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私はあれからどうシェバさんに接していいのかよくわからなくなってしまった。
代わりとしてルイさんが現れてからも…シェバさんは相変わらず優しい。でも、間違いなく距離を置かれている感じがする。
…こうやって人から距離を置かれてしまった時って、その人にどう接すればいいのだろう。気づかないふりでいつも通り?私は私でちょっと距離を置く?…よくわからない。
元の世界でのあの子とも距離はあいたけど…致命的なまでに距離を感じた時には、もう世界を飛び越えてしまっていた。
そんな風に悩んでいたら、気が付いたらテスト前一週間&一週間の休み(なにかの祝日?みたいなのらしい)が始まってしまっていて、ちょっと気まずい雰囲気でシェバさんと同じ家で朝から晩まで過ごす日々が始まった。私たちの部屋は意図的に会おうとしない限り、会う事はほぼありえない。でも、これまで家にいる時は大抵一緒にいたのに、急に会わなくなるのは…ちょっと変な気がする。だけどどうなんだろう。わざわざ会いに来られるのもうざいって思われちゃうのかな。
私は…私は、シェバさんのこと好きだから、シェバさんにも好かれたい。そのためには私から動くしかないと思うんだけど、この現状で私がなにかしても状態が悪化する未来しか想像できない。だからせめて現状を維持したいけど…したい、けど…。
そんな風に考えて考えて結局「なにもしない」を選択するいつもの逃げ癖を発動した私は、エルちゃんとのサークルに逃げた。「テストでちゃんと成績とらないと大学に置いとけない」とかなんとかルエさんにも言われてて、勉強もしなきゃだったしちょうどよかった。
ちょうとよかったし、こっちは何も提供できないってのに一生懸命勉強を教えてくれる優しいエルちゃんのことは大好きだ。大好きだけど、四六時中一緒に勉強が可能かって言われるとそれはちょっと別。勉強の息抜きもしたいし、一人にもなりたい。
まぁ、そんな感じで、勉強の休憩時間に大学内を一人でうろつくようになった。お気に入りは大学内の森。
大学内に森ってなに?って感じだけど、一応大学の一部らしい。そういえば北大が大量の森林を保有してるから、実は東京23区より広いみたいな話を聞いたことがあるしそんな感じかもしれない。
北大はどうでもいいんだけど、もともとアウトドア派では全くない癖に森が好きになったのは自分でもすごく不思議。シェバさんにもむかし、「完全に安全とは言えないのであまりいかないように」とは言われたからあんまり行かない方がいいことは確かなんだろうけど、なんだかすごく懐かしい気がするのだ。建物とかとは違って植物は__たぶん詳しい人が見れば違うんだろうけど、私にとってはある程度日本で見ていたものと同じように見えるかもしれない。もしくは、私の前世がこの森の妖精。…そんなわけないけどね。
落ち着くなぁ、なんて思いながら日のよくあたる場所で木の幹によりかかっていると、ついついうとうとしてしまって…
「…あ!?…え!?」
「やば、また森で寝ちゃったよ!」なんて思いながら身体を起したら、真っ白な知らない人が隣で寝ていた。
目が覚めたら異世界にいた時よりは衝撃は薄いけど、なかなかの衝撃。
「…誰!?こども!?」
本当に知らない子。髪から肌まで真っ白で、頬っぺたも着物っぽい服から出ている手足ももちもちの幼稚園生ぐらいの子。地面に広がる長い髪が身体のサイズと比較するとアンバランスだけど、そのアンバランスさも「それがこの子にとっては普通」と感じさせてしまう独特な雰囲気がある。女の子…に見えなくもないけど、男の子…?
たぶん私の子ではない…と、信じたい。この世界はなんでもありだから、ありえないことはないけど…
「え、きつねの耳…!?え…!?」
前言撤回。
さすがに私の子供にきつねの耳は生えてないと思うから、私の子供じゃない。
そもそもこんな可愛い子が私の子供なわけがないからそりゃそうだけど。
色んな人がいると思ってたけど、やっぱ獣人みたいな人もいるんだ…。
「しーっ!」
私が一人で騒いでいると、むにゃむにゃと目をこすり薄っすらと目を開けたその子が、唇の前に指をあてる。
「えっ…?え、でも…」
可愛い動作だし体に巻きつかれて「わ~カワイイ」とは思ったけど、ここで黙って私はどうすればいいんだろう。
思ったより寝ちゃってたみたいで日も傾きかかってるみたいだし、絶対にエルちゃんはいつまでも戻ってこない私を心配してるだろう。シェバさんは…わからないけど、すごく真面目で優しい人だから、私のことであってももしかしたらちょっとは心配してくれてるかもしれない。だから私はとっとと図書館に行ってエルちゃんに謝罪して、シェバさんの館に帰らなきゃなんだけど…。
でも、だからってこの年齢の子供をここに放置していくのは…まずいよね?
「や、やっぱだめだよ!きみ、どこの子?こ、こんな時間まで森にいたら危ないよ…」
「ねむい…」
「わかるけど…。とりあえずは森から出よう?」
「ねる…」
「…わかった。抱っこして外まで連れて行くから。それでいいよね?」
しびれを切らした私の提案に、思いの他素直にその子は首を縦にふった。
しかし、素直だったのはその瞬間だけ。
いや、素直は素直だったのかもだけど、絶望的な気儘さと自由さに振り回されて、腹の上でジャンプされたり、噛みつかれたり、<うめぼし>というすごく不名誉なあだ名をつけられたり、最終的には、森を出る前にその子に逃げられて大慌てで探しまわる羽目になったり…まさに「散々」だった。エルちゃんもその間に、いつまでも帰ってこない私のことを心配して探してくれていたらしく…。
名前も知らないその子に振り回されたその日は散々だけど、思いの他楽しかった…ようなそうじゃなかったような…。
なんて思っていたら、数日後にまたその子と遭遇した。同じ場所で。
「やほ~」なんていいながら隣に座って来た子は、なんの戸惑いもなく私に寄りかかる。
すごく人懐っこいけど…誘拐とかされないか心配だ。それにそもそも、こんな森に入って来るのは絶対に危ない。
「…あんまり、一人で森に来ない方がいいよ。危ないから」
「あぶなくないよ」
「危ないよ…お父さんとお母さんもきっと心配する」
「二人とも、わたしが森にいることなんて知らないからだいじょうぶだよ」
「…そういう話じゃないの」
たぶん…むしろ親はなににせよ「知らない」方が心配する。
「…キミのおうちはどこ?大学の近く?」
この子はこんなに小さいのだ。
「知らない間にどっかに行ってしまった」ことをどれだけ心配するだろう。
この子は、大学の周りに住んでいる子だろうけど…今もきっと心配してる。
「おうちは東の果てにあるよ」
「東の果て?島の中の東の方ってこと?」
「ううん、海の向こうの東の果て。太陽が昇るところ」
「…ん?」
これは、どういうことだろう?
「…この島に住んでるわけじゃないってこと?」
まさか旅行でこの島に来てるってこと?旅行で来てるのに、脱走してここにいる?先日も、今日も?
…それはさすがにまずすぎるのでは?
「この島には住んでるけど、おうちはここにはないよ」
「え?」
「いっぱいの知らない人とくらしてる」
…は?
「いっぱいの知らない人!?」
これってどういうこと?
なにか旅団みたいなのにご両親が所属していて~とか、そういうこと?そう考えると、この子の身軽さも納得できる気もする。
いや…待て。もしかしてだけど…
「その…もしかして、お父さんとかお母さんとは一緒に暮らしてない?」
「うん」
「えっと…お母さんとお父さんはどこに…?」
「お母さまはお空の上、お父さまはお父さまのおうちにいるよ」
やっぱり。
お父さんはどうやらまだご健在のようだけど、一緒に暮らしているわけでは確実になさそう。
たぶんこの子は孤児院で暮らしているか…もしくは…。
…いけない。あまりにも配慮に欠けた質問をしてしまったかもしれない。
「…あ…えっと…その…ごめん…」
「…?なんでうめぼしが謝るの?」
「…つらいこと、思い出させちゃったかもなって」
「ふーん」
こんな年齢の子に辛い事実を思い出させてしまったのだ。なんてダメな大人なんだろう。
いつまでたってもまともに配慮とか気遣いとか、察するってことができるようにならないところ…私のこういうところが本当に嫌いだ。
「うめぼしのお母さまとお父さまはどこいにるの?」
「…」
他者の感情に想いを馳せていたら、突然「自分」の話題でわき腹を刺さされた。
私はたぶんこれまで意図的にパパとママのことを思い出していなかった。考えてこなかった。思い出すと痛いから。考えると申し訳なさで死にたくなるから。
死なないことが唯一できることだと思って生きて来たのに…これはどんなザマだろう。二人は私の遺体すら見つからない状態で、私のいない世界で私をずっと探しているのだろうか。
「あのね…」
「うん」
それに…なにより…
「私のママとパパもおうちにいるよ…」
私がつらい。つらすぎる。大好きなのだ。パパのこともママのことも。
申し訳ない。申し訳ないけど、それ以上に私がつらい。
これ以上迷惑をかける余地がなくなったことはちょっとだけ嬉しい。でも、もう一回ママに抱きしめられたい。パパとおいしいお菓子をシェアしたい。「いただきます」ってみんなでごはんを一緒に食べる日常に戻りたい。
「でもね、私がおうちに帰れない…帰れないの…」
今から戻してくれたらちゃんとなにもかも今まで以上に頑張る。就活だって死ぬ気で頑張る。泣き言なんてもう言わない。元の世界に戻れるだけで、今よりずっとずっと幸福だから…そうしてくれたら神様にだって感謝する。どこか別の場所に行きたいなんて二度と願わないから…だから、だから、どうか元の世界に戻して欲しい。
今だったらわかる。私は贅沢者だったんだって。だから、どうか戻して欲しい。私にただ「ふつう」を返して欲しい。
「なんで?どうして?誰かが引き留めるの?」
「誰も私のことなんか引き留めてくれないよ。私のことなんか誰も必要としてないから。でもね、ただ…本当に帰れないんだ…」
シェバさんからも見捨てられた私に「ここにいて欲しい」なんて願ってくれる人なんていない。もしかしたら、エルちゃんがそう言ってくれるかもしれないけど、エルちゃんが欲しいのはサークルメンバーであって「私」じゃない。
__誰もこの世界で加賀見かよ子を必要となんかしてない…
その事実を改めて受け止めようとすると、頭と胸がツキツキしてどうしてかいてもたってもいられない。
止めようと思ってもその頭と胸から溢れる濁流を止められなくて、私の空っぽの中身に浮かんだ言葉をひたすらその子に投げつける。この世界では<異世界>とされる私の故郷<地球>のこと。私の苦しさのこと。
こんなの、こんなちっちゃい子に話すことじゃない。
そんなの十二分にわかってるし、私が誰よりもわかっている。でも、もうどうにも耐えられなかった。
「…ごめん。本当にごめん。…君みたいに小さな子にこんな話しても…よくわからないだろうし気を使わせるだけだよね。ごめん。嫌な話を聞かせて…」
濁流を吐き出して、今更気づいて謝罪を述べたってもう遅い。
「それにたぶん…キミの方が辛い思いしてる。こんなにちっちゃいのに…」
こういうところだ。こういう「気づけない」のが私の悪いところ。相手の立場を思いやれないのも私の悪いところ。
本当に…嫌で嫌でしょうがない。どうしようもない。
…私のことなんかどうでもいいから、この子に向き合わないと。
孤児院にいるならまだいいけど、そうじゃなくてなにか非合法な組織のよくないことにまきこまれているようだったらよくない。それを知ったところでなにができるかはわからないけど、なにかをしたい。
「ねぇ、キミは…その…孤児院とか…そういうところで暮らしてるってことなのかな?それとも…
「あのさ!だったら、ぜ~んぶ忘れさせてあげようか?」
「え?」
…突然どうしたのだろう。ちょっと意味がよくわからない。
「元の世界の思い出を。自分が異世界から来たこととか、おうちのこととか、お母さまとかお父さまのこととか、元の世界の常識とか…そういうのを覚えてるから色々つらくなるんじゃない?だったら最初からなかったことにすればいいよ」
思い出。過去__をなかったことに。
「…どうやって?」
正直私はなにを言われているのか飲み込みきれていなかった。
だけど、とっさにそう聞き返していた。それは反射とかっていうよりは、「あ、いいかも」っていう直感によって。
「こうやって」
その子は私の手を取った。
もしかしたらなにかしらもっと警戒すべきだったのかもだけど、あんまり危ない感じもしない。なので、されるがままにしていると、徐々に手がマッサージされるような不思議な感覚に包まれる。
温かくて気持ちいいけど…と思っていたら、こっちにきてからあかぎれが悪化して余計に酷くなっていた私のボロボロガサガサの手の傷が塞がっていく。それをあんぐりと見つめていると、最後に小さな輝きとともに爪が綺麗な濃い赤に染まる。
「わっ…!すごい…!ありがとう…!」
「ううん、大したことじゃないよ」
これまで何度か魔法はみてきたけど、「私自身」に魔法がかけられたことはあんまりなかったから不思議な気分だ。「治療魔法」はシェバさんとか医務室の先生に時々かけてもらうけど、こんないきなり傷が治ったりはしない。
でも、なにより嬉しいのはこのネイルだ。久しぶりにおしゃれらしいおしゃれにテンションが上がる。女子力はないけど、こういうのはなんやかんや好きなのだ。
あがった気持ちのまま何度もお礼を言うと、その子は照れくさそうにそっぽを向いて頬を赤くする。こういう感じの子でも照れることあるんだ。かわいいな。
「こうやってわたしの力をつかえば、うめぼしの思い出も消せる。そうしたらもうつらくならないんじゃない?」
その子はそっぽを向いたまま、なんてこともないようにそんなことを言う。
この子はたぶん善意でこれを言ってくれている。それに…たぶん、「忘れる」はある意味で正解の一つだとは…思う。
「…そうなのかな。…そうなのかも」
だけど、そんなこといきなり決断できるわけはない。
そしてたぶんだけど、私は「忘れる」を怖くて選択できない。愛されていた過去すらなくして、私はたぶん生きていけない。
__でも、思う。
この子の力を借りる借りないに関係なく…この子のことを知りたいって。
「ありがとう。…でも、今日だけじゃ決められない。だから、その代わり今日は…もしよければ、お互いについてもうちょっと知り合おうよ。実は私たち、お互いの名前もまだ知らないから」