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いじめの描写、少々残酷な描写があります。
苦手な方はお気をつけくださいませ。
イソトマ編スタートです。
正直に申し上げます。
初めて見た時からあの女のことが嫌いでした。
あの女は目に入った瞬間から私の目を釘付けにしたのです。
あんな美しくも賢くもない女から、私は目を離せなかった。
そんなことが許されるでしょうか。いいえ、許されるわけがない。
__だから、徹底的にやりました。
私はあの女__カ…いいえ、名前を呼ぶことすら忌々しいあの女を潰すためならなんでもしました。
そのための駒はいくらでもいました。「異世界人だから」という頭のおかしな理由で、出来が悪い癖にこの大学に通うあの女を疎む人間はもとより多かったですから。
それこそ、研究室の助手たちを利用しつつ少し煽ってやれば、あっという間に生徒たちは赤を前にした牛のように彼女を攻撃し始めました。生徒たちの愚かさは嘆かわしいですが、それでも利用しやすいのはありがたいことでした。
最初は生徒たちに攻撃された女が勝手につぶれて、どこかに消えればいいと思っていました。
でも、それじゃ満足できなかった。どうにも彼女を見ていると、いらだたしく、憎らしかった。
だから、いつからか直接手を下すようになりました。
__かわいそうに。
そう言って革靴の底で優しく腹を踏みにじってあげると、こちらに向けられた瞳に薄く涙の膜がはります。彼女のことは支配魔法で動けなくしているので、彼女はなにもできないし、私から目を背けるどころか目を閉じることすらできないのでした。
私はその屈辱と絶望に光る目が一等好きでした。彼女のことは汚らわしく憎らしくて仕方ないのに、不思議なものです。ただとにかく、それを見ている時が一番生を実感できました。
いつだったか。
私は多くの彼女への嫌がらせの元凶が私であることを彼女にこっそりと教えてあげました。
理由はよくわかりません。なにも知らない彼女が哀れになったのかもしれません。
まぁ、大方それが原因でしょう。
「も、もう、もう、どうしようもなかったんです…はち、八条もおかしくなって、死んじゃって、ルイゼも……」
部屋は乱れきり、整のかけらもない様でした。
ベッドの上で微動だにしない白髪。
そのすぐ下には焦げくさい臭いを発する見覚えのある紫髪。
目の前には瞳孔の開ききった目で震えながらこちらを見下ろし、睨みつける女。
初めて見た瞳でしたが、思いの他悪くない。そんな目もできたんですね、と笑おうとして自分が笑えない状況にいることを思い出す。
「ぜ、ぜんぶ、ぜんぶあなたのせいで…あなたが悪いんです…だから、だから…」
女の手には真っ赤に染まったナイフが握られている。
先ほどまで私の首に刺さっていたそれは意外と刃渡りが長いようで、私を行動不能にするには十分なものでした。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…!!」
それにしても、初めてこの女から連絡がきたと思ったら。
それでまさか、部屋に呼び出されて首を刺されるとは。
そこまではともかく、刺された場所が刺された場所です。
これでは呪文を唱えるどころか、角笛さえもまともに吹けない。いくらエルフと言えど、このまま長時間放置され続ければ出血多量で死ぬでしょう。
「あ、あ、あ、私、私、やだ…なんで…助けて、助けて!ルイゾン!ルイゾン!どうして、どうして、まだ来てくれないの!?」
女は髪が血で汚れるのも気にせず、その血塗れの手で髪をぐちゃぐちゃとかき混ぜながら、「ルイゾン、ルイゾン」とその名を繰り返し呼ぶ。
__ルイゾン
この私をこんな状況に追いやっておきながら、目どころか意識さえこちらに向けずに、こうやって他人の名前を呼ばれるのはいささか気分が悪い。
だが…果たしてそんな名前の人間がこの女の身の周りにいただろうか。
助手たちにこの女の身辺は徹底的に調査させていましたが、その名前が上がってきたことはありません。音として近いのは「ルイ・クーポー」でしょうが、あの男は自分のことを「ルイゼ」とあの女に呼ばせていたはず。
だとして、一体誰なのか。
可能性としてありえるのは、①調査漏れ②助手の誰かによる調査内容の隠蔽。
ただ、どちらにせよ可能性は低い。ミスも裏切りもないように、私手ずから魔法を使い調査の手伝い・監視をしていたのです。そんな中で、①も②も起こるわけがない。
「…あ」
のたうち回りながら狂ったように「ルイゾン」「ルイゾン」と叫び続けていた女は、私を目に入れた瞬間に不気味なぐらい突然全身の動きを停止させました。
「…そうだった。自分で決めたことなのに、私…また忘れて………」
そして、ナイフを両手で持ち直すと、虚ろにどこかを見つめて、まばたきもしないままそれを自身の首に突き刺しました。
その動作に一切の戸惑いはなく、早朝にパンを口に運ぶかのように、ごく自然にナイフが首に運ばれました。しかし、当然ながらパンとナイフは違います。パンが喉を通ることは生きるために必要なことですが、ナイフが喉を通ることは即ち死につながる。
「あ゛あ゛…」
濁った声とともに、どさりとあの女が目の前に崩れ落ちました。
女の首から血が溢れてきて、あっという間に床を赤く染めていきます。
__拍子抜けしてしまうほどにあっさりとした幕切れです。
あまりにも突然だったからか、憎い女の命が風前の灯火に__という慶事に私はなんの感情も抱けずにいました。「消えてほしい」、その願いはこれで達成されるはず。でも…
「あ゛…」
その時、女と__目が合いました。
「い゛…い゛…」
ナイフを刺す前の虚ろな瞳からうってかわって、分厚い水の膜に包まれたその瞳は確かに理性を宿していました。
そして、なにかを訴えかけるように口を動かすのです。しかしながら、ナイフが首に刺さった状態でまともに言葉など発せるわけもなく、
「(い)」
音にならない声が、
「(す)」
彼女の口から、
「(と)」
あふれて、
「(ま)」
酷く、頭が痛い。
刺された首なんかよりも、ずっと、頭と…
「(い、す、と、ま)」
__記憶にない過去の情景と、今が重なる。
「あ…」
思い出した。
思い出して、しまった。
私は、私が彼女のことを初めて見た時よりずっと前から__彼女のことを知っていた。
お久しぶりです。長らくお待たせして申し訳ありません。