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「は、八条!!」
わたしの場所でいつも通りお昼寝してると、荒い息と悲鳴みたいな声が聞こえてくる。
「八条!お願い、起きて!!」
「…ん~」
「お願い、お願いだってば!わ、私…」
すごい勢いでぐらぐらと揺らされるから少しだけ目を開く。
すると、そこにはすっごく会いたかったけど会いたくなかった人がいた。
「…かよ子?どうしたの?」
汗いっぱいだし、目からもいますぐに水が零れちゃいそうで、息も荒い。
もしかして、走ってきたのかな?もしかしてもしかして…わたしに会うために?
「あ、朝、ラジオを聞こうと思ったら…なにも言葉がわからなくて…!助けて…!」
…ああ。
そういえば昨日、もういやになっちゃったからかよ子にかけたまじないに力送るの辞めたんだっけ。
わたしがなにも返さずにいると、かよ子は泣きそうな顔で「昨日は本当にごめん」とその軽そうな頭をさげる。
そのまま、「大きな姿の八条を知らなかったからわからなかった」、「あの後で八条が私に翻訳魔法をかけてくれた人だと教えてもらった」とか色々言ってる。
でも、そんなことすっごくどうでもよくて。
本当にどうでもよくて。
ただ思うのは、
__すっごく、かわいい!
必死で、なきそうで、つらそうで、わたしに助けをもとめてるかよ子は…かわいそう。かわいそう、でも__すっごくかわいい。
ああ…かわいそうはかわいいだったんだ。そんなこと知らなかったけど、本当はたぶんずっと前から知ってた。わたしに流れる極東の血が教えてくれてた。
だってこれまでも、わたしがかよ子のことを助けたいって思うとき、たしかにいつもかよ子はかわいそうだった。
でも、今回はとくべつかわいい。だって、だってね、わたしのせいでこんなかわいそうになってるんだもん。しかも、こうやって会いに来てくれて、わたしに「たすけて」ってお願いしてくれる。
「かよ子…」
かよ子の頬っぺたの上につつみこむように片手をのせると、かよ子は垂れた眉毛のまま「八条…」とわたしの手の甲に手をかさねる。
「だいじょうぶ、すぐにわたしがたすけてあげる」
お返しの「好き」はもういいや。でも、これからは「かわいそう」をもらうね。
わたしが助けたくなるように「かわいそう」にしてあげるから、きちんと「かわいそう」になってきちんとわたしに「助けて」ってしてね。
その日からはね、すっごくたのしくなったよ。
力をおくるのをやめたらすぐに泣きそうなかよ子が来てくれるんだもん。言葉がわからなくなっちゃったーって。
まぁ、だんだんそれだけじゃたりなくなっちゃったけど。
ある日はなでなで、ある日は抱っこ、ある日は鼻への口づけ、ある日は首への口づけ、ある日は、ある日はある日はある日は……そんな感じで「かわいそう」のおまけをもらうようになった。
最近はね、よく唇への口づけをもらってる。初めて「唇をちょうだい」ってお願いした時はかよ子、しばらくなんにも言わなくなっちゃった。でもね、しばらく待ってたらいいよっていってくれたし、今では普通にやらせてくれる。かよ子の唇はいつもカサカサだけど、あまくておいしいんだよね。
だけどね、最近はやっぱりそれだけじゃ足りないなって。
どうすればもっとたのしくなれるのかな。
「かよ子~!」
かよ子のまじないに力を送るのをやめたら、いつも通りかよ子がいつもの場所に来たから、いつも通りわたしもかよ子を迎える。
「…八条」
「うん!」
かよ子はまえみたいに向こうから近づいてくれたり、抱きしめてくれたりはしない。
でも、その分わたしが近づくし、壊れたおもちゃみたいにがたがたとふるえてるかよ子をぎゅっとする。
「…それで…あの…言葉がまたわからなくなっちゃって…」
「うんうん、すぐにたすけてあげる」
「…ありがとう。じゃあ、」
そうやって言葉を続けようとするかよ子の手をつかんで笑顔をプレゼントする。そして、かよ子がなにかを言う前にわたしが口をひらく。
「今日はね、かよ子のお部屋つれていって」
「…えっ?私の部屋?…なんで?」
「いきたいから」
そういえばかよ子のお部屋いったことないな、って思いついてなんとなくいきたくなっちゃった。だから今日は来てもらったんだ。
「その…あんまり楽しいところじゃないよ。それに…」
「そうなの?それでもいいからつれてって」
はやくはやく!と背中をおしたら、ゆっくりだけどかよ子は森の外に向かって歩き出す。
最近あんまりお話をしてくれないかよ子は、いつもよりももっとしゃべってくれないけど、それもやっぱりわたしが代わりにずっと話すからなんでもいい。
この前みつけたきれいなお花の話も、かよ子がすきそうなごはんの話も、聞いてるのか聞いてないのかわからないけど、しゃべりたいから話す。
かよ子が住んでいるらしい場所は大きな館の二階だった。
館の正面にある魔法扉の銀色の取っ手をつかめばあっという間にそこにつながる。
そこ__かよ子の住んでるところは、散らかってるわけじゃないけど、埃がいたるところに積もってて、本当に必要なものしかないって感じのとこだった。そこは別にいやな感じはしなかったけど、かよ子は「監視されてる」って言いながらずっときょろきょろしてて、住んでいる場所のはずなのにあんまり落ち着けてないみたいだった。
でも、なにより気になったのは…あの嫌な花の臭い。あのハンドクリームの臭い。それにね、その臭いにはかよ子のにおいだけじゃなくて、あの子のムスクの臭いも混ざってる。あの…紫の髪のあの男の子。ハンドクリームをもらった時についた臭いとか、かよ子についた臭いなんてものじゃない。
カーテンから、テーブルクロスから、カーペットから…あの子の臭いがする。
__ぞわぞわする。
ひさしぶりの感じ。
おなかの下の方からべたべたしたなにかが上がってきて、のどにはまりこんじゃってる。なにか言いたいけどなにかを言おうとすると、のどにまで来てるそれが目にまでいっちゃってそのまま泣いちゃいそう。
「…ど、どうしたの?急に…大きくなって」
となりに立ってるかよ子がわたしを見上げながら、まるでわたしから離れようとするみたいにうしろあるきをする。
あれ?いつの間にかわたし大きい方の姿になってたんだっけ?今日かよ子に最初に会った時はたしかちいさい姿だったよね。
__まぁ、どうでもいっか。
むしろちょうどいいや、とかよ子の腕をつかみ、なんどもころびそうになるかよ子をはんぶんは引きずりながら歩きだす。こうやってやるには大きい方がちょうどいい。かよ子はなにか言ってるけど、なにも聞こえないし聞きたくない。
かよ子の腕をつかんだまま適当に二階の色んな部屋をみて回ってると__ちょうどいいところをみつけた。
そのおっきなふかふかのお布団__ベッドだっけ?__がある部屋に入ると、ばたばたとあばれてるかよ子をそのままお布団の上にころがす。
このままつかんでると腕がいたくなっちゃいそうだなと思ってはなしてあげたんだけど、かよ子ったらすぐにどっかにいこうとしちゃったから、しかたなくまじないをかけて手足をお布団にくっつけちゃう。
「…なっ、なに?なにがしたいの、八条?」
かよ子の声はふるえている。手足もふるえててそれといっしょにお布団もゆれている。
それを見てると、なんだかかよ子からいやだってされてるみたいな気持ちになって、のどにはまってるなにかがそのまま目にいきそうになる。
でも、それをぐっとおさえながらがんばって声をだす。
「…あの子のこと、すきなの?恋人なの?」
「あ、あの子って、誰?」
「紫の髪のあの子」
紫の髪の、あの変な臭いのハンドクリームの子。
「…ルイゼのこと?だったら、ちがう」
…そういって首を横をふるかよ子が嘘をついてるようには見えないし、まじないで確認してもやっぱり嘘はついてないみたい。
それを確認してちょっとだけおちついたわたしは、かよ子のとなりにねころがる。いつも通り、ぎゅっとしようとおもったんだ。…思ってたんだ。
__あの、ムスクのにおい。
お布団から、あのハンドクリームの臭い…はまだいい。それだけじゃない、あの子のムスクのにおいがするの。
いま、ここで、かよ子がすきじゃないって、恋人じゃないって言ったあの子のにおい。
でもさ、わたししってるよ。お布団からにおいがするってことはそういうことだよね。
「___へぇ」
かよ子って、そうなんだ。
…そっかぁ。いいよね、あれ。わたしも好き。
わたしに最初にあれをしてきたのは女の子だっけ?男の子だっけ?…どうでもいいし、わすれちゃった。けっこう小さい時のことだしね。まぁ…とにかく、さいしょはいたいし気持ち悪いしいやだったけど、いまは好き。あれをしてる間はつまんなくないし、たいくつじゃない。
でも、けっこうふつーの子は恋人だとか夫婦だとかじゃないとそういうことはしない?みたいらしいし、かよ子はそっちの方の子なのかなぁって思ってたんだけど。
でも、ちがうってことだよね。そういうことなんだよね。
あれ?じゃあ、もしかして最近ずっとかよ子の体中から海のにおいがしてたのもそういうこと?紫の子だけじゃなくて、海のにおいのする誰かともあそんでたのかな。そういえば、ちょっと前に会った黒髪のあの子もなぜかかよ子そっくりのにおいがして、海のにおいがした。ってことは、あの子かなぁ。
じゃあかよ子、わたしともできるってことなのかな。
ああ、でも…。ううん、やっぱそれだけじゃつまんない。たいくつ。さびしい。
だって、だって、ただただかよ子とお布団の上ですこしきもちよくなったところで、なにか足りなくない?それに今わたしがかよ子としたって、またすぐに誰かと…あの紫の髪の子とか黒髪の子とするんでしょ。そんなのやだよ。
あ、もしかして。「そういうことはわたし以外としないで。そうじゃないとずっと言葉をしゃべれなくしちゃうよ」って言えば、この先もずっとわたしだけ?それは…ちょっといいかも。
でもさでもさ、ほんとうにずっとこの先「わたしだけ」なのかな?かよ子の言葉のまじないをかけられるの。もし、わたし以外にそういう子がでてきちゃったら、わたしはかよ子にとって…
__あ、そっか。食べちゃえばいいんだ。
そのこたえは頭の中にぽーんとうかんできた。
ううん、ずっと前からそれは頭の中にあったのかも。かよ子のふわふわの身体に包まれた時、かよ子のほっぺたに口を寄せた時、かよ子に口づけした時__ずっとその気持ちはそこにあった。
だって近くにいるだけで、少しさわるだけで…あんなにあまいにおいがして、あんなにたのしいきもちになれるんだもん。食べたらぜったいにおいしい。
それに食べたら、かよ子のぜんぶはわたしのものってことだよね。
かよ子のおいしいところもまずいところも、かよこの脳みそも心もぜーんぶわたしがたべちゃって、もうだれにもなんにもあげない。ぜんぶわたしのもの。
「かよ子…」
バチバチと雷みたいなななにかがわたしの周りで生まれては消える。
お布団に近づこうとしたらうまくあるけなくて、いつのまにか足がきつねに戻りかけてるのに気づく。身体の色んなところからごきごきとイヤな音が聞こえてくるから、たぶん足だけじゃなくて顔の方とか腕の方もきつねに戻りかけてるのかも。
でも、ちゃんとした人間の身体にいまさらもどる意味も、どうやったら人間の身体に戻れるのかもよく思い出せない。だから、そのままおかしな動きでかよ子に近づく。
「八条…」
かよ子はまだふるえている。
浅い息をなんどもなんども吐きながら、消えそうな声でわたしの名前をよんでいる。
かわいそうでかわいい。やっぱり、かよ子はこうしてるのがいちばんかわいい。
「やめてよ…何するつもり…?」
かよ子の前に立って、わたしもなにか言おうと喉をうごかしてみるけど、きゃうきゃうと人間の言葉にならない甲高い音しか出ない。
__あ~あ、かよ子とわたしをつないでいた唯一の「ことば」の使い方もわからなくなっちゃった。
ちょっとさびしいけど、それがどうしてさびしいのかもよくわからない。
なにもかもよくわかんないけど、かよ子をたべて、かよ子をわたしにとりこんで、かよ子をわたしにしちゃえば、わたしのこともかよ子のこともぜんぶわかって…ぜんぶ思い出せる__気がした。
だからとにかくこのおいしそうなこれを、
はやく、
かじって、かみちぎって、
なめて、すすって、のみこんで、
ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ…
「やめて、やめて、八条!!!まって…!!…あ…あ…た、助けて、ルイゾン、!!!!」
かみつこうとするわたしに、かよ子はなきながら、しらないなにかのなまえを、よんでいる。
「ルイゾン!!!!ねぇ、なんでこないの!!!ねぇ!!ねぇ!!」
いちばんおいしそうなうでのところをかぷり、
「いやあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ!!」
しろがあかに、そまっていく
、
「…う゛あ゛…あ゛…」
くちのなかにいっぱい、かよこのあまいあまいたいようのあじ、と
「い、す、と、まぁ…!」
海の、うみの…
「いすとま…だすけでぇ…!いすとまぁ…ちがう、ちがう、るいぞん…ねぇ…」
__激痛
「うう゛っ」
べろが、のどが、おなかが、すごく、すごく痛い。
まるでそこだけ火がもえてるみたいに、あつくて、いたくて、いたくて…
「…か…子…いだ…よぉ…」
のどがいたくていたくて声もまともに出せない。
いたくて、つらくて、泣いちゃいそう。
いたみでぐらぐらしてる世界といっしょに、わたしもぐらぐらしてくらいところにおちていく。
「…ああ゛…はぁ……はぁ…」
くらい世界の中、どっちのものかもわからない、あらい息だけがしばらく聞こえてた。
「……な…で…ど………よ………ル………」
でも、それも…なにもかもだんだんなにも聞こえなくなっていって。
目は…ひらいてるつもりだけどなにもみえなくて。
いたみとかもぜんぶ感じなくなっちゃって。
考えることもできなくなっていく。
__ああ…もしかしたらわたし、お空の上につれてかれちゃう、のかな……
…やだなぁ、
だって…かよ子のこと……まだぜんぜんたべきれて…ないもん…
ぜんぶ、たべきった…ら……もういいから、さ…
もうちょっと…………
もうちょっと……
もう………
………
ここ数週間体調を崩しており更新が滞ってしまっていました。また、これから先もしばらく更新は少しだけゆっくりになるかもしれません。申し訳ありません。
そして、これで八条編は終了です。