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20 教会の記憶


「記憶がない。私どのくらい寝てた?」

「……歌が始まってから今の今まで、ほとんどずっと」


 本当に?と呟くアウレリオはさして反省した様子もなく、ばらばらと聖堂の外に出はじめた地上の人々を見下ろしている。ディーナはこっそり呆れ混じりの視線を向けた。


「いや、いつもはこんなんじゃないんだが、昨日は遅くまでルカと仕事片付けてたからさぁ」

「仕事……」


 なんの仕事だろうとルカのほうを窺い見るが、当然ながら、痣の男はこちらを一瞥しただけで何も教えてはくれない。


 十歳当時のディーナは、まだ仕事らしい仕事はしていなかった。おそらく当時の幹部たちが代わりに担っていたのだろう。


「それにしても、王都の修道会ともなると、行事の規模が半端じゃないよなぁ」


 アウレリオの言葉に、俯いていたディーナは顔を上げる。


「私はこっちに来て驚いたクチなんだが、ディーナは逆にレベルタに行ってから驚いたんじゃないの。しょぼくて」

「記憶がなかったもの、こういうものなんだ、って思ってたわ」

「あ、そうか」


 一瞬ひっかけられたのかと思ったが、本当にディーナが記憶を失っていたことを失念していたようだった。


 実際には記憶など失っていなかったので、確かにディーナはその落差に驚いた。

 とはいえ、当時は一命をとりとめたばかりだったので、素朴でささやかな行事のひとつひとつで深い感謝の念を捧げていた。皮肉にも、大聖堂での豪華な行事よりずっと真剣にだ。


「私はここに来る前は、教会にいたんだ。神父の見習いとして」


 それはテオドロに聞かされていたが、ディーナは「ふうん」と相槌を打つにとどめた。


「神学校に入る前にこっち来たから、聖職者の資格はないんだが。やっぱり慈善イベントは年に何回かあってさ。準備とか後片付けとか、それこそ今くらいの時期はクッソ暑いなかで朝から手伝わされてうんざりしてた。でも同時に、その日は庭に出したテーブルの上にお菓子が山と並べられてて、それは結構楽しみだった」

「ああ、そうね」


 ディーナも覚えがあったから、共感の言葉は自然と口から出た。


「なんかまずかったんだけどね」

「まず……」


 返事に窮するディーナを差し置いて、アウレリオは凝り固まった首を回しながら話を続ける。


「でも、いつも教会の手伝いに通ってくる無愛想な婆さんが作ってきてくれたイチジクのジャムだけは美味しかったから、とりあえず全部の菓子にそれつけて食べてた。ボンボローニにも、カンノーリにも」


 どちらも揚げた生地の中にクリーム類を詰める菓子だ。


「……甘い物好きなの?」

「いやだからちょっとまずかったから」

「……」

「あるとき婆さんに、これバザーで売ればって提案したら、食べ物で利益を追求するのは卑しいことだって切って捨てられた。子ども心にはそれでなんとなく納得してたけど、まぁ小さい瓶を煮沸して詰めて運んでってのがめんどくさかったんだろうね」


 ディーナは言葉少なに話を聞きながら、内心困惑していた。

 なぜ急にこんな話をしはじめたのだろう。何が言いたいんだろう。

 確かに、内容はシスター見習いのディーナにはなじみ深いが。


 しかし階下を見つめていたアウレリオは、ディーナの疑問など知る由もないという顔で椅子から腰を上げた。


「さて、我々も外に出るかな」


 すかさず屈強な護衛の一人が「挨拶に行かれますか」と問いかける。


「しないよめんどくさい。ニコラがディアランテに来てる間は、そっちに対応させればいい」


 ニコラが対応。

 この大聖堂の関係者にも、外飼いがいるということだろうか。

 護衛とアウレリオのやり取りの背後に暗い物を感じ取りながら、ディーナも黙って立ち上がったのだが。


「……あのイチジクのジャムに似た物は、こっちじゃ意外と見つからないな」


 階下からの喧騒で聞き逃しそうな、かすかな呟きに、思わず口を開いてしまった。


「あなたに食べさせてあげるために売らなかったのかもしれないわね」


 アウレリオが振り返った。


「ん?」

「……その、ジャムのお婆さん。慈善バザーで出すようになったら、主催側の教会の見習いが自由に食べるわけにいかないでしょう」


 余計なことを言ったかもしれない。

 そう思いながらも、言ったものは取り消せない。ディーナは少しの気まずさを噛み締めながら、ほそぼそと答えた。


「わたしのいた教会でも、毎年手作りのレースや香水をバザーに出したりしてたけど、お庭にはやっぱり街の方が持ってきてくれたビスコッティとかアマレッティとか並べて、それみんな自由に食べてよかったの。神様へ捧げたものだけど、神様は飢える民衆には施しを下さるからって」

「ああ、教会で食べ物売るなってそういう意味なんだっけ」


 忘れてた、と男が呟く。


「ディーナもお菓子作ってた?」

「シスターみんなで朝からひたすらクロスタータを焼いてたわ」

「ああ……あのすっごい端がこぼれるタルトか」


 わたしの作るタルトは、しっとりして、結構好評だったのよ。

 なんて言葉は、日傘を差しだしてきたテオドロの顔を見たときに、なんとなく喉の奥に引っ込めた。従僕に徹するテオドロの表情からは、何を考えているのかは推し量れない。


 正面入り口の混雑がおさまってきたころを見計らって、大聖堂を出る。すると待ち構えていたように、付き人の一人に修道士が寄ってきた。ルカもアウレリオの盾になるように進み出て、そちらに対応する。


 それとなく日傘で顔を隠しながらも、話の内容にこっそり耳を澄ませようとしたときだった。

 アウレリオが囁きかけてきたのは。


「ねぇディーナ、ちょっと走れる?」夏用の薄手の上着を、テオドロの方に押しつけながらの言葉だった。

「え?」

「露店見に行こ」


 そう言うやいなや、身軽になったアウレリオはディーナの手を掴み、強く引っ張って人ごみの中に突っ込んでいった。とっさのことで、ディーナの足は転げるように兄の後を追うしかない。


「ディーナ!?」


 テオドロの声は、あっという間に遠ざかった。




教会の教え云々は現実世界のものとは一切関係ないです

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