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5 デジャヴ

 ***


 幼い頃の自分は、周囲に金髪であると偽っていた。些細な見栄のようでいて、それはあの家では重要な意味を持っていたのだろう。肖像画に描かれていた歴代当主が、みな金髪だったように。


 真実を知っていたのはごく一部だったから、染髪が落ちた赤毛のこの姿を見ても、そうそう正体を見破られないのだと思っていた。

 だがそれは、思い違いだったらしい。


「こいつが本当に、あのフェルレッティ家の関係者なんすか? 見るからに、ただの小娘って感じっすけど」

「さあな。別にどうでもいいだろ、俺たちの仕事は二十歳前後の“ディーナ”って名前の女を捕まえてくること。そのあとのことはアニキたちの領分だ」


 そう。

 “ディーナ・フェルレッティを探せ”と言われたチンピラの中には“ターゲットは金髪である”だなんて知らされていない者もいるのだ。


 拘束されて、箱馬車の床に転がされながら聞いた会話に、ディーナは己の認識の甘さを痛感した。


 いつかこんな日が来るなら、名前を変えて暮らしていればよかった。けれどこの街に漂着した時、ディーナは名前の刺繍が入った衣服を身に付けていた。記憶喪失のふりをして家名を隠しても、自分がベッドから起き上がれるようになるころには“海辺で見つかったかわいそうなディーナお嬢ちゃん”の噂は街のすみずみまで広まっていたのだ。


 口と手足を拘束されてじっと固まるディーナの頭上で、男たちの会話はなおも続く。


「しかし、アニキも無茶言うっすよ。ディーナなんて名前掃いて捨てるほどいるってのに、ほんとにこいつで合ってるんすかね? フェルレッティ一家は当主から幹部まで派手ぞろいって聞いたのに、こんな地味で平凡な女、なんかの間違いじゃ?」

「ごちゃごちゃうるせぇよ」


(口ぶりからするとこの男たち、フェルレッティ家とは無関係な人間?)


 十年も前に暗殺された(ことになっているだろう)自分を今さら探しに来たのは不可解だが、フェルレッティ家に見つかるよりはましかもしれない。今捕まえている女が、探している当人ではないと分からせられれば――。


「この際合ってるかどうかはいいんだよ。どうせ、ただの無関係な小娘だったら、殺すだけだ」


 ダメだ逃げ場がない!!

 ディーナは心音が男たちに聞こえていないかと怯えながら、“どうかお助けを”と神に祈った。




 馬車が止まったのは、人気のない倉庫街だった。扉が開いて漂ってきた潮の香りに薄目を開ければ、建物の隙間から、ほのかな光を反射する黒い水面が果てしなく見える。

 港だ。

 それだけ確信すると、ディーナは目を閉じ、馬車の中と同様の気絶したふりを続けた。荷物のように、担がれ、入っていった倉庫の床に乱暴に落とされる痛みにも声を上げるのを耐える。


「アニキ、いますか。連れてきましたよ」


 油くさい闇の中、誘拐犯の声がこだまする。返事の代わりに、建物の奥から、ゆっくりと靴音が響いてきた。音は、誘拐犯とその前で横たわるディーナのそばで止まった。


「ご苦労だったな」

 

 靴音のした方から、若い男の声がした。誘拐犯たちよりも落ち着いていて余裕のある声に、ディーナは息を呑む。


「……誰だテメエ」

「聞いてないのか。マルコは上から別の仕事を言いつけられたから、代わりに俺が来た。ほら、報酬」


 ディーナの頭上で、硬貨の入った袋が空を切って、床に落下する気配がした。チャリリン、と硬貨のいくつかが床をじかに滑る音も続く。


「おぉいおい、どこ投げてんだよ、ったく……あー袋から出ちまった」


 誘拐犯の一人が、少し離れたところに落ちたそれを取りに動く。ディーナは、かがんだ“マルコの代わり”の男に顔を掴まれて上を向かせられた。


「じゃあ、先に行かせてもらう」


 必死に意識のないふりをしていると、男のそんな言葉が降ってきて、顔から手が離れた。そしてすぐに腕を取られ、上体を引き上げられ、また担がれる。

 ――と同時に、カチャリと撃鉄が上がる音がした。馬車でディーナを連れてきた、誘拐犯の方からだ。


「なんのつもりだ」


 ディーナを担ぎ上げた男は、なおも落ち着き払っていた。


「なにじゃねぇよ。初対面の人間に、仕事の横取りされちゃ敵わねぇ、アニキの代理だって証拠見せてもらおうか」


 銃を構えた誘拐犯の声は、馬車の中にいる時より苛立っていたが、対する男はふっと肩を上下させた。苦笑いしたようだった。


「証拠? お前ら下っ端に、金以外の何見せろって?」

「ウチのもんなら身体のどこかにしるしの入れ墨いれてるはずだろ。見せてみろ」


 ディーナは、自分の体がゆっくりと下ろされていくのを感じた。誘拐犯の銃が下ろされた気配はない。


「……合図したら、息とめて」


 床に体がつく直前、鼓膜を震わせたささやき。

 ディーナは思わず目を大きく見開いた。

 一瞬後、ディーナは闇の中にも関わらず、その男が誘拐犯の銃を掴み、腕をひねり上げて腹部を蹴るのを確かに見た。

 誘拐犯が、声もなく床に崩れ落ちる。


「? なん……っ!」


 銃が床にぶつかった音に、金貨を拾い集めていたもう一人の不思議そうな声が重なる。それが、ガツンと痛々しい音で遮られたのは、すばやく距離を詰めた男に殴られたせいだろう。

 そのとき、入ってきた倉庫の扉が勢いよく開く音がした。


「おい、その男誰っ……!」


 誘拐犯が落とした銃が男に拾われ、扉に向かって発砲される。呻き声とともに扉口で人が倒れる。ディーナは、声を上げることもできなかった。

 男はそんな女の背に腕を回して再び担ぎ上げると、倉庫から一目散に飛び出した。


「ネズミだ、捕まえろ!!」


 途端に、建物の影からわらわらと人影が姿を表す。人数を認識するより早く、ディーナは今度は自分たちに向かってくる銃声を聞いた。

 ディーナを担ぐ男は、一度も止まることなく倉庫の間をひた走った。ディーナの体には男の腕が苦しいほどに強く巻き付いていて、不安定さを感じることはない。


 そもそも、体の揺れなど些末すぎて意識にも上らなかった。混乱で息すら忘れているディーナに、男が叫ぶ。


「吸って、――今、とめろ!!」


 鋭い声、全身を包む浮遊感。


 次の瞬間、ディーナは男ごと水の中に飛び込んでいた。十年前の懐かしい恐怖が呼び覚まされる。冷たさが、重みが蘇る。


 ただ、前と違ったのは。

 海上の月明かりに照らされた男と――テオドロと、目が合ったことだった。


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