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最近のカヨコは街の小さな文具店でアルバイトを始めた。
カヨコによると、理事長からもルエを通して支援はあるらしいが、他の生徒からの反発も想定して以前より額を減らされたため、普通の生活をするにはそのお金だけだと厳しいらしい。
でも彼女にアルバイトなんてまともにできるわけがない。絶対にすぐにあんなのクビだ。
そんな風にそろそろクビになって泣きついてくる頃だろうなという時期。僕はたまたま彼女のアルバイト先の文具店があるあたりに行った。
そうしたら、彼女は仕事仲間らしき若い女たちと文具店の裏口から出てきて、なんと楽しそうに談笑しながら近くのカフェ・クレームのおいしいお店に入っていったのだ。
僕はそんな姿を横目で見ながら、あれってあんなに多弁でよく笑う女だったっけ…なんて思いつつ、手元の若干ぬるくなった液体の片割れを手近にあった花壇にやってすぐに寮に帰った。
あの女もようやく少しはまともな人間関係を築けるようになったらしい。それはまぁ、良いこと…
__いや、いいことか?
あの女は不幸だから面白いのだ。あの女が無様に足掻いているところを見ていると胸がすっとするし、なにもできないあの無能が恥を晒しながらものうのうと日々をすごしていると僕も安心できる。あの女の使い道など、こうやってピエロとして僕の心を少しだけ楽しませるぐらいしかない。
なのに、なのに、なにをちょっと這い上がろうとしているのか?不幸でなければなんの価値もないくせに。金がないからなんだ。そんなに金が欲しけりゃ僕に頭を下げるなりなんなりすればいい。金なら母からいくらでも流れてくる。いや、正確には母に惚れた、金だけは無駄にあるクソみたいな男どもから。
ということで、アルバイトは辞めさせた。
店主に少しご挨拶にいったら、ぺこぺこと頭を下げて引き攣った笑顔で彼女をクビにすることを約束してくれた。彼女と違って、まともで世の中のことをよく理解している話のわかる人間は助かる。
「悪役」にも、「悪役」の子供にも逆らったとしていいことなどなに一つないのだ。今回に関しては特に、店主は僕の"提案"を受け入れたことで謝礼を受け取れて、さらには無能をクビにできたわけだから得しかなかっただろう。カヨコだって素直になって僕に懇願すればどうとだってしてやるのに。馬鹿はこれだから損しかしない。
アルバイトをクビになってカヨコはしばらくは動揺していたがやがて落ち着いた。この短期間でそれなりに肉のあった体がずいぶん痩せて、さらに幸の薄そうな顔になったがそれぐらいが彼女にはお似合いだ。減量成功ということでむしろ感謝してほしいかもしれない。
あと、あの仕事仲間の女たちとはもう連絡すらとっていないようだ。彼女はやっぱりその程度の仲の人間しか作れない人間だし、友達ができたと浮かれたところでそんなの全て虚像だと証明された。
こうやって彼女はまた元の惨めで哀れで友達のいない愚図に戻りましたとさ。めでたしめでたし。
__とはいかなかった。
新しい友達ができた?…違う。すこしは利口になった?…違う。すこしは常識を身に着けた?…違う。
そう、悪化したのだ。
ちょうどアルバイトの騒動があってからしばらくして、不特定多数からの嫌がらせが始まった。前々から嫌がらせはあったが、明らかに数や質が違う。そこまで興味はないが、個々の悪意が大きな塊になった結果にしては、あまりにも統率がとれているし計画性が見られる。おおよそ、校内の誰かが扇動しているのだろう。
まぁ、当然といえば当然の展開であった。だって、この名門校に異世界人を名乗る汚らしく愚鈍な女が突然転がり込んできたのだ。しかも自分たちは、魔術・勉学共に血反吐を吐くような努力をしてこの学校に入学したのに、その愚図はなんの試験も受けていなければ、そもそも魔力すらまともにないと言う。それでもまだ、彼女の成績がある程度よければよかった。でも、そうではなかった。彼女は小テストだろうがなんだろうが毎回毎回飽きもせず、すべての授業でぶっちぎりの最下位の成績をおさめ続けている。こんなの普通の生徒であれば即刻退学だ。にも関わらず、いつまでものうのうとこの学校に居座る彼女は、贔屓を鼻にかけて努力していないようにしか見えない。そんなの余計腹も立つに決まっている。
異世界人だから仕方ない?そう思ってくれる優しい生徒もいるだろう。でも、そうじゃない生徒がそれなりにいた。それだけのことだ。
僕はそのくだらない行為に加担するつもりはなかった。しかし、止めてやる義理もないので特になにもしない。惨めな女が余計落ちていくのは面白かったし。
ただ、その行為は僕の目につかないように行われようとしているらしく、目の前で実際にそういった現場を見たことはほぼない。しかし、尋常ではない量の汗をかきながら、その肉体につけられた傷や涙のあとを隠そうとするあの女の姿は見ていて飽きなかった。
あの女はあの女で別に僕に助けを求めるでもなく、ただ黙って肉体と精神にもたらされる苦痛を震えながら甘受していた。そんな彼女を僕は「さっさとなにか言えばどうにかしてやる気も起きたかもしれないのに」なんて思いながら楽しく観察していたが、あの女にそんなつもりはさっぱりないようだった。
ただ、ちょうどその頃ぐらいからだろうか。カヨコは僕を部屋に呼ぶようになった。
別にそういった意味では全くない。「誰かに見られている気配がある。確認してほしい」と彼女に電話で呼び出されるから見に行くのだ。
しかし、実際部屋にいって確認したところでいつも部屋には何もないし誰もいない。
だから結局毎回僕は一通り「なにもない」ことを確認した後、彼女の入れたまずい茶をお茶請けもなしに二人で飲みつつ適当な会話だけして帰る羽目になる。
その電話が最初に来た時は驚いて部屋に向かった。
だが、多い時には週に三回以上かかって来るその電話に徐々に僕も辟易としていった。一体なぜ彼女がこんなことをするのかわけがわからなかったし、常に次回こそは断ってやろうと思っていた。
でも、ある事実に気づき合点がいってからはそんな気持ちは霧消した。
__あの女、僕に惚れている
身の丈知らずにも、図々しくも、恥知らずにも!
だからこんな生産性のない行為を繰り返しているのだ。なにかが部屋にあると嘘をつき、僕を部屋に呼び寄せては寂しい恋心を満たしている。
それは、僕が部屋に来た時の心底嬉しそうな顔と、部屋から出る際の離れ難そうな顔からしても明らかだ。そういえば部屋の確認を終えた後に、他人に茶を出すほどの金銭的余裕も技術もない癖に毎回お茶を飲もうと誘ってくる。もしかしたら、それこそが彼女の本当の目的だったのかもしれない。
思い返してみると、最近は校内でもいつも以上に僕に付きまとってくるし、離れたがらない。この前など僕の部屋にすらついてこようとしていた。
それに彼女、なにもかも三日坊主の癖して、僕がやったあのチューベローズのハンドクリームは毎日きっかりつけている。
それって、たぶんそういうことだ。
生憎僕はそういった感情を経験したことはない。だが、母に付きまとう男どものおかげで、そういった感情を持つ人間がどういった行動をするのかはよく知っている。
そうだ、彼らは母に対してよくそういったことをしている。彼女が僕にしているようなことを。嘘をついて気を惹こうとしたり、やたら茶に誘ったり、付きまとったり。
なんて気持ち悪い__でも、最高に笑える
よく考えてみなくとも、これは当然の帰着かもしれない。
だって彼女、まともな友人どころか味方もいない。近頃はいじめも始まり、周囲は味方どころか敵だらけ。そんな中で、唯一といってもいいほど彼女に"優しい"年頃の男、さらにそれがそれなりに美しい男とくれば、僕が彼女にとって「そういう存在」になっても仕方のない話だろう。