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__朋友はわが喜びを倍にし、悲しみを半ばにす
『友情について』より
「…えっと、あの…すみません。勉強サークルってどこでやってるかご存知ですか…?その、ポスターには<ここの下>でやってるって書いてあるのですが…」
僕と同じ黒髪__と言い切るには若干の茶色さがある髪色の少女は、同じ色をした瞳を挙動不審に動かしながらそんなことを言いました。
「大丈夫ですか?わからないところはありませんか?」
突然やってきた同好の士(仮)に、図書館(地上)で出会った僕は歓喜のあまり「待ってました!!」とだけ叫ぶように言って地下への階段を開き、彼女が部屋に入ると同時に早口でサークルの説明を始める…という愚行を犯しました。
彼女が帰ってからその行動を振り返り「失敗した…」と絶望したのですが、なぜか彼女は入会を決めて、現在も通い続けてくれています。
彼女は想像していたよりもずっと熱心にサークルに顔を出してくれました。同じ1年なので基本は日中も授業がない時間は被る…のですが、僕がかなり余分に授業をとっていることもあり、中には僕だけが授業といった時間帯もそれなりにあります。ですが、彼女は僕がいないタイミングでもサークルに顔を出してくれているようでした。
今でこそあのはじめの狂乱のような歓喜はありませんが、それでも彼女がこのサークルに顔を出してくれる度にじんわりと心が温かくなります。
「…ごめん。たぶんすごく基本的なことなんだけど…」
そういって彼女__かよこさんは魔法史Ⅰの教科書の欄外の枠を指さす。
そこには、病弱な姫に恋をした魔法使いが魔法による治療を施し続けた結果、逆に姫を雪病に罹患させ1000年の眠りに追い込んでしまった__といった事例が書かれています。
「教科書によく出てくるこの…雪病って?」
その質問に僕は一瞬あっけにとられてしまいました。
この世界__いえ、魔法を使う僕たちにとってはあまりにもこの病は常識すぎて、「知らない」ということが信じられなかったのです。
もちろん、そんなことはおくびにも出さずに雪病についてできるだけ詳しく解説しましたし、彼女からも「わかった」と頷いてもらえました。
__でも、たしかに知らない方が当然かもしれません。なにせ、彼女は非魔法使いでありさらには異世界人なのですから。
…その彼女の「異世界人」という自称を、虚偽であるとしきりに言う方もいらっしゃいます。ですが、その肉と血の匂いからして彼女はまちがいなく「異質」なのです。その「異質」な匂いが必ずしも「異世界人」であることに繋がるとは限りませんが、少なくとも僕はそれを信じています。彼女が嘘をつくような人間ではないことは、この期間で十分にわかりましたから。
そして、この世界に対する彼女の「知らない」「わからない」__無知さに対し、僕は親近感を覚えています。
僕は知識らしい知識のないまま陸にあがってきました。今でこそ随分と擬態できるようになりましたが、以前は自分がなんとなしに行った行為が「非常識」であると知る・指摘される機会が多くあり、その度に身の縮む思いをしたものです。そして、僕は「常識を知らない」のだと知る度に、自分がその場に存在していいのか…わからなくなりました。
彼女はおそらくそれの数倍…いえ、数千倍の心細い思いやいたたまれなさを経験しているはずです。
この辛さと孤独感は経験した者以外にはなかなかわかるものではありません。ゆえに、僕は彼女に親近感を覚えていますし、せめて僕だけは常に彼女の味方でありたいと思っています。
だからこそ、僕は彼女のどんな簡単な質問に対しても馬鹿にするような態度はもちろん、驚いたような態度などもとらないように意識して気を付けました。こちら側に悪意がなくとも、そういった態度が相手に不安を感じさせ、次の質問をさせ辛くさせることがままあることを僕はよく知っています。
あとは、彼女からは時より思いもよらぬ方向から質問が飛んでくることもあり、それはそれで面白くもあるのでした。それは、彼女がこの世界の知識や常識…そして魔法に馴染みが全くないからこそ出てくる質問なのでしょう。時々、僕でも答えに窮する質問があって、その答えを一緒に探したり考えたりする時間なども楽しかった。
__それに、それだけじゃなくて。
「そういえば、エルちゃんの誕生日っていつなの?」
いつもの休憩時間こと、おやつ時間に僕がケーキを用意した日のことでした。
彼女は並んだ二つのケーキをじっと見つめた後、突然そんなことを聞いてきました。
以前読んだ本によると、いくつかの文化圏では毎年生まれた日にケーキでその生誕を祝福する文化があるそうで、彼女は異世界人ですがもしかしたら同様の文化があってそこから「誕生日」を連想したのかもしれません。彼女は「異世界人」であり魔法が全くない世界から来たようではありますが、文化に関してはこの世界のどこの国の文化とも共通点が全くない…というわけではないようなので。
「実は、よくわからないんです」
僕の答えにかよこさんは「しまった」という表情をして硬直したのち、「あ~、えっと、その…」とおろおろはじめました。
「ああ、いえ。そんな複雑な事情があるというわけではなく…ただ単純に、僕が生まれた場所では生まれた日などを重視する文化がなくて。だから、誰も自分の誕生日を知らないし、祝ったりすることもないんです」
事実、そうでした。
母もその姉妹たちも、自分たちの誕生日など知らない…もしくは忘れているでしょうし、当然祝いもしません。
セイレーンの血肉を飲み食いすれば不老不死が手に入る…は言いすぎで、本当のところその血肉にはある程度の傷や病を治したりする効果と、少しの若返り効果、魔避けの効果__セイレーンの血肉は魔物や悪魔などの類にとって「毒」となります__があるだけなのですが、たしかにセイレーン自身はかなり長い寿命を生きる存在です。つまり、そもそも時間への感覚自体が人間とは全く違うのです。少なくとも母やその姉妹たちは時間という概念に興味すらありません。おそらく「1年」がなんなのか、どれくらいのものなのかもなにも理解していないでしょう。だから、年齢などの概念もほぼないと同義ですし、僕自身も自分の年齢に関してはあまり自信をもって名乗れません。
まぁ、誕生日云々以前に、セイレーンには「他人を祝福する」という文化はほぼないのですが。
「あ、そうなんだ」
わかりやすくほっとした表情になったかよこさんは、「そりゃそういう国もあるよね」とうんうんと頷いています。
「でも、そっちはそっちでいいのかも」
「そうでしょうか」
「うん。…だって、みんな誕生日がないなら"あの子は誕生日をみんなからお祝いされてるのに、私の誕生日はあんまりお祝いされないなぁ…"とかっていうのもないってことでしょ?それは…個人的にはちょっと羨ましい…かも」
「たしかに、そういったことはありませんが…」
「ありませんが?」
「それでも、誕生日がある…というのは羨ましいですよ」
おそらくかよこさんは、「誕生日」という周囲の人に祝われるような行事では、周囲の人の「<誰か>と<自分>の扱いの差」に直面してしまう…といったニュアンスのことを言いたいのでしょう。
そういった意味では、僕には「誕生日がない」ので、周囲の人の中に僕の誕生日を「祝う」or「祝わない」という残酷な二択が発生することはあり得ませんし、他の「誕生日がある」人たちとは立つフィールドが違います。その誕生日における「立つフィールド自体が違う」ということは、それはそれで彼女にとって「羨ましい」のかもしれません。
でも、僕にとっては祝ってくれる人が多かろうが少なかろうが…いっそのこといなくとも、自分が生まれた日が「祝福すべき日」として存在していることが羨ましく思えます。だってそれは「あなたが生まれた日は特別な日」と言われていることと同義なのですから。
「…そうなの?」
「はい。僕もできることなら誕生日というものを持ってみたかったですね」
「…だったら、今日ってことにするのはダメ?」
「なにをですか?」
「その、なんというか…誕生日を?」
なにを言われているのか一瞬わかりませんでした。
フリーズした僕に、慌てたように彼女は言葉を続けます。
「いや、いつが誕生日なのかわからないなら、今日が誕生日の可能性もあるから今日ってことにしてもいいかな…みたいな…。…ほら、なんというか…ちょうどケーキもあるし…。あの、嫌だったら全然いいんだけどさ…いや、やっぱ嫌だよね私みたいなのに勝手に誕生日決められるとか…」
「嫌では…全くありませんが…」
「え、あ、本当?なんというか…エルちゃん無理して言ってない?だいじょうぶ?」
「大丈夫です。…その、むしろ嬉しいです」
__嘘です。
本当はものすごく、すっごく嬉しかったです。
彼女の目がなければ叫び出したいほど嬉しかった。こんな風に大人しく座ってられるのが本当に不思議なぐらいに。
そして、そんな僕に彼女は「そっか。…だったらよかった」と安心したように笑いました。
「…私、あんまりこっちの文化まだ知らないからさ、もし嫌じゃなかったら私が来た場所のやり方でお祝いしても…いい?」
「もちろん。僕もあまり誕生日の文化については詳しくは知らないので、かよこさんのお好きなようにやってください」
「じゃあ、失礼いたします」
彼女はとわざとらしく咳払いをすると、優しい声で「ハッピーバースデートゥーユー」と歌いだしました。
その歌は実は以前どこかの国の誕生日祝いの歌として、図書館で聞いたことがありました。でも、それとは比べものにならないぐらい彼女のその歌は神聖なものに聞こえました。彼女にそこまで深い意思も意図ないとは思いますが、でも…誰からも祝福されることのなかった僕の誕生が祝福されているような
「ハッピーバースデーディア……エルちゃん!?なんで泣いてるの!?」
そういわれて頬に手をあてて…そこではじめて、僕が泣いていることに気づきました。
「そ、そんなに嫌だった!?本当にごめんね!その…私の分のケーキも食べていいから…」
「違います…そうじゃなくて…嬉しくて…。こちらこそ本当にごめんなさい…」
「え…あ…そうなの?いや、だったらいいけど…」
海じゃないくせにやけにしょっぱいそれは、止めようとしてもなかなか止められません。
「あ、あとコレ…もしよかったら…」
泣いている僕の背中を撫でつつ、かよこさんはポケットから赤い包装紙に包まれたなにかを取り出しました。赤い包装紙には、右上に緑のリボンがついていてまるで…まるで…物語の挿絵にあった…
「…プレゼント?」
「そう、なんだけど…大したものじゃないから、期待しないでね」
「誰への…?」
「それは、いや、エルちゃんになんだけど…」
赤いそれは、遠慮がちに僕の手の上に乗せられました。
…僕はもはやなにがなんだかわかりませんでした。
誕生日があって、ケーキがあって、彼女の歌があって、プレゼントがあって…まるで人間にでもなったかのようです。
「開けても、いいですか?」
「え、あ、いいけど…。そんなすごいものじゃないから、見てがっかりしないでね…」
「ありがとうございます。失礼します」
赤い包装を一枚一枚剥がしていくと、その中からは紫の花__おそらくローレンティアの花の形を模した装飾が施された金の髪飾り…?らしきものが出てきました。
「これは…?」
「バレッタっていって、髪を纏めるもので…」
「こうやって使うんだよ」と彼女は僕の後ろに立ちます。
癖が酷くておそらく非常に扱い辛いであろう僕の髪を、手櫛で軽く整えると、左右の横髪の一部をとって後ろにもっていきそのままそれをおそらくその「バレッタ」で留めました。
「やっぱエルちゃん、ハーフアップ似合うし…髪飾りも似合ってる。…本当に、かわいい」
かよこさんは席に戻ると、そういって満足気に笑います。
本当はきちんとお礼を言うべきなのでしょうが、僕は消え入りそうな声で目を逸らしながら「ありがとうございます」と呟くことしかできませんでした。
基本血色が悪くて普段は真っ青な僕の肌はおそらく今真っ赤で、それがなにより恥ずかしい。
「それで、なんで誕生日もわからない癖にそれを持ってたかっていうと…実はちょっと前に街に出た時に<あ、エルちゃんに似合いそう!>って思って買ったやつなんだ。だから、別に他の誰かへのプレゼントとか自分用に買ったものを流用したわけではないというか…うん」
これまでのことだけでも嬉しすぎて、満たされ過ぎて、もうお腹いっぱいだと思っていたのに、僕と会っている時以外にも彼女が僕のことを考えてくれていた__という事実だけで、「満たされた」と思ったなにかがさらに満たされて行きます。
「誕生日に渡そう、って思ったんだけど…。その、これを今日たまたま持ってたからっていうのと、エルちゃんがこれをつけてる姿をはやくみたいな~って思っちゃって、今日を誕生日ってことにしちゃった」
「…そうなんですね」
「うん。…本当は、明日とかにしてもっとちゃんと準備するべきだったのかも。…というかやっぱり、私なんかが誕生日勝手に決めちゃって本当にごめん」
そういって彼女は軽く頭を下げました。
「あ…いえ、僕…その本当に嬉しくて、だから全然謝る必要とかもなくて…」
「ありがとう。…でも、いやだったらすぐ変えちゃっていいからね、誕生日」
「いえ、僕は…できればこのまま…今日ということにして欲しい、です」
「…そっか。無理はしないでね」
すごくうれしいのにその嬉しい気持ちをうまくかよこさんに伝えられない。獣のように感情をそのまま肉体から放出することは遠慮したいですが、かよこさんを変な風に心配させないためにも本当はこの「嬉しい」を言葉にしてきちんと伝えたい。
僕がもっと口下手じゃなくて…言葉の知識も豊富だったらもっと違ったのでしょうか。
「…あの。ケーキ、食べませんか」
「…あ、そういえばケーキ食べてなかったね。食べよっか」
結局、僕はうまく「嬉しい」を伝える言葉が見つけられなくて、話をそらすことしかできませんでした。
そうやってケーキを食べて、少し話をしたら気が付いたらサークルの終了時間はとっくのとうに過ぎていて。
「ヤバい!シェバさんが心配する!」とバタバタと帰りの支度をして、地上への階段を上っていった彼女は最後に振り返ると、
「お誕生日おめでとう!生まれてきてくれてありがとうエルちゃん!素敵な一年を!…また来年もお祝いしようね!」
と、言って手を振り、僕の返事を待たずに風のように地上に去っていったのでした。
__生まれてきてくれてありがとう。
たぶん、あなたは毎年みんなに言われている言葉を、みんなに言う言葉を、最後に何気なく言っただけ。
だから、この言葉が、惜しみなく降り注がれる祝福が、僕にとってどれほど嬉しいものか…きっとあなたはご存知ないのでしょう。
来年を約束する言葉も、あなたにとっては大したことない口約束なのかもしれませんが、僕にとっては__ある意味では呪いです。きっと来年のこの日にあなたが現れなくても、僕はいつまでもあなたの来訪を待ってしまう。なにかの手違いの可能性を信じて、その日が終わっても…何日も…何年も…何百年も…。
その日から、その日と、ケーキを食べながら彼女に教えてもらったもう一つの日付__いくらか前に過ぎてしまったその日付は、僕にとって特別なものとなったのでした。