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神様、どうかこの嘘だけは見逃してください (書籍版タイトル:偽装死した元マフィア令嬢、二度目の人生は絶対に生き延びます)  作者: あだち


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6 人違い

 ***


『これを』


 そう言って、男は長いビーズの輪をディーナの細い首にかけ、その手にロザリオを握りこませた。十字の長い先端が手のひらに食い込み、少女は顔をしかめたが、男は構わず、小さな手をさらに強く包み込んだ。

 少女が、痛い、と文句を言おうとしたとき。


『さようなら、お嬢様。フェルレッティが生んだ罪深い蛇』


 ――どうか、生まれ変わって、今度は善良な人間に。


 そう言って、男は小さなディーナを抱えあげて河に投げ込んだ。


 男は、普段は屋敷にいない幹部“外飼い”と呼ばれる一人だった。


 もとからフェルレッティ邸において、幹部や使用人が側近によって“入れ替えられる”のは、さほど珍しくない。

 交代となった彼らの末路を自分は正確には知らなかったし気にしなかったが、中には始末された者もいたのだろう。

 

 そう思ったのは、王都の情報がろくに入らない田舎町で目にした“史上最年少フェルレッティ家当主、国王陛下に謁見”の新聞記事を読んで、腑に落ちたからだ。

 ああ、わたし(当主)も、あの男の手によって、入れ替えられたのだと。



 ***



 何時間も海をさまよって疲労困憊のディーナは、ほとんどされるがまま桟橋に押し上げられた。


「……神様、この身を、おたすけ、くださり、……ありがとうございます……」


 水中で、「着てると沈む」という理由でスカートを脱がされてしまい、あられもない姿を晒しているのだが、周囲の暗さもあって恥ずかしがるどころではない。

 肩で息をしていると、背後でテオドロが水から上がってくる音がする。


「大丈夫か?」

「な、なんとか。……どこ、ここ」


 はいこれ、と脱いでいたスカートがシュミーズのはりつく腰にかけられる。びしょ濡れのそれを、ディーナはのろのろと巻き付けた。

 見渡せば、そこもまた街灯がぽつぽつと立つ港町だった。うわごとのような質問に、テオドロはレベルタとは異なる大きな港町の名前を口にした。


「そんな遠くに……」

「陸路だとね。海岸に沿えば、そんな遠くない」


 呆然とするディーナの体が浮いた。仰天し、抱き上げた男に抗議する。

 

「何するの!?」

「じきに船乗りたちがやってくる、ここじゃ休めない」

「下ろして!」

「見てないよ、暗いし」

 

 確かに、まだスカートのボタンを留めていないのも由々しき事態だが、それよりこの男こそフェルレッティ家の人間だということがディーナを恐れさせた。

 暴れるディーナをテオドロはしばらくそのままにして歩いたが、建物の影に入ったところで突如地面に丁寧に下ろした。


「さっきの奴らが僕らを探してるかもしれない。着替えるにも休むにも、まずは、あいつらが入ってこられない場所に行く。ついてこられる?」

「それって、どこに……」

 

 聞こうとした言葉は最後まで口にできなかった。テオドロが手を離した瞬間、ディーナはへなへなと膝が崩れてしまって、そのまま四つん這いで動けなくなってしまった。


「……もう一回聞くけど、ついてこられる?」

「……」

「暴れないでね」


 結局、ディーナはスカートをおさえて大人しく抱き上げられるしかなかった。男はディーナと同じ時間海にいたにも関わらず、足取りは平然としている。

 衣服もほとんど着たままな相手との差に、ディーナは遅まきながら頬が熱くなるのを感じた。


「しかし不運だね、人違いで狙われるとは」

「……人違い」

「ああ。ちょっとした界隈で、ディーナって名前の若い女は注目されてる」

「……あなたも、それでレベルタに? わたしの名前を気にしてた」

「まあ……僕は、見つけに、というよりは、いないことを確認しに来ただけだけど」


 テオドロは迷いなく狭い路地を進み、連なる建物の壁にそって並ぶ扉の一つを叩いた。誰何(すいか)に「テオドロ・ルディーニ」と答えたのを聞いて、そんな名前だったのかと思う。


「部屋と、それから着替えを」


 夜明け前に、裏口からやってきたずぶ濡れの客に、中から出迎えた人間は何も聞いてこなかった。


「……いないことを確認しにって、あなたは探す相手がレベルタにいないと知ってたの?」


 鍵を手にして階段を上る男に、ディーナは問いかけた。自分の声がかすれているのを不思議に思いながら。


「ああ。ディーナ・フェルレッティは、十年前に死んでる」


 足取りと同じくらい迷いのない答え。


「フェルレッティ……」

「貴族の名前だ。その実態は、この国に昔から巣食ってきた悪魔だが」


 腕とは裏腹に、声が冷たくなったのを感じる。


 それなのに、ディーナは規則正しく揺れる腕の中で、自分のまぶたが下へ下へと向かっているのに気がついた。

 だめだ。


「なんで……」


 フェルレッティの一味であるあなたが、なぜそんな口ぶりで、と思ったのだが、テオドロは勘違いしたらしい。


「なんで死人と人違いされてるかって? ここ最近になって突然、アウレリオ・フェルレッティが、ディーナの生存を前提に行方を探し始めたからだ」


 アウレリオ。新聞記事に載っていた、フェルレッティの当主。


「ディーナ・フェルレッティは、そのアウレリオの妹のことだ。公には、彼に妹なんていないとされているが、実際のところ十年前に死亡するまでは、妹のほうが当主教育を受けていた。そんなだから、十年前に妹が死んだのも、アウレリオの差し金だと思うけど」


 だめだ。今寝てはいけない。

 逃げないと。フェルレッティからも、そのほかの組織からも、この男からも。


 逃げないと。


「彼は妹が海につながる運河に落とされたことを踏まえて、潮の流れからレベルタへ手下を送り込んだ。身寄りのない二十歳前後のディーナという女を探すために。……そのことが、厄介なことに他の組織にも、というか裏社会そのものに広まっているんだ」


 逃げ。

  

「……フェルレッティは、表向きは由緒正しい貴族だが、実際には古くから闇の商売で財を成し地位を固めてきた悪徳の家だ。買収、恫喝、人身売買に薬物取引、そして暗殺。そんなだから敵も多い。昨日、教会の鍵を持っていた奴らや、きみを誘拐しようとした奴らは、ディーナ・フェルレッティをアウレリオより先に手に入れて利用したいと考えたんだろう」

 

 逃。


「けど奴ら、どうやらディーナ・フェルレッティが金髪だということを知らないらしい。つまりこのまま帰れば、また同じことが繰り返される。アウレリオ本人に、あなたが捜しているディーナ・フェルレッティではないと言わせるまで。だから、ここで少し休んだあとは……ディーナ?」





 下りきったディーナのまぶたは動かず、胸は規則正しく上下している。

 腕の中の女が目覚めないよう、テオドロは慎重に客室の扉を開けた。





 

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