人間扱いで飼ってやってるぐらいの感覚なんだから。
「俺結構ムカついてるんだよ」
「お前なんかのために停学処分とかになってさ」
「最近はシェバもお前に飽きたんだって?なんの助けも来ないらしいじゃん」
「それに知ってる?最近では、お前に対してなにやっても、それがセンセーにバレてもみ消してくれるって」
男の目の中は暗く濁っていて、淀んだ沼のようだった。
「ありがたい話だよなぁ」
下腹部に強い衝撃があったと思ったら、気が付いたら地面に尻をついて男を見上げていて…一瞬なにが起きたのかわからなかった。
それからちょっと遅れて強い痛みがやってきてようやく気付く。自分が男にお腹を蹴り上げられたことに。
「お前、本当に…ムカつくんだよ」
腹を抑えてうずくまる私の背中に、男の冷ややかな声がかけられる。
声が近くなったからアイツが寄ってきたことはわかるけど、あまりの痛みに動くどころか声も出ない。
暴力には最近慣れてきてしまった節があるけど、なんやかんや育ちのいい人が多いこの学校でここまで戸惑いなくされるのは滅多にない。
「なんの努力もしねぇでのうのうとここに居座って…」
今度は肩を下から足でけり上げられて、身体が仰向けになる。
この世界は汚いばかりで美しいものなどないはずなのに、どうにも眩しくて目が眩む。もしかしたら、単に光に目がやられたのではなく、痛みで気を失いかけているのかもしれない。
「じっとしてたらちょっとは優しくしてやるよ」
ああ、もう痛いのはやだなぁ…優しくしてくれるってんだったら大人しくしてよ…。
「ちょっとでもマシ」を選び続けないとそのうち本当に死んじゃうから…。こんなクソみたいな世界でなんて死にたくないし、はやく元の世界に帰ってさ…ねぇ…
ねぇ……
ママ、パパ…
「なにをしている」
ぼやけた意識に響く、中性的な、冷たいけど優しい声。
なつかしい気さえする、声。
落ち着く声。
「あ…」
「…いや、答えなくて結構。とりあえずさっさとそこから退きなさい」
__あの人だ。
「で、でも…」
「はやく」
上にあった男の気配が、足音と同時に霧散する。
「…」
パチン
「…ッ!」
頬に走った鋭い痛みで、無理やり意識が浮上させられる。
「…汚い人間が」
少しだけまだ霞んだ視界にいた人は、驚くほどきれいな…人間離れした美を持つ長い金髪の人。こんな状況なのに思わず見惚れてしまった。
ただ、次の瞬間には腹を靴で小突かれてそんな余裕なくなったけど。
「…目を逸らすんじゃありません」
腹を抑えてエビのように背中を丸める私に、その綺麗な人はきれいの欠片もない理不尽を言いつつ、今度は腹を踏みつけた。
先ほどの男に蹴り飛ばされたところを丁度踏みつぶされて、何とも言えず不快な痛みが全身に広がる。
<だから、逸らすなと、言っているでしょうが>
痛みに目を回しているからそんなこと言われても無理だと思ったはずなのに、気が付けば私はなぜかその人の森の静寂をそのまま流し込んだような瞳をじっと見つめていた。
「…よろしい」
…助けてくれたと思ったのに。
これだったら、私をいじめる人間が変わっただけじゃないか。どうせいじめるんだったら、どうしてさっき助けたんだろう。
「…ごきげんよう。ご存知でしょうが、私イソトマと申します」
ご存知でしょうが…なんて言われても私はイソトマなんて存じ上げない。そういえばどこかで名前程度は聞いたことがあるような気がするけど、やっぱりどう考えても知らない人だ。
「もともと遠くからあなたを観察していたのですが…やはり、もう少し近くで観察したいと思いまして」
これからよろしくお願いします__と薄く笑い、私の腹の上にのった足に再び力を込めたその人は…やっぱりキレイだった。
その人は、それから度々私の前に現れるようになった。
私をいじめから助けて…いや、それは不正確だ。正確には、私が誰かにいじめられているのをしばらく遠くで観察してから、それを止めてそいつらを追い出し今度は自分がいじめる__という意味のわからないことをいつもする。
その人は、殊更私を踏むのが好きみたいで、毎度その綺麗な革靴で私のことをまるで地面のように踏みしめた。ピカピカの靴は、人間の私よりもよっぽど大切に扱われているのが見て取れていつも虚しくなる。
そして、その人はいじめられている時の私の目だか顔だかが好きなようで、必ず私に「自分の目を見ろ」と命令してくる。最近薄々気づいてきたが、あれはなんらかの魔法で私を縛っているのだろう。私は全くあんな顔みたくもないのに、嗜虐的に笑うあの酷薄な性格がにじみ出た顔を見つめることになる。
「いいこと教えてあげましょうか?」
ある日、その人はいつもの顔で嗤いながら耳元でそんなことを囁いた。
「実はね、あなたのいじめの主犯は私なんです」
「…は?」
その人は、私がうめき声以外を久しぶりにあげたのが面白かったのかなんなのか、楽し気に笑い声をあげるとゆったりと私を踏みつけながら語り出した。
曰く、この嫌がらせ自体が自分の扇動により始まったと。その扇動と、「イソトマがこの嫌がらせを黙認している」「この嫌がらせに協力しそれが教師にバレたとしてもイソトマがもみ消す」というお墨付き、助手たちを通したイソトマからの嫌がらせのサポートと管理。それらにより、この大学の中での悪意が膨らみ今の形になったと。…わけがわからないけど、この大学内の嫌がらせは基本的にイソトマが管理しているらしい。
じゃあ、もしかして。
最近私の精神を追い込んでいるあの監視も、街で聞こえる悪口も、アレがバケモノになってしまったのも…全部こいつのせいなのだろうか。
こいつが全部…
「お、おね、がいだから…部屋の中まで監視するのと、が、学外まで私の悪評を広めるのは…や、や、やめてください…。あと、あと、エルちゃんを戻して…」
憎しみと強い拒絶をぶつけようと思ったのに、出てきたのは情けない懇願ばかりだった。
「監視?学外?エル…?」
「や、やってますよね…?」
「…さぁ?」
この「さぁ?」はどういう意味なのか。読めない。
知っているけど面倒くさいので適当に誤魔化そうとしている?それとも、コイツにも全体の嫌がらせの把握もコントロールも出来なくなってるとでも言うのだろうか。そんな…化け物を育ててそのまま野に解き放つような真似はやめてほしい。ちゃんとコントロールするか、責任をとって殺して欲しい。
「そんなことより…<今は私を見てください>」
視線が縛られ、それのことしか見えなくなる。
…まただ、また魔法を使われている。
私は…このままこの視界のように、ここでの生活をコイツに縛られ続けるのだろうか。コイツは学生だけど研究者でもあるらしい。だから、ここにいる限りコイツからは離れられない。コイツの嫌がらせからも離れられない。
嫌がらせの主犯だと教えてくれたのは、おそらくそれを聞いた私の顔が更なる憎悪を孕む瞬間かなにかが見たかったからだろうけど…それより前から私はコイツが一番嫌いだから意味がない。「一番嫌い」が「どこの誰よりも圧倒的に嫌い」に変化しただけ。今までどんな嫌がらせをしてきたヤツよりも、コイツが嫌いだ。
なぜなら、コイツが「持つ者」だからだ。
地位、名誉、金、それに相応しい能力…全てを持っている。ほぼ全てをもっている癖に、なぜか私から搾取しようとする。「ほぼ」なのがいけないのだろう。なまじっかほぼ全てもっているからこそ、欠けが気になる。その欠けへの誤魔化しを、私への嫌がらせというエンタメで誤魔化そうとしている。そんなの、私へのとんでもない飛び火としか言いようがない。
それに、これはおまけ程度の要素だけど、コイツを見ていると…なぜか泣きたいような気分になるから…だから会った時からずっときらいだった。
たぶん、生理的に合わないのだと思う。
だから、コイツも私というエンタメに目をつけたし、私もコイツが嫌いで嫌いで仕方ない。
むしろコイツが大体の事柄の元凶だと知って少しスッキリした節がある。私の「大嫌い」の直観は間違ってなかったって。
いつか、もうどうにもならなくなったら…コイツを刺して私も死のう。例えもとの世界に帰れなくても、それさえできれば多少は心の淀みが解消される気がする。
__そうだ!
元の世界に帰れることが確定した時も帰るギリギリ前にコイツを刺してやろう。
どのみちコイツは死ぬ運命。そう考えれば少しは気分はマシになる。
「うっ…」
集中していないのがバレたのか、腹を強く蹴りつけられる。
ムカつくけど、もういい。いつか絶対に殺してやるから。
遅くなってしまい申し訳ありません。