24 美しい牽制者
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朝になったら、ちゃんと謝ろう。
朝食の時は二人きりになれるから、そのときに。
そう思っていたのに、ディーナが寝室で着替えを終えるより早く、続きの部屋にノックの音が響いた。
寝室から様子を窺うと、部屋で朝食の準備をしていたテオドロが対応に当たりに行くところだった。
「ラウラよ。ディーナ様にとりついでちょうだい」
「主人はまだ寝ておられます」
ラウラ。夕食の席で、アウレリオが恋人と言っていた女性。
何の用事か気になったが、テオドロは追い返そうとしている。ディーナは大人しく、寝室の扉に張り付いたまま、姿を見せないでいようと決めた。
けれどラウラは引き下がらない。
「薬のことだと言ったら、きっとすぐに起きてくると思うけど」
薬。一日一回、忘れずにとルカが言っていた。
ディーナは時計を見た。八時前だ。
「ルカが念押ししたはずなのに、のんきなご主人ね。……もしかして最初の一錠も飲んでなかったり」
「テオ!」
ラウラの指摘に肝を冷やしたディーナは、とっさに寝室から出てテオドロを呼びつけていた。
テオドロが従順に扉から離れれば、ラウラも猫のようにするりと部屋に入ってくる。その足はテオドロを追い越して、ディーナへと先に向かった。
「どうせ同じ薬なんだから、そんなに慌てなくてもこれを飲ませなさいな。もともと持っていた分は、明日に回して」
そう言って、ラウラは持ってきたピルケースをさかさまにして、錠剤をディーナに渡した。指輪の中に入っているものと同じ、白い小さな粒だ。
ディーナは迷った。が、ラウラにじっと見られていては拒否もしづらいし、どうせテオドロは飲まないと思い至ると「ご丁寧に」と礼を言って、テーブルの上の水と一緒にテオドロへ持たせた。
ラウラの視線は薬を追って、テオドロの右手に注意深く注がれている。
その視線にディーナは気が気ではなかったが、テオドロは何食わぬ顔で薬を口に入れて水で流し込んだ。
そういう演技だと、ディーナは自分に言い聞かせる。ようやく、ラウラの目がテオドロからディーナへ移った。
「朝食前におしかけて、気を悪くなさった?」
「いいえ、わざわざありがとう。……よかったら、カフェラテでも飲んでいかない?」
それは朝一番の訪問者に向ける礼儀の言葉だ。本当に仲のいい友人以外は、礼だけ言って遠慮するもの。
形ばかりの誘い文句に、ふっとラウラが微笑んだとき、またしても部屋にノック音が響いた。
「テオドロ、ちょっとサンジェナ島の件で」
ディーナとラウラに目礼した男がそう言うと、テオドロはそちらに向かう。二人の会話は小声で、ディーナには聞こえなかった。かろうじて、男の「すぐに対応を」と促す声だけ聞こえる。
昨日の様子から、テオドロはディーナをラウラと二人きりにしては行かないだろうから、断るだろうか。
だが、そんな予想を立てていたディーナのもとに戻ってきたテオドロは、思いもかけない言葉を囁いた。
「すみません、レディ。少し席を外します」
「え?」
目を丸くして見上げた先の、テオドロの表情はいたって落ち着いている。
なんと返せばいいかわからないディーナの代わりに、ラウラが「行ってらっしゃい」と送り出す言葉を述べた。
「アウレリオは昨夜帰ってこなかったから、わたし暇なの。あなたが戻るまで、ディーナ様とご一緒するわ。ラテでもいただきながら」
「かしこまりました。ディーナ様、すぐに戻りますので、……お気を煩わせませんよう」
それきり、テオドロはなんのためらいもない足取りで部屋から出ていってしまう。
閉まりゆく扉を、ディーナは呆気にとられて見ていることしかできなかった。
(ラウラ・モンタルドのことは、信用してもいいってこと?)
とたんにそわそわと落ち着かなくなったディーナの耳に、勝手にコルネットを齧ったラウラのくぐもった声が届く。
「あなたと同じ名前のお客人が今日にもご到着するそうだから、そのことでしょうね。そのうちこの国のディーナという名の女性がみんな集まりそう。……それよりディーナ様、せっかくだから温室にいきませんこと? あなたがいた頃と、少し内容が変わってると思うの」
思わぬ誘いに、ディーナはさらに焦る。
「わ、わたしはいいわ。おひとりで」
「そんなこと言わないで。ここで待ってると言ったわけでもないのだから。異国の珍しい花も見頃だし」
蔓のように巻き付いてきたラウラの細い腕は、鎖のようにかたく絡みついてディーナを逃そうとしない。
――テオドロは。
こうなっても大丈夫だと、思ったのだろうか。
(まさか、昨日の仕返し……とかじゃ、ないわよね?)
***
「あなた、ここに来る前はシスターだったんですってね」
「……見習いよ」
温室には、色鮮やかな異国の花が咲き、むせかえるような香りがたちこめている。
ディーナは濃いピンクの花をつけるブーゲンビリアの枝の下で、通ってきた入口をちらりと振り返った。そこでは、自分たちとともに入ってきた使用人たちが、ワゴンで運んできたオレンジを切って絞り、飲み物の準備をしているのだ。
彼女らはラウラの指示で動いていた。ディーナが勝手に出ていこうとしたら止めるだろうか。
搾りたての果汁をグラスに注ぐ使用人を忙しなく見るディーナとは対照的に、ラウラは勝手知ったる顔で悠々とプルメリアの花を眺めている。
「なんだかつれないのね。テオドロがいないと不安?」
「……そんなのじゃないわ」
「可愛らしい反応。生家にいるとは思えない」
ディーナはラウラに向き直った。その目元の険しさに、毒を秘めるという枝を撫でるラウラはくすりと笑う。
「警戒しないで。わたし、あなたと色々お話したいのよ。……あなたがなんの目的でこの家に来たのか、とか」
付け足された言葉の棘に、ディーナは小さく息を吸って、吐いた。
「招かれたからよ」
「アウレリオが捜していたのは本物の妹よ」
「そうよ。だから来た。信じてないの?」
「半信半疑ね。お食事の順番も、この屋敷の間取りも知ってるふうだけど、でもそれも、協力者が一年かけて調べ上げた情報が元になってるなら、そんなに難しくないじゃない?」
使用人が無言でグラスを運んでくる。手を伸ばさないディーナに代わって、ラウラが二つとも手に取った。
「テオドロとわたし、一括りで疑ってるのね」
「まあ、そんなところ。どちらかがネズミなら、もうひとりも」
ラウラは微笑みながら、「どっちにする?」と尋ねてくる。かたい面持ちのディーナが手を伸ばしあぐねていると、ラウラは肩を竦めて両方を一口ずつ飲んだ。
「別にいいのよ。あなたたちが他の組織の人間でも、軍でも、それ以外でも。わたしの邪魔さえしないでくれれば」
「邪魔?」
ようやく片方のグラスを手に取り、しかし口は付けないでいるディーナに、ラウラは笑みを消した。
「アウレリオをとらないで」
「は?」
思わず抜けた声を出したディーナに、ラウラの冷たい視線が刺さる。夕食の席で見せたのと同じ顔だ。
ややあって、何を勘違いしているのかとディーナは抗議しようとしたが、凍てつくようなラウラの声が先んじた。
「アウレリオは私の獲物よ。わたしが殺す。誰であろうと、横取りは許さない」
ディーナは声を失った。




