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22 盗人

 ***



「神様、今だけは、盗みに入ることをお許しください……」


 呟いて、ディーナは真っ暗な部屋の中、小さな燭台を手に歩を進めた。罪悪感のせいか、誰かに見られているような錯覚に囚われているが、足取りはしっかりしている。


 テオドロが動けないとしても、アウレリオもおらず、ルカも屋敷に近寄るはずがないなら、今夜はこの部屋をあらためる絶好の機会であるはず。


 だが、物音を立てないように書き物机の引き出しに順々に手をかけていきながら、ディーナはあてが外れたことをじわじわと感じ始めていた。


(……まいったわ。ほとんど鍵がかかってる)


 部屋に入るのは簡単だったのに。

 戸棚も、鍵のない場所には未使用の紙類や文具類があるだけで、収穫はほとんど得られなかった。


 意外とこういうところに鍵がないかな、と絨毯の端をめくりあげてみるが、田舎の民家の合鍵のようには見つからない。


 ディーナは落胆し、もう一度部屋を見渡した。


 調度品の配置には見覚えがあった。引き出しの鍵穴もそう新しくなく、自分がいた頃から変わっていないだろう。


 でも、ロザリオ以外には何も持たずに放り出されたディーナが、当時の鍵を持っているはずがない。屋敷のどこかにしまわれている可能性もあるが、アウレリオ本人が持ち歩いている方がありえそうな気がした。


(現物は手に入らなくても、せめて、リストや帳簿をしまった“場所”がわかれば)


 そこまで考えて、ふと、この部屋にはないのかもしれないと思い至った。


 だって、テオドロは一年近くここにいると言っていた。探し物の在り処として、当然真っ先に当主の仕事場を疑ったはず。


 ディーナより知識もあり手際もいいであろうあの男が探し出せなかったものを、土壇場でやってきたディーナが単独で見つけられるわけがない。


 それこそ、テオドロが見落としてしまいそうな場所でもない限り。


 ――フェルレッティ家の当主を担う人間にしか、わからない場所でもない限り。


「……」


 部屋は、ディーナの記憶の中と大差はない。

 けれど、まったく違和感がなかったわけでもない。


(入ったときから、なんだか妙に落ち着かなかった)


 部屋には誰もいないのに、誰かに見られているような感覚。

 ディーナはもう一度、注意深く部屋を見渡し、そして気がついた。


(あんなところに、鏡なんてなかった)


 違和感は、壁に作りつけられた鏡のせいだったのだ。そこに映ったもう一つの明かりと自分自身の影が、ディーナに他者の存在を錯覚させていた。


 ディーナは鏡の前へ移動した。天使と植物の彫刻が施された美しい額縁に手をかける。


 動かない。

 考え過ぎか。


 さすがにもう部屋から出るべきかと、諦念が頭に過ぎる。二階の自室の窓から脱出してきたが、グズグズしていたら廊下にいるという見張りにバレるかもしれない。


 鏡の中では、やるせない顔つきの女が蝋燭の炎に照らされている。ディーナは名残惜しむように右手で縁をもう一度撫でた。


 指先に当たった彫り物はイチジクだった。昼間の出来事を思い出す。

 いっそアウレリオ本人に、仕事の手伝いを申し出てみようかと非現実的なことを考えたとき。


 手の中のイチジクが、わずかに動いた。


 ディーナは全身が総毛立つのを感じながら、イチジクに力を込める。それは周囲の葉の彫り物を置き去りに、差し込まれた鍵のように回った。


 鏡の裏で、カチリ、と小さな音がした。その音が屋敷中に響き渡ったような気がして指先が凍りつく。

 が、次の瞬間、鏡の右端が浮き上がり、まるで左辺を軸にした扉のように手前に開いてきたのだ。


「……あった」


 鏡の裏は壁紙ではなく、鋼鉄の扉が作りつけられていた。取っ手らしき輪の下には鍵穴がある。


 間違いない。ディーナは、この中に重要なものがあるのを確信した。それも、一貴族の仕事として表に出すわけにはいかないものが。


 鍵はないからこれ以上は望めないが、これだけでもテオドロの役に立つことができるのではないか。高揚感がじわりと胸に湧き上がる。


 しかしそれは、背筋をぞくりと駆け抜けた悪寒に一掃された。


 大急ぎで鏡の扉を元のように戻すと、すばやくバルコニーに向かう。燭台の火を消してカーテン裏に身を滑り込ませて、身を固くする。


 それから間もなく、部屋の扉が開く音がして、誰かが中に入ってきたのがわかった。ディーナの心臓が早鐘を打つ。


(まさか、アウレリオがもう……!?)


 ヒヤリとしたが、そうではなかった。入ってきた人物は部屋のランプを一つだけ灯し、それ以外の明かりには手を付けずに書き物机へと寄っていった。カチャカチャと小さな金属同士が当たる音がしたかと思うと、素早い擦過音が続く。


 それはまるで、片っ端から鍵を開け、引き出しを開け閉めしているかのよう。


 ランプのほんのりとした明かりをカーテンの向こうに見ながら、ディーナは、この人物が自分と同類だと直感した。

 相手も、アウレリオに隠れて何かを探しに来ている。


 ――まさか、テオ?

 一瞬、そんな希望が頭をもたげたが、それは違う気がした。荒々しい引き出しの開閉音が、彼らしくない。


(それに、この香りって……?)


 カーテンを開けて確かめたいが、少しでも動けば相手に気づかれてしまう。

 ディーナは息を詰め、額に暑さとは違う汗をかきながら、見つからないようにと手を組んで祈った。


 そして、長いのか、短いのかもわからない時間が過ぎ。


 ダンッと机を叩く音がした。ディーナは身を震わせたが、恐れたようにカーテンを暴かれることはなかった。


 侵入者はランプを消すと、足早に部屋を横切り、ディーナが潜むバルコニーも通り過ぎていく。

 そして、二度目の扉の開閉音を最後に、執務室には静寂が訪れた。






 執務室を出て、廊下の窓から庭を突っ切り、ディーナは大急ぎで自室へと向かっていた。

 人の目がないことを確認し、降りたとき同様に木を伝って二階の部屋の高さまで上がり、バルコニーへと降り立つ。


 月の位置から、まだ夜明けは遠いとわかる。けれど一刻も早く、ディーナはテオドロに会って話したかった。そのはやる気持ちが体を動かしていた。


 怪しい隠し場所を見つけた。

 誰かがアウレリオの部屋に入り、何かを探していた。


 ガラス戸とカーテンをすり抜けて戻った寝室は、抜け出たときと変わらず真っ暗だった。

 廊下の見張りに気づかれていないことに、ディーナはほっと胸をなでおろし。


 そして、ぎくりと固まった。


 部屋に人がいる。

 今度は、本当に間違いなく。


 恐怖と焦りでザッと血の気が引く。震える足で、バルコニーへと後ずさろうとした、そのとき。


「ディーナ」


 暗闇から聞こえてきたのは、テオドロの声だった。

 緊張が、ふわりと溶けて消える。


「っテオ、良かった! ねえ聞いて、さっき……」


 ディーナは安堵とともに声のもとへ駆け寄った。はしたないなどと考える暇もなく、相手の手を掴み。


 ――その手の冷たさに、驚き、思わず手を引こうとして。


「……どこにいたんだ」


 逆にきつく掴み返され、身動きが取れなくなった。

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