9 いざ里帰り
***
「……アウレリオ・フェルレッティは残酷な男だ。偽物だとバレたら、どんな理由があれ死は免れない」
「……」
「……王都のフェルレッティ邸には彼の他に何人もの幹部、そしてその手下がいる。使用人含めてろくな素性じゃないやつばかり。アウレリオが邸内で声をかける人間の中で、犯罪に一度も手を染めていない人間はまずいないと思っていい」
「……」
「……あなたがこれから向かうのは、そういうところだ」
ルカとその手下が出ていった部屋の中。
濡れた布で頬を冷やしながら、テオドロは苦々しげな声で一方的に説明していた。
床に額をつけ、頭を抱えるディーナに向けて。
「……どうしよう」
「どうしようもない。今さら嘘だったなんて通らない。クローゼットの中で軍の仲間があなたを保護するのを待つことも、もうできない。こうなったら腹をくくって、悪魔を騙し切るしかないんだ」
「……うう」
ああ。
どうしよう。
床に這いつくばってうめくディーナは、口から出したものを脳が理解するに連れて激しい後悔に苛まれていた。
偽物だとバレたら死ぬ。なら全力で本物だとわかってもらえばいい。
でも本物のディーナ・フェルレッティは、そもそも十年前に殺されかけている。今回捜し出す理由が、また殺しなおすためだとしたらどうしたらいい?
どうしてこんなことをしてしまったのか。そう思ったとき。
「……ありがとうディーナ、また助けられた」
その言葉が思いもかけず近いところから聞こえて、ディーナは顔を上げた。
見ると、さっきまで立って話していたテオドロが、横に膝をついてじっと見つめてきている。
そうだ、どうしてこんなことをしてしまったのかといえば、この人を助けるためだ。
単身ディーナを助けに来て、それを自分の存在意義だと語った男が死ぬのを、見過ごせなかったから。
「幹部はみんな仕事で、このあたりには来ないタイミングだと思ってここを使った僕が浅はかだった。……結局あなたを巻き込んでしまった」
見下ろす顔に浮かぶ、痛みに耐えるような表情。さっきの苦々しい声は、ディーナを庇いきれなかった自分自身への怒りだったのだろう。
「でもこうなった以上、引き返せない。あなたの安全を永遠に確保するには、フェルレッティ家をすみやかに、完膚なきまでに潰すしかなくなった」
「フェルレッティ家を、潰す……」
そう、とテオドロは真剣な表情で頷いた。
「それまでは、どんなときでも。あの教会に帰りつくまで、ディーナのことは、僕が絶対に守るから」
絶対に。
「……うん」
――神様、どうか、この嘘を正当な人助けとお認めください。
そしてこの勇敢で優しい人に、この上ない幸運と絶え間ないご加護を授けてくださいますよう。
床に座り込んで手を組むディーナを、テオドロの腕が包み込む。言葉の通り、守るようなぬくもりに、恐怖で冷え切っていた体へ熱が戻ってくるのを感じた。
***
翌日、王都までの移動のため、一行は列車へ乗り込んだ。
行き先だけでも憂鬱なのに、予想通り、ルカとその手下も同行している。
しかも、手下は個室の外の廊下に、ルカ本人に至っては個室の中の、隣の席にいる。
「ルカさん、レディ・ディーナはお疲れです。席を外してもらえますか」
「んなの通ると思ってんのか?」
窓際に腰かけたディーナの向かいにいる、テオドロの言葉は容赦なくはねつけられる。ルカがテオドロを押し退けてディーナの隣を陣取ったのは、二人の逃亡を阻止するためだろうが、ルカはさらに付け加えた。
「すでに他の組織に嗅ぎつけられてる可能性もある。襲撃されたらことだ」
一応、護衛の目的もあるらしい。アウレリオに会わせるまでは、逃がすのも死なせることも禁物というわけだ。
「……テオがいれば平気よ。強いわ」
窓を見たまま小声で意見すると、部屋の空気が冷え込んだ気がした。
「レディ・ディーナ、襲撃は騎士の決闘とはわけが違いましてね。ご丁寧に一人ずつ向かってくるとは限らないんで。つーか、その髪はどうしました?」
怒りを抑え込んだような声でルカが指摘した髪を、ディーナは内心の動揺を押し隠しながら払う。
「こっちがもともとの色よ。赤毛は私を探す周囲の目を欺くためだったけど、もう隠れる必要はありませんから」
ディーナの夕日のような赤毛は、宿屋にいるうちに金色へと染められていた。
テオドロの手によるものだ。
『ルカに怪しまれないかしら……』
『怪しまれても、アウレリオに会わせるまでは手出しできないはずだ』
『アウレリオに、赤毛だと告げ口されるかも……』
『本物がフェルレッティ家に殺されたことは事実なんだから、あなたはその追手を恐れて染めていたということにすればいい』
そんなわけで、ディーナはふたたび金髪の自分にあいまみえることとなった。
「はあ、なるほどね」
含みのありそうなルカの視線を避けるように、窓の外に視線を向ける。しばらく無言で、流れる車窓を見つめるだけの時間が過ぎた。
「……アウレリオは、なぜ急にわたしを捜しはじめたの? 十年放っておいたのに」
列車の振動の間を縫って問いかけると、先に口を開いたのは、腕を組んで座っていたルカだった。
「それは、」
「あ、ごめんなさい、テオに聞いたの」
苛立つように脚を組み直したルカは見なかったふりをしてテオドロに顔を向ける。
テオドロは、あくまで仕える家の令嬢に接するように丁寧な口調で話し始めた。
「お嬢様がそうであるように、アウレリオ様にもご家族がいらっしゃいません。お母様も先代も、お早くお亡くなりになり、異母兄妹とはいえ唯一血を分けた妹君をおそばに置きたいと」
「え、母様が違うの?」
「……そう聞いております」
つい素直に反応すると、“そうなんだよ”と険しい目で言い聞かせられた気がして、ディーナは慌てて「そうだったかしら」とすまして取り繕った。だって本当に知らなかったのだ。
すると、そっぽを向いていたルカが低い声で付け足してきた。
「教えてねえんだろ。ディーナ様の母君はフェルレッティと結びつきの強い家からきた正妻で、アウレリオ様の母君は先代の愛人だった。その方も早くに亡くなったそうだが」
……殺されたのだろうか。
しようと思えばいくらでも悪い想像ができる。記憶の欠片もない母や愛人の末路に、ディーナはそっと手を組んだ。
「アウレリオ様は、レディにお会いするのを楽しみにしておいでです。……自分もおそばに控えますので、どうぞ気を楽に」
言葉とともに、テオドロの手がディーナのそれに重ねられる。
楽しみにしている、と言われても喜べないが、言いたいことの真意は後半だろう。宿で言われたことも脳裏によみがえって、ディーナはどうにか微笑んだ。
「わかってる。……離れないでね、テオ」
直後、隣から聞こえた舌打ちにさっそく肩をビクつかせるはめになった。